近視だったのがだんだんと近くに焦点が合い、遠くが見えなくなってきました。

舞台を観に行っても焦点がぼやけて役者さんの顔がはっきり見えない、ここ2年くらいは映画もE列あたりでないと字幕が読めなくなっていました。

その分新聞だの本だのを読むのに不自由が無くなったのですが、良い機会なので・・・と言いますのは、昨年より家のメンテナンス中、この際ついでに住人も。

なんとなくイケイケなんです。

 

かかりつけ眼科で紹介状を書いてもらって近くの総合病院へ。

二泊三日で両目と思っていたのですが、日帰りで片目づつ、4月6日と13日。

多焦点レンズは片目40万円、もともとそのつもりはなかったのですがやはりお高い。

近方距離単焦点で保険治療、眼鏡を新しく作ります。

どんなメガネフレームにするか、ワクワクです♪

 

4月10日からアカデミー賞8部門ノミネートの『ハムネット』が公開されるのだけど、観に行けるか?

心配はそれだけ?

 

 

「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」に始まる「ビフォア」3部作や、アカデミー賞6部門にノミネートされた「6才のボクが、大人になるまで」で知られるリチャード・リンクレイター監督が、長年にわたりタッグを組んできたイーサン・ホークを主演に迎え、ブロードウェイの伝説的作詞家ロレンツ・ハートが訪れたパーティで過ごす一夜を描いた会話劇。

「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などの大ヒット曲を生み出してきた作詞家ロレンツ・ハートは、長年タッグを組んできた作曲家リチャード・ロジャースが、ハートに代わる新たな相棒と組んで手がけたミュージカル「オクラホマ!」が初演された1943年3月31日の夜、ブロードウェイのレストラン「サーディーズ」で行われたパーティに招待されていた。そこで過ごす一夜でハートは、愛や嫉妬、焦りや憧れなど、交錯する自身のさまざまな感情と向き合っていく。

イーサン・ホークがロレンツ・ハートを演じるほか、ハートが思いを寄せる女性エリザベス役でマーガレット・クアリー、かつての相棒であるリチャード・ロジャース役でアンドリュー・スコット、ハートが信頼する相談相手でもあるバーテンダーのエディ役でボビー・カナベイルが共演。2025年・第75回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、アンドリュー・スコットが最優秀助演俳優賞(銀熊賞)を受賞。第98回アカデミー賞では、オリジナル脚本賞と主演男優賞(イーサン・ホーク)にノミネートされた。

2025年製作/100分/アメリカ
原題または英題:Blue Moon                 映画.comより転載              

 

 

 

結末が描かれる、そしてブロードウェイで大成功の『オクラホマ!』オープニングパーティの一夜へ。

舞台は大成功、素直に認められないロレンツ・ハートの悪あがき、怒涛の会話が痛い。とにかくこの会話量に呆然とします。

 

リチャード・ロジャース役のアンドリュー・スコットが上手い

 

愛しているわ、でも、それは別の愛、愛にもろいろいろある

 

ハートの愛する女性をみるロジャースの表情の輝き、それをハートも見ただろう

 

スタンダードナンバー「ブルームーン」や「マイ・ファニー・バレンタイン」がこの映画のロレンツ・ハートの作詞、リチャード・ロジャース作曲というのは全く知らなかった、知る必要もないくらいのスタンダードナンバーです。

ハートとロジャースのコンビはかなり長く続いたようで、なぜロジャースはハートとのコンビを解消しハマースタインと組んだのか。

ハートの才能が枯渇したというより、ナイーヴで弱い人間ゆえの自己崩壊にロジャースは限界を感じハマースタインとのコンビにシフトした。

仕方ないです、映画でもロジャースは才能ある人格も円満なひとで、ハートに冷たくするわけではない、でも自分の作品を大事に思うなら一線を引くしかない。

 

そんな状況を分かっているけれどどうにもならない、いやわかっているからこそ悪あがきをする、他者から認められたい、愛されたい。

こういうところ誰にでも”多分”あると思う、そこのところをイーサン・ホークが名演というか、怒涛の会話量で演じています、会話の受け手はいます、どの人も上手い、そのうまさがロレンツ・ハートという人を際立たせています。

 

ロレンツ・ハートという特殊な人、ではなく、良く考えれば誰しもが持っているだろう心の奥にあるものを抑えられないほど追いつめられている人、そこを描いているからこそ映画が評価されているのだろうと思う。

 

 

この曲、好きなんです、シナトラの洒脱さにぴったり、エラ・フィツジェラルドの歌唱が素晴らしい♪

ロレンツ・ハートの曲だったとは!

