息子の病気 病者の祈り | ママRing メンバーのおしゃべり♪

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主婦であり母であるメンバーの、ごく普通な日常をお伝えします。

こんにちは晴れ  教子です。

 

今年もよろしくお願いします!

 

今日は高校3年の息子のことを書きます。

 

昨年の9月になりますが、高校の行事中に意識不明になりました。

心臓から肺につながる大動脈に血栓ができて飛んでしまったのが原因でした。

搬送先の病院で人工心肺装置(エクモ)による救命をしてもらい命は助かりましたが、

心肺停止の時間が長く大脳への損傷があり、意識が戻ることはない植物症と診断されました。

その後、札幌市の病院から東京都の病院へ、ドクターの付添いのもと搬送してもらいました。

現在も病院で治療を続けながら、身体が固まらないようリハビリテーションを受けています。

そして、私たち家族は昨年末、病院近くに引っ越しました。

そう、東京に帰ってきました飛行機

ただいま!

息子のいない新居でのお正月は寂しかったですが、

怒涛の日々を乗り越えてホッとした静かなお正月でもありました。

 

 

倒れた当日の朝は、行事で綱引きをやるからチーム全員分の軍手が欲しいと言って

20組近い軍手を持っていった息子。

「綱引き面白そうだねー、がんばれ!」と背中を見送りました。

悪夢の電話はお昼にありました。

学校の先生からの指示で病院に到着すると待合室は静かで、

なにか他人事のような、テレビの映像を眺めているような感覚でした。

全く熱血タイプではないのに、体育祭などのチーム種目には昔からこだわりがあったよね、

頑張りすぎたのかな?なんてことをぼーっと思いました。

でも、夕方、面会が許され息子に会った時は、神様を恨みました。

なぜ息子なのか。

現実に死が身近にあることが、息子の状態からわかりました。

医療の知識がないというのは無力で、もう祈ることが全てでした。

コロナ禍で面会ができなかったので、主人と毎日、早朝と夕方に

病院の高度救命救急センターの息子のベッドがあるであろう窓の下に行って祈りました。

雪が近くなっていることを知らせる雪虫が札幌の街にチラチラと飛んでいたのを覚えています。

そして数日後診断がくだされ、息子ともう一度話したいという祈りは届かないものになってしまいました。

 

 

あれから4か月、息子は目を開けることができるようになりました。

少しだけですが表情も(殆どいやーな表情ですが・・・)出てきました。

初めは驚きました、奇跡だと思いました。

でも最近わかってきました、

息子はこれからどんどんと回復するということ。

奇跡ではないということ。

大学に進学する夢は絶たれてしまったけど、これから第2の人生の始まりなのだということ。

私自身も息子の第2の人生の伴走をする使命を授かりました。

あの祈りがいつか届きますように。

信じて進んでいきたいです。

 

 

 

重い話をここまで読んでくださってありがとうございます黄色い花黄色い花黄色い花

 

 

最後に遷延性意識障害の家族会役員の方からいただいた詩「病者の祈り」を載せます。

ニューヨークのリハビリテーション病院の壁に書かれた、

作者不明(患者であろうと言われている)の詩だそうです。

私はこの言葉に励まされ今がある、私にとって大事なものです。

よかったら、読んでください虹

 

 

次はけいこさんです。