結婚とは帰る場所が同じということ | 幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

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東京下町で暮らす5人の子沢山ママです。結婚27年目。
長男25歳(社会人・一人暮らし)長女15歳・次男14歳・三男9歳・四男6歳。
非常勤保育士として働きながら、オリジナル家計簿を販売中。

こんにちは、竹内まゆみです。

今日は、夫と、次男の野球の試合を、ハシゴする予定でした。

しかし…

朝から雨がザンザン降っていて中止になりました。
 
予定がなくなり何をしてもいい1日、朝寝坊したり、みんな思い思いに過ごしています。

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(娘と次男でトランプ)

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(ちぇちぇはパジャマのままプラレール)

さてさて

「お金くれないなら結婚した意味がない!」を、たくさんの方に読んでいただいてありがとうございます。

この記事をリブログしてくれたさくらこちゃんが、こんな風に書かれていました。

結婚に求めるものってその人それぞれでみんな違うものだ、と。
私が結婚にお金を求めなかったのは、お互いお金を持っていない学生時代からの付き合いなのが大きいかな?と思っています。

夫はたくさんバイトしていたけど、そのバイト代で大学の学費を払っていたので、恋人同士の時から独立会計でした(笑)

もちろんご飯ごちそうしてもらったり、プレゼントもらったりはあるけどね。

学費まで払っている彼のお金をあてにしようとは思わなかった。

じゃあ、

「私が結婚に求めていたものは何だったのかな」

と、思い起こしてみると…

私、結婚は「同じ家に帰ること」だと思っていたのです。

どこかに一緒に出かけても、別々の家に帰るのがとても寂しかった。

早く結婚して同じ家に帰りたかった。

16歳からお付き合いしていているので、22歳くらいの時には「早く同じ家に帰りたい!」って思っていた。

だから、新婚時代に夫が飲みに行っていても全然平気。

だって、どんなに遅く帰ってきても、帰る場所は同じ家なのだから。

安心して待っていました。

夫は仕事中毒だった時に、1ヶ月に一度くらいしか家に帰ってこない時もあって。

そんな時でも、つらいつらいと泣きながらも

私はどこかで、彼の帰る場所であることがうれしいと思っていた。

だから、待てたんです。

また、毎日帰る日が来るまで。

本当に「仕事命」で「会社命」でした。

一番切なかったのは、電車で千葉の勝浦に一泊旅行に出かけた時。

途中の駅で、「じゃ、明日朝早いから会社で寝るわ」って、会社に行く方面の電車に乗り換える夫を、長男と見送ったことがありました。

あの時が一番切なかったな。

「こんな時にも仕事が一番なの?」って。

それでもね、彼がそうしたいなら、と思って見送った。

だって、彼の大事にしていることを取り上げる権利は、私にはない。

私は一緒に帰って欲しいけれど、それは私の思いであって。

たとえ理解できなくても、彼の意思は尊重したいと思っていました。

だから、寂しさをこらえて夫と別れ

夫は東京行きの京葉線に乗り換え、私は、長男とふたりで、自宅に戻る方面の電車に乗りました。

長男がいてくれて本当に心強かった…。

その頃には

20歳そこそこの私が「彼とずっと一緒にいたい、同じ家に帰りたい」と結婚を夢見ていた頃から10年経っていました。

思い通りにならない結婚生活を通して、私は夢見る夢子ちゃんを卒業して、大人になりました。

「 私が彼の帰る場所になる」ことを決めた時でもありました。

毎日じゃなくてもいい。

ただ、疲れた時、ふと家族を思い出した時、余裕ができたときに、最終的に帰る場所であろうと。


 
結婚に一番求めていた「毎日同じ家に帰ること」を取り上げられた時に、

苦しんで苦しんで
悲しんで悲しんで
泣いて泣いて

散々暗いトンネルをさまよった挙句

自分で光を見つけてトンネルを出て

自らの意志でその場にい続けました。

心が強くなりました。



もしかしたら…

その人にとって「結婚に一番求めているもの」を取り上げられた時に初めて、

人は結婚生活で成長していくのかも知れません。

求めているものがなくなったとき、取り上げられた時に初めて

痛い思いをしながら、とっても狭かった結婚の意味を、「私にとっての結婚」を広い意味でとらえられるようになる気がします。
  
さくらこちゃんの記事を読んで、そんなことを思いました。

久しぶりに別居中のことを書きました。

最近、この頃の記憶がどんどんぼやけていて、あんまり思い出すこともなくて…

あ、気になるる方がいるかも知れませんが、「女の影」は全くなかったです。

完全に仕事中毒「ワーカホリック」でした。

仕事に没頭することで、自分をマヒさせているんですね。

何からマヒさせたいか?と言えば、一番大きな要因は、お義父さんの死です。

亡くなってからの数年の彼は人が変わったように笑わなく、冷たくなり、私はその数年が過ぎるのを待つしかありませんでした。

いつもサングラスをして、人と目を合わせなくなりました。

私たちの別居期間は、夫が義父の死を受け入れられず彼なりに格闘した期間と重なっています。

まぁそんなのは、後から振り返ってみたら、の話で。

私は、彼が帰る場所でありたい、という思いを通した期間でもあって、私の結婚生活の土台でもあります。
 
そして夫も、ふらりと帰っても、私は「いつもそこにいる」ということを疑ったことはないそうです。

今は、そんな切ない時代があったことを忘れるくらい、家の中はにぎやかで

帰ってくる家族がどんどん増えて(近所の子まで帰ってくる)いて、私はそれだけで充分幸せです。

そして、過去の自分にありがとう、と思っています。