「わたしは最悪。」で世界的に注目を集めたスウェーデンのヨアキム・トリアー監督が、愛憎入り混じる「親子」という名のしがらみをテーマに撮りあげた家族ドラマ。

オスロで俳優として活躍するノーラと、家庭を選び夫や息子と穏やかに暮らす妹アグネス。ある日、幼い頃に家族を捨てて以来、長らく音信不通だった映画監督の父・グスタヴが姿を現し、自身にとって15年ぶりの新作となる自伝的映画の主演をノーラに打診する。父に対し怒りと失望を抱えるノーラは断固として拒絶し、ほどなくしてアメリカの人気若手俳優レイチェルが主演に決定。やがて、映画の撮影場所がかつて家族で暮らしていた思い出の実家であることを知ったノーラの心に、再び抑えきれない感情が沸きおこる。

「わたしは最悪。」でも主演を務めたレナーテ・レインスベが主人公ノーラを演じ、名優ステラン・スカルスガルドが映画監督の父グスタヴ役で共演。妹アグネスをインガ・イブスドッテル・リッレオース、アメリカの人気俳優レイチェルをエル・ファニングが演じた。2025年・第78回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、第98回アカデミー賞では作品賞をはじめ8部門で計9ノミネートを果たした。助演男優賞ノミネートのスカルスガルドはキャリア初のオスカーノミネートとなり、アカデミー賞史上初めて外国語映画での助演男優賞ノミネートなった。

2025年製作/133分/G/ノルウェー・フランス・デンマーク・ドイツ合作
原題または英題:Affeksjonsverdi             映画.comより転載

 

 

イングマル・ベルイマンの『秋のソナタ』を思い出させるところのある映画です。

母と娘の確執が本作では父と娘のとなっている。

家族とは近いからこそ確執も大きい、愛憎紙一重。

ただ、愛が承認されなかったからの関係であり、愛がなければ確執もない、そこに救われなさのある深い傷が存在するが、関係修復の糸口が存在するのもわかる。お互いそれを望めば。

センチメンタル・バリューとは”愛着や思い入れのあるもの”という意味のようだ。

この映画では、家族、特に父と娘、そして祖母、母、父と暮らした思い入れのある"家"です。

思い入れのある家の壁には亀裂が入っている、老朽化しているからだろうけれど特に父と娘ノーラの間に横たわる断絶のように見える。

父は映画監督、ノーラは女優。なぜ今の状態に至ったか?父やノーラが語るわけではない。

舞台上で極度の緊張でパニックになるノーラの様子、妹アグネスが父と姉の間の触媒となり、何が彼らを傷つけて来たかが見えてくる、家族を捨てた父が娘の主演で新作を撮ろうとしている心のうち、父の思いは観客にはわかるがあまりに不器用でノーラには伝わらない。

その主演を演じることになったハリウッド女優のレイチェルは監督の真意を察し自ら役を降りる。

映画中映画を通して、祖母や母のことが見えてくる、そして妹アグネスの思いも。

 

映画は家族の物語、撮影場所はかつて彼ら家族が暮らした思い出の家をリフォームして。

壁の亀裂は消えたはずだ。

父と娘の関係は修復されるのだろうか?

 

重層的な脚本の作りは誠実でたくみ。

感情を爆発させるノーラと抑え込む父、その間の立ち位置の妹アグネスという配置が良い。

ハリウッド女優ではこの役は合わない、という役作りのエル・ファングも上手いなと思う。

そんな誠実な演技者の中で、ステラン・スカルスガルドの老いた存在感がさすが名優と思わせられた。

 

「シェイプ・オブ・ウォーター」「パンズ・ラビリンス」で知られるメキシコの鬼才ギレルモ・デル・トロが、19世紀イギリスの作家メアリー・シェリーが生み出し、後世の多くの創作物に影響を与えたゴシック小説「フランケンシュタイン」を映画化。デル・トロが長年にわたり映像化を熱望してきた企画で、自ら製作・脚本も担当した。

己の欲望に駆られたヴィクター・フランケンシュタインは、新たな生命の創造という挑戦に乗り出す。そして、その果てに誕生した「怪物」の存在が、人間とは何か、そして真のモンスターとは何かを問いかけることとなる。

