退職を間近に控えたベテラン刑事サマセットと若手刑事ミルズは猟奇連続殺人事件の捜査にあたる。犯人はキリスト教における7つの大罪に基づいて殺人を繰り返していることが明らかに。やがてサマセットとミルズは容疑者を割り出すが、その人物に逃げられ、さらにミルズの素性が知られていたことも発覚する。そしてさらなる殺人事件が続いた後、驚愕の事態が……。独特のビジュアルセンスとダークな物語が話題を呼んだ戦慄のサスペンススリラー。

1995年製作/126分/アメリカ
原題:Se7en                                       映画.comより

 

                   

 

コロナ禍の今、鑑賞にふさわしい作品

コロナ禍で仕事は休み、時間はたっぷりある、だからと言って何かがはかどるというわけでもない、することはあっても意欲が出ないと言い訳をして旧作DVD鑑賞三昧。

さて、この映画がこの厄災の中鑑賞にふさわしいかどうか、人によっては、えーーー?ということもあるだろうが『コンテイジョン』と似たノリかもしれない。
こちらはコロナならぬ人の心が社会に及ぼす厄災の話だ。
猟奇殺人サイコ・ミステリーというものだが、実のところそれだけではない、それだけではないというのが肝であると思う。

デヴィッド・フィンチャー監督というとまず傑作は『ファイト・クラブ』であると思うが、本作もまた負けずの力作です、似た系統の映画、基本心理劇です(ホラーだと監督は仰っているらしい)。

ベテラン刑事(モーガン・フリーマン)と若手直情型刑事(ブラッド・ピット)のコンビが良い、考えられた設定。
目を背けずにいられない猟奇殺人事件が起きる、そこには奇妙なヒントが、そして新たな事件が、そこに見えるものは犯人からの挑戦。
わざと残された手掛かりから浮かび上がるのはキリスト教の七つの大罪、その罪に従って犯行を行うという宣言。
さて犯人の思惑はどこに、という内容であるのだが、中盤大ドンデンが。

ドンデンは事件の内容ばかりではなくその性質だ。
早くも犯人が現れる、そこで観客は理解するのだ、この犯人こそが映画の主役であると、その存在感の大きさ、そして納得はできないが、彼の自分をも含む人間存在への否定。
だれもが原罪からは逃れられない、犯人は自らを救世主だと思っていたのだろうか、いや、そうではないと思う。
自らの存在をも否定する、それが彼の最大の目的だったのだろうと思う。

さて、彼ジョン・ドウ(ケヴィン・スペイシー)は、彼の思い通りの”コト”を果たしたのだろうか.
自分に何の存在意義も感じなければ人はなんだってできる、しかし彼は狂信的キリスト教徒だった、思い通りというのはその教義に沿って殉教したい、それが彼にとって意味のある事ではなかったのだろうか。
良くはわからないが、いろんな考え方ができると思う。

映画中盤から異様な緊迫感が漂い、先が読めてしまう、それはこの映画の欠点だろうかと言えばそうではないと思う。
先が読めるからこそ怖い、恐怖におののいてしまう、ああ、やはり、これでは救いがないではないか、という後味の悪い映画ですが、のめり込みます。
虚無の闇は深い、そういう映画ですがこれはケヴィン・スペイシーの名演あればこそでしょう。

 

少しチャラいブラッド・ピット、イノセントなグィネス・パルトロウ、思慮深いモーガン・フリーマン、対するケヴィン・スペイシー、人物像の配置も見事な一作です。