「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ニンフォマニアック」の鬼才ラース・フォン・トリアーが、理性と狂気をあわせ持つシリアルキラーの内なる葛藤と欲望を過激描写の連続で描いたサイコスリラー。1970年代、ワシントン州。建築家を夢見るハンサムな独身の技師ジャックは、ある出来事をきっかけに、アートを創作するかのように殺人を繰り返すように。そんな彼が「ジャックの家」を建てるまでの12年間の軌跡を、5つのエピソードを通して描き出す。殺人鬼ジャックを「クラッシュ」のマット・ディロン、第1の被害者を「キル・ビル」のユマ・サーマン、謎の男バージを「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツがそれぞれ演じる。カンヌ国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門で上映された際はあまりの過激さに賛否両論を巻き起こし、アメリカでは修正版のみ正式上映が許可されるなど物議を醸した。日本では無修正完全ノーカット版をR18+指定で上映。 映画.comより
不謹慎だが面白い(ネタバレ)
1970~80年代というのは過去であるけれどまだ生々しい現実でもあるという時代設定が良い。サイコパスジャック(マット・ディロン)の殺人の記録が5話に分けて語られる。 目的は?方法は?何故?殺人にそういうことの連続性はないようです、またジャックという人物像も強迫性障害に悩まされているということしかわかりません。 一話・・・こんな不快な女は殺してやろう・・かろうじて動機はあるようです。 二話以降、殺すことで解消されていく強迫行為、快楽殺人的な要素も感じられるがジャックという人物像が語られていないのでよくはわかりません。 不快で怖い映画といわれているようですが、確かに不快です、悪趣味といえばそうですが、でも実際の残虐シーンはさほどない。 一番ギョッとしたのはアヒルさんの脚のシーンで、ヒェーと叫びそうになりましたが・・・・人間を実際に殺しているわけはないですがアヒルならどうでしょう、この時のジャックは少年、生まれついてのサイコパスということでしょうか。 これらの話に一貫した何かがあるかといえば、ジャックは家を建てている、気に入らず建てては壊しを二度ばかり・・・これは何を意味するのか、それもわかりません、エピローグで語ることへの布石とも思えます。 人の心の奥底はわかりませんから、殺人願望を映像化することで自己解放されたい、その意味するところを多少なりとも感じられればそこがこの映画の魅力なのではないでしょうか。 エピローグでヴァージ(ブルーノ・ガンツ)という人物が登場します、彼はジャックの心の中に棲んでいて映画序盤から彼らの対話が聞こえてきます。 目に見えないはずのヴァージが姿を見せてからの展開はこれは妄想か夢の世界。 私にはここからがとても面白かった。 夢・・・それは潜在意識の中の恐怖であり願望…つまりは”死”です。 早朝、覚醒前の浅い眠りの中で見る夢、どこまでも落ちていく恐怖で目が覚める。 地獄への案内人ウェルギリウスに導かれ地獄に落ちて救済される、そういうトリアー監督の妄想を映画化したものかなと思います。 パーソナルな映画をこれだけの作品に構築できる。さすが巨匠監督、構成、映像、音楽どれもが見事です。 効果的なデヴィッド・ボウイの「フェイム」、グレン・グールドの弾く「パルティータ」。引用されているグールドの映像はかなり以前からユーチューブにUPされているもので、グールドの持っている特殊性がこの映画に合っていると思ったのか、そうだとすれば嫌だな~という気持ちにもなりましたが(グールドのパパンパパンという歌っている声が絶妙にハマる)いずれにしても好感度など縁のない映画なので・・・ 地獄へ真っ逆さまの悪夢からエンドロールへ見事な”抜け”の曲 Hit the road Jack 解放感半端じゃあない、お見事。 動物は一切傷つけていませんという字幕に・・・ほっ。 追記 マット・ディロン怪演、怖いけれどとても魅力的、脚線美も健在。 |