若松孝二監督が代表を務めた若松プロダクションの黎明期を描いた映画「止められるか、俺たちを」の続編で、若松監督が名古屋に作ったミニシアター「シネマスコーレ」を舞台に描いた青春群像劇。

熱くなることがカッコ悪いと思われるようになった1980年代。ビデオの普及によって人々の映画館離れが進む中、若松孝二はそんな時代に逆行するように名古屋にミニシアター「シネマスコーレ」を立ち上げる。支配人に抜てきされたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞めて地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治で、木全は若松に振り回されながらも持ち前の明るさで経済的危機を乗り越えていく。そんなシネマスコーレには、金本法子、井上淳一ら映画に人生をジャックされた若者たちが吸い寄せられてくる。

前作に続いて井浦新が若松孝二を演じ、木全役を東出昌大、金本役を芋生悠、井上役を杉田雷麟が務める。前作で脚本を担当した井上淳一が監督・脚本を手がけ、自身の経験をもとに撮りあげた。

2024年製作/119分/G/日本
配給:若松プロダクション                 映画.comより転載

 

 

前作『止められるか俺たちを』のレビューの一部再掲載。

時代は1969年、冒頭の映像はまさにその時代。
この映画は肌感覚で時代を知っている人には強烈な切なさがある、郷愁と相まって人恋しさを感じてしまうのかもしれない。
この時代、荒々しいエネルギーにあふれた時代、”何者かになろうと夢見た”時代、夢を実現できるかもしれないと信じることが許された時代。
アナーキーなエネルギーに満ちていた若松プロ、何者でもない自分自身の映画を求め若き才能が集まり一つの渦を作っていた。
映画つくりを教えられるわけではない、自らが渦中に入ってその中から見つけ出したものだけが生き残る、過酷な世界だが、要は才能と自分を信じる力が必要なんだろうと思う。
映画に魅せられた仲間たちの青春、満ち溢れるエネルギーと輝き。
若さの鬱屈と解放感ーーーー

以上が前作。

そして今作は時代は1980年代、続編ではありますが、内容は前作を観ていなくても問題ありません、でも、時は流れても若松プロは変わっていない。

彼らを取り巻く社会の空気は変わっている、映画に急速にエネルギーがなくなっていった、それでも彼らの持つ心の奥底にある思いは変わらない。

前作よりかなり良い出来のように思います、挫折感がベースに有るからなのかなという気もします(前作もそうですが、直接の挫折が青かった、生煮え感があった)。

井上淳一監督が自身の青春時代を映画化していますが、まだ何物でもないモラトリアムな時代を濃密なノスタルジーをもって描いています(これは同時代を生きてきた人にはちょっとね、心を鷲掴みにされるところあります)、映画に挫折した”普通”のおじさん東出昌大がとても味わい深い、若松監督にそそのかされてやはり夢をあきらめきれない、そして若松監督が金のため変節(ではないけれど、挫折かな)しようとするとき、彼は夢を取り戻した、その時の言葉がとても感動的です。

 

 

井浦新が演じる若松監督からは時代の空気、強烈な個性、今で失われてしまった濃密な人間関係を作る力が感じられます、はた迷惑な愛すべき人物。

笑いあり(映画中映画を撮るシーンなど爆笑、勢いがあって愛すべき笑い)、感動あり、青春って自分が手放さない限りなくならないんだなと思える感動。

何というか・・・・良い映画でした。