エストニアとジョージアの合作映画で、みかん畑で働く2人のエストニア人が敵同士の傷ついた兵士を看病する姿を通じ、戦争の不条理さを描いた。アブハジア自治共和国のエストニア人集落。この集落ではみかん栽培が盛んだったが、ジョージアとアブハジア間の紛争により、多くの人が帰国してしまった。しかし、みかんの収穫が気になるマルゴスと、みかんの木箱作りのイヴォの2人は集落にとどまっていた。ある日、マルゴスとイヴォは戦闘で負傷した2人の兵士を自宅で介抱する。1人はアブハジアを支援するチェチェン兵、もう1人はジョージア兵で、彼らはお互い敵同士だった。同じ家に敵兵がいることを知った兵士たちは殺意に燃えるが、イヴォは家の中では戦わせないことを告げ、兵士たちは戦わないことを約束する。数日後、事実上アブハジアを支援するロシアの小隊が集落にやってきた。
2013年製作/87分/G/エストニア・ジョージア合作 映画.comより転載
同じ釜の飯
ジョージアとエストニア初の合作映画にして第87回アカデミー外国語映画賞ノミネート作。
地味です、でも観ればわかります、志が高いがそれだけで観客の心を掴む映画ができるわけではない、素人に近いような俳優かもしれない、でも味わい深い、よいのです。そして複雑極まりない難しい問題を、予備知識なく観ても理解し感動できるように作られている脚本が素晴らしいです。
南コーカサス地方。アブハジアがジョージアからの独立を求めたことから激しい紛争が勃発。アブハジアのエストニア人集落にいた多くの者は帰国したが、育てているみかんの収穫期が控えるイヴォはその地にとどまることに。みかんの木箱を作るマルガスもまた残ることにする。集落にも戦闘が近づき、二人は傷ついた兵士たちを家に連れ帰り介抱する。ところがその兵士たちはアブハジアを支援するチェチェンのアフメドとジョージア兵のニコであり、一つ屋根の下で敵同士が一緒に過ごすことになる。
さてさてどうなるか?
当然憎しみ会っています、しかしそれは個人対個人ではない。
そこなんです!
話せばわかる?そうじゃあない、距離が近くなると観念的な考えはどこかへ行きお互いに人と人とを意識する。
国は大事だ、土地は俺たちのものだ、事実社会はそう回っている、国がなければ生きていけないのも事実。
でもそれは自分たちだけではない、目の前のこの男も家族のある自分と変わらないやさしさも持った人間。
憎い敵だ、いつか殺してやると言いながらも・・
俺はイスラムだよ、でもお前の十字架は気にしない、宗教はそれぞれなんだよ。
あの国は嫌いだけれど目の前のお前はいい奴だ、そりゃあそうだ、人間なんだもの。
彼らも観客もわかったはず、他人の価値観を認め、自分の囚われた考えを開放する、そうすれば見えてくるものがあるはず。
未来は混沌として暗くても、自分の目で見ようとすることが平和と共存への一歩だと。
果たしてイヴォはどう思っているのか、イヴォの背景がわかるにつれ本当に強い人間、本当に立派な人には簡単にはなれない、すべてを喪失し、それで初めて自我から解放された人間になれるのかもしれない、それをどう考えるかは別として。
全てを赦す、難しいことです。
つい近年の紛争地、ドキュメンタリーにストーリーを入れ込んであるというようにも一見思えるのですが、現実を巧みに使い寓話ではないですが寓話性に富んだ
映画になっています。
お互いに憎みあっている二つの民族、その後ろには大国ロシアの思惑がある、ロシアはどちらの味方か、ということよりも、ロシアはロシアの国益しか考えていない、それに振り回されるのも愚かだ、そういうメッセージもあるように思った。
ロシアをアメリカと置き換えれば、何かが見えてくるでしょうか。
ミカン=マンダリン=タンジェリンらしいです。
2017年8月25日yahooブログに投稿の記事を再掲載
