今年初めての投稿になります。
今回は長いので家族紹介省略します。
この前、カンブリア宮殿でQUONチョコレート(久遠チョコレート)のことをやっていた。
前にぶらりと入って美味しいーって思って、調べたら障害者や様々な理由で他では働けない人が多く働いてることを知った。
まさにその話を昨日。
↓これはカンブリア宮殿のものではないが、創業者についてもって知りたくて調べたら出てきた記事。
https://note.aktio.co.jp/sdgs/20230131-1424.html
そして、この記事を読み進めていたら、バリアフリー設備についても語っていた。その内容がまさに私も、そして息子も感じていたことだった。
そして、過去にもあげたが息子が中学2年生の時に書いた意見文を思い出した。
過去ブログ読みにくいので記事スタート部分と意見文を一つにまとめたので、今回は記事にしますね。
ちなみに元記事は↓こちらなんですけど、今読み返すとものすごいわかりにくい😂
なので、意見文だけ読むならこちらは飛ばしてくださいね。
バリアフリー
みなさんは、どう思いますかぁ❔
私が子供の頃はこんな言葉耳にしたことが無かった‥‥
いや、気にもしなかったのかもしれない‥‥
息子が骨形成不全症として産まれてきて、
今まで気にもしなかったこと、考えもしなかったことがたくさんある。
そして、バリアフリー
段差がどれだけ不便か、階段しかないビルや砂利道、最近よくあるショッピングモールの絨毯
何とも思わないものが息子にとってはとても不便なわけで
えっ❗絨毯❔
と、思いますよね
あれって車椅子漕ぐにはイマイチなんだそうで。
中学2年の夏休みの宿題に
読書感想文
または
意見文
とあり、毎回読書感想文に苦戦していたから
『自分に身近な事を書いたら❔』
と伝えました。
そして、意見文
『バリアのない国を目指して』
が 完成
では、ここからが意見文
僕は骨が折れやすい病気なので外では車椅子を使っています。
でも僕の家はバリアフリーではありません。それでも家には僕のことをよく理解して介助してくれる人がいるので、あまり困ることはありません。
しかし実際外出すると階段しかないお店や、大きな段などバリアフリーではない場所が多々あったり、バリアフリー設計になっていても使いづらい場所などもあったり、不便な面が多く、困ることが多くあります。
そこで、バリアフリーについてもう一度考えてみました。
まずはバリアフリーとは
『高齢者や障害者だけではなく全ての人にとって日常生活の中に存在するあらゆる障壁の除去をすること』
をいうそうです。
先日バリアフリー設計がされてあると思われる店に入りました。
しかし、何段かの階段を上がったところの近くにあるドアは自動ドアだったのに対し、スロープで上がったところの近くにあるドアは開き戸タイプのドアでした。
車イスの人にとって開き戸タイプのドアはとても不便なのです。
そして私道と公道に以前にはなかった三センチメートル程度の段差が出来ていたのです。
工事関係者にまだ工事をしていないところにも段差ができてしまうのかと聞いてみたところ、
『目の不自由な方のために、ある程度の段差を残さなければならないので数センチメートルの段差はできます。』
という返答でした。
僕は自分の事情を説明し、
車椅子で三センチメートル程の段差を上がることは大変だということ、
ベビーカーや足の不自由な方などもその段差でつまずくことがあるということを伝えました。
結果その部分の段差はなくなりましが、どちらの例も新しく作られていたものなのに、誰もが便利に使えるものではなかったのです。
それは、設計したり作ったりする人の身近に障害のある人がいなかったり、実際に使う人のことをあまり考えたりしないで事務的につくったからなのではないかと思いました。
確かにオシャレにすることによって来る人が増え、利益も増え、人気が出るかもしれません。
また、スペースを確保することに問題があったり、費用をあまりかけられないのかもしれません。
しかし、ベビーカー、車椅子、目の不自由な人などがいる中、そのような人たちにとって
『使いづらい、使えないもの』
を作るのには疑問を感じます。
そのような人たちが使いやすいということは、他のどのような人も使いやすいのではないでしょうか。
だから僕は、どのような人でも使いやすいものがどんどん作られていくといいなと思いました。
そのためには、僕達のような障害者が外出して、色々な人と関わりを持つことが大切なのではないかと思いました。
その友達は誰一人僕のことを差別や偏見の目で見ないで接してくれています。
僕と友達は、一緒に学び、一緒に遊んできました。
そういう中から自然に僕のことを理解してくれたのだと思います。
僕は幸いにも希望した地域の小、中学校に通うことができました。
しかし、障害の程度にもよりますが、希望通りには行かず、障害があるからということで強制的に支援学校へ通うことになる人がいた時代もあり、いまだにそういうケースもあるようです。
これからは障害をもっている人も、自分で選択していける環境と周りの理解がある時代になっていくといいなと思います。
そして、いつかはバリアフリーが当たり前になり、その言葉自体が使われなくなる時がくることを願っています。
↑ここまでは息子の意見文です。
推し川崎鷹也君の愛の灯です。
優しい気持ちなるんです。