親の愛を知らず非行を繰り返す少年と、少年を助けるために奮闘する大人たちの姿を描いたカトリーヌ・ドヌーブ主演作。母親に置き去りにされた6歳の少年マロニーを保護した家庭裁判所の判事フローランスは、10年後、16歳になったマロニーと再会する。しかし、母親の育児放棄により心に傷を負ったマロニーは、学校にも通えずに非行を繰り返していた。フローランスは、マロニーと似た境遇にありながら更正した教育係のヤンとともに、マロニーにやさしく手を差し伸べる。フローランス役をドヌーブが、マロニー役を本作が映画初出演となるロッド・パラドが演じる。女優として「Mon roi」(日本未公開)で第68回カンヌ国際映画祭の最優秀女優賞を獲得したエマニュエル・ベルコの監督作品。
2015年製作/119分/R15+/フランス
原題:La tete haute 映画.comより転載
先日ベルコ監督の『愛する人に伝える言葉』を鑑賞、キャストは本作とはぼ同じカトリーヌ・ドヌーヴ、ブノワ・マジメル。でも『愛する~~~』の主役は終末医療に当たる医師、そして医師の医療哲学というようなものでしょう。
似たスタンスで制作されているので、『太陽のめざめ』を先に記事UPします。
『太陽のめざめ』感想(Yahoo!ブログ時代の記事を転載)
似た設定のドイツ映画『ぼくらの家路』をつい先日DVD鑑賞、どうしても比べずにいられない。 10歳にして家族すべてにとっての最善の選択をしなければならなかったドイツ少年JACKの聡明さに比べ、本作の主人公の甘ったれぶりはどうだろう。
6歳から16歳までを描いているがその間少年は何の成長もしたように見えない。 10年の間少年もその母も子供のままだ、感情をコントロールできずすぐに切れる、何をやっても長続きせずコンプレックスに押し潰されている。 母も息子もお互いの依存心で人間的成長を阻まれているように思う。 これは、こういうわかりやすい母子でなくともよくある話だ。 映画はこの少年が主役なのだけれど、カトリーヌ・ドヌーヴの映画ということで公開されたのだろう。公平で人情味がありしかも毅然とした判事を好演、さすがの貫禄があり。
映画を見て感じたのは、フランスの矯正システムはよくできている、スタッフもベテランで人間味にあふれていてしかも毅然としている、多種多様な人種に対応するのは至難であると思うのだけれど、それはたぶん欧州どこでもそうなのだろう。こういうところ日本はかなり遅れているような気がする。
映画の結末はハッピーエンド、少年の未来に幸あれ、というように見える。 たぶんそうなんだろうが、これをハッピーエンドにするにはかなり無理がある。 まず、大きな伏線。 少年と少年の教育係になるブノワ・マジメルはとても似ている、似ている少年を探したのだろうと思う。 そして教育係はかつて非行少年でフローランス判事(ドヌーヴ)が更生させた人物であり、同じ境遇の二人なら理解しあえるという配慮なのだろう。
しかし映画終盤、16歳になり父になろうとする少年の問いに彼は答える「家を出るんだ、離婚するんだよ、子供は作らなかった」と。 あまりにも大きい心の傷を感じさせる、生涯癒されることのないような。 だからと言って生い立ちだけが人生を決めるわけではない、映画でも言われる通り、存在への自信、自己肯定感、自分の居場所、それを自分で見つけなければならない、それらは過去に囚われていては見つけられないものだと思う。しっかり地に足をつけて前を向かなければ、しかしそれがとてもむつかしいということがこのエピソードで感じられる。
こういう伏線があって、それに似た少年が、あの精神的未熟さで未来へストレートに進めるとはとても思えない。 ハッピーエンドにはどうしても思えない危うさを感じたが、赤ちゃんの母であるテスが聡明そうで彼女の母もしっかり者のようなので救われたと思う。
ブノワ・マジメルといえば『ピアニスト』ではとても美青年であったのにいつの間にこんな酷いことにという容貌様変わりだったが、喜ばしいことになぜか復活していた。 そして本作の音楽に『ピアニスト』の主題曲シューベルトピアノ三重奏曲が使われていた、意識してそうしたのだろうか。 それにしてはエンドロールのラップ曲がこの曲とも映画全体とも合っていなくて余韻が削がれてしまった。