2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故で、未曾有の事態を防ごうと現場に留まり奮闘し続けた人々の知られざる姿を描いたヒューマンドラマ。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走するが……。現場の最前線で指揮をとる伊崎に佐藤浩市、吉田所長に渡辺謙という日本映画界を代表する2人の俳優を筆頭に、吉岡秀隆、安田成美ら豪華俳優陣が結集。「沈まぬ太陽」「空母いぶき」などの大作を手がけてきた若松節朗監督がメガホンをとった。

2020年製作/122分/G/日本
配給:松竹、KADOKAWA                                                                     映画.comより

 

         

 

事実と真実

映画は事実に基づいて作られている、だから冒頭から事実に突入する、正直映画始まって1時間くらいはものすごい緊迫感があった、この緊迫感の理由の一つは、あれからまだ9年という生々しさもあるからだろうと思うが、”そこ”に絞った構成や再現度、人間模様が演出、脚本、役者、どれもが高レベルの出来、世界で評価される映画と期待した。
現場職員の使命感、吉田所長の苦悩、決断、その内面が観客にもダイレクトに伝わってくる、最前線の実動隊長伊崎を演る佐藤浩市のやつれぶりもリアルで、東京本店、総理官邸の無力さに引き比べ、彼らの使命感には心震える。

かといって映画で描かれているままに当時の総理を批判してよいのかどうか、少なくとも必死で戦おうとしている、原発を推進してきたのは自民政権であり、9年後の今再稼働を目指しているのも自民政権である、そして今現在の国難で後手後手に回った対策しかできていないのが現実、果たして今現在この事故が起こったのだとしたら、当時の政権より効果的な指揮をできたかというとはなはだ疑問だと思う、というのは映画を観ながら考えたことだが。

前半は面白いという言葉は不謹慎だが、近年の邦画低調の中渾身の出来栄えであったと思う。

しかし後半、吉岡秀隆さんが原発機を”あいつ”と擬人化して呼んだあたりから邦画の悪癖が徐々に映画を支配していった。
友情や家族への思い、親子の情、それらの泣かせの演出だ。
チェルノブイリと比べ、このまま最悪の状態になればどれくらいの大事故か、日本壊滅状態になる、それが前半語られたことだが、後半に人情ドラマに矮小化してしまっている、そのうえ米軍のエピソードのシラケること、最終盤の桜美学に佐藤浩市さんの思わせぶりな佇まい、前半の傑作ぶりをぶち壊す演出にがっかり感が大きく、復興五輪という言葉を持ち出されたのにはどこかへの忖度が必要だったのだろうか、げんなりしてしまった。
昨日の新聞記事ではいまだ避難生活を強いられている方4万7737人という、これが現実、この方たちを置き去りにした復興幻想のように感じた。

映画前半との落差に呆然としてしまった。

惹句は「映画だから語れる、真実の物語」
事実を基に真実を紡ぎ出す、真実とは事実ではないということを肝に銘じなければならないと改めて思った。

しかし観ておかなければ、観ておきたい映画ではある。