フランケンシュタイン役は「スター・ウォーズ」シリーズや「DUNE デューン 砂の惑星」のオスカー・アイザック。怪物役を「プリシラ」「Saltburn」のジェイコブ・エルロディが務める。そのほか、「X エックス」のミア・ゴス、「ジャンゴ 繋がれざる者」のクリストフ・ワルツ、「西部戦線異状なし」のフェリックス・カメラーらが共演。撮影は「シェイプ・オブ・ウォーター」「ナイトメア・アリー」のダン・ローストセン、音楽は「シェイプ・オブ・ウォーター」のアレクサンドル・デスプラ。2025年・第82回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。第98回アカデミー賞では作品賞、撮影賞、脚色賞、助演男優賞ほか計9部門にノミネートされた。Netflixで2025年11月7日から配信。それに先立つ10月24日から一部劇場で公開。

2025年製作/149分/PG12/アメリカ
原題または英題:Frankenstein                映画.comより転載

 

 

 

人を人たらしめているものは何かということが描かれている

Netflixの映画だが、限定公開されているのは知っていた、でも、実はギレルモ・デル・トロの映画は苦手、力のある監督なのはわかるし、苦手なテーマではない、でもこの監督のなんだろう?趣味が合わないのだ。

なので鑑賞を見送ったが、京都シネマで一週間限定公開していた、アカデミー賞にもノミネートされているし、フランケンシュタインのお話そのものは嫌いではないので鑑賞。

 

デル・トロ監督の特に苦手な作品というのが『シェイプ・オブ・ウォーター』なのだけれど、本作は良く似た作品でしかも物語が深くなっていて、趣味が合わないということも減っていた。

長尺ではあるけれど章立てになっていて仕組みがわかりやすいしクラシック映画の感じがあるのも良かった。

 

 

父から愛されず育ったフランケンシュタイン博士は自己承認欲求を満たすために悍ましい実験に挑み怪物生み出す、知性を持たないモンスターだと思っていたものが人間と同じ心を持つにいたるが、そこにあるのは絶望と孤独だった。

この記事を書いていて、あっと気が付く、父とフランケンシュタイン博士、そして博士と怪物の関係は同じだ。

フランケンシュタイン博士の不幸は父を許せなかったことだと思う。

 

死を目前にして博士は怪物を息子として受け入れた、そして怪物も父としての博士を許した、怒りが消えそこには愛と赦しがあった。

重厚に激しく描かれている”人間とは何か?”という物語。

 

鑑賞を迷っていた背中を押してくれたのオスカー・アイザック主演ということ。

 

 

そしてジェイコブ・エルロディが恐ろしい怪物が実は中身は純真な少年だ、ということを愛を希求する悲しみに満ちた眼差しで分からせてくれ適役。

 

ミスキャストではないか?という意見もあるだろうミア・ゴス、これは彼女じゃないとできない適役だったと思います、普通の美女ヒロインではだめ、何もかもを見通す目を持った不幸が似合う強い女性、聡明とはちょっと違う。

 

 

見応えのある映画でした。

 

以前にもどこかで読んだことがあるのだが・・・

ややこしい言い回しをしているが、自民党の安全保障委員会は・・要は武器輸出を解禁する提案をマイルドな言い方(どこがマイルド?胡散臭い)にしているが、武器輸出を解禁したいわけです。

今日の新聞のコラムでも読んだ。

かつて宮澤喜一元首相は外相時代武器輸出解禁を問われ・・

「わが国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれていない、と言いますか、もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきであろう」

と答弁されたとか。

 

武器の輸出は平和のためという言い訳をするのだろうが、苦しすぎる、これが普通の国になるということなのだろうか。

 

では、これはどうだろう。

私の考えでは

 

旧宮家養子は国民には受け入れられないでしょう。
諸外国を見ても直系長子が継ぐのが当然だと思います。
日本の一般家庭、男系男子が家を継ぐという考えが法的にも存在しないのに天皇家だけにというのはアナクロいと思います、もはや伝統ではないと。

 

そして選択的夫婦別姓ですけれど、ここまで反対しなければならない理由は何ですか?子供がかわいそう?家族の絆が壊れる?じゃあ他国の家族の絆は弱いのだろうか、他国の子供がかわいそう?

同姓を選択するしかない日本でなぜこんなに離婚が増えているの?

 

反対をしなければならない理由が他にあるのでしょうと思うほかない。

日本とはこういう国であるとすれば、これが普通の国なんだろうか?

誇りと理想を失くした国が普通の国なんですかと問いたい。

 

この頃毎日が面白くない、否応なく嫌な話が耳に入ってくる、自分が口にした言葉は実は自分という人格を表している、政権もタガが外れてきたが、それは国民も同じだ、私自身、自分を顧みなくてはとおもう。

 

そうだ、猫に話を聞いてもらおう。

 

天国でしっかり聞いているニャー