人生を諦めかけていた英語教師と、重油にまみれた瀕死のペンギンの出会いを描き、世界22カ国で刊行されたベストセラーノンフィクション「人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日」を、「フル・モンティ」のピーター・カッタネオ監督が映画化。

1976年のアルゼンチン。人生に希望を見いだせずにいた英国人の英語教師トムは、名門寄宿学校に赴任する。軍事政権下で混乱する社会、そして手強い生徒たちに苦戦する中、トムは旅先で出会った女性とともに、重油まみれの瀕死のペンギンを救う。しかし女性にはあっさりフラれてしまい、トムのもとにはペンギンだけが残る。海に戻そうとしても不思議と彼のもとに戻ってくるペンギンを「サルバトール」と名付け、奇妙な同居生活が始まる。やがてトムは、サルバトールとの生活を通して、人生にとって本当に大切なものを取り戻していく。

「ロスト・キング 500年越しの運命」のスティーブ・クーガンがトム役を演じ、トムが赴任した学校の校長を「2人のローマ教皇」「未来世紀ブラジル」のジョナサン・プライスが演じる。脚本を「あなたを抱きしめる日まで」でアカデミー賞にノミネートされたジェフ・ポープが担当。

2024年製作/112分/G/スペイン・イギリス合作
原題または英題:The Penguin Lessons           映画.comより転載

 

 

 

セラピストペンギン

年末30日だったかブロ友さんの記事で知った映画、全く情報がなかったので見逃すところだった、メジャー館上映だったんですね。

映画は元旦で上映終了、31日に行くしかない、初めて行く映画館、夜、しかも神戸だ(遠くはないが滅多に行かない)。

スティーブ・クーガン×ペンギン(マゼランペンギン)×南米となると行くしかない。

クーガン好きなんです、いかにもな英国人で才人コメディアン、自虐ネタが面白いかな?それとも人を煙に巻くユーモアが? クールなシニカルを装いながら実はそうではないという、実際の人となりは知りませんが、素に見えたりして好ましいのです。

 

 

映画で描かれるのは軍事独裁政権下での恐怖、体制を批判すれば即しょっ引かれ拷問とか。

親しい知人が拘束された、救いを求めているのを見ているだけで恐怖で何もできなかった、本当は小心な自分を確認する苦い思い。

何故助ける行動に出られなかったのか、それは観客への問いかけでもある。

この立場に立てば勇気を出して行動できる人は少ないだろう、そして行動したとしても、一人殺されるのが二人になるだけという気もする。

自分だってできない、というのが観客の答えではないだろうか、自分を責めることはできないと思うが、良心があれば内心忸怩たる思いがあるのは当然で・・・

 

ファン・サルバドール(ペンギンにそう名付けた)聞いてもらおう。

同僚もペンギン相手に独白。

校長も同じく。

 

 

 

いうことを聞かない生徒たちだって変わって行く。

 

悩みごとの相談なんてものは、意見を聞きたいわけではない、話を聞いてほしいだけなのだ、話しているうちに心の整理ができる、重要なのは聞き上手。

犬も、猫も、ペンギンも聞き上手。

誰もが頑なな心の扉を少しだけ開き、自分を肯定する力を取り戻していく。

トム(クーガン)に一歩を踏み出す勇気を与えたのはファン・サルバドール。

 

 

原作あり(ノンフィクション!)の映画化だが、主人公の年齢やらキャラクターがずいぶん変えられているようだ、本作のスティーブ・クーガンも素のように見えるし。

 

本作の一番の見どころはペンギンかな、名演というか、悶絶かわいい。

不器用でかわいいペンギンがプールでスィーーーー~と泳ぐ姿の爽やかで美しいこと。

ペンギンは群れからはぐれたら生きていけない、連れ帰って正解だったのだ。

 

校長先生を演じたのはジョナサン・プライスだったらしい、全く気が付かなかった。


 

 

芥川賞と直木賞受賞作は貸してくださる方もあり、特に芥川賞はほぼ読んでいる、あまり面白くないのだけどね~。(昨年の安藤ホセさんの「DTOPIA(デートピア)」は久しぶりに、おーーー!と思う展開だった)。

直木賞受賞作は”読ませる面白さ"(大衆小説と言い切ってしまうのはどうかな?)の作品が受賞しているので、好みはあるけれど惹きこまれるものが多い。

読んでいて思うのは、私は“疾走する”お話が好きなんだな、ということ。

 

近年読んだ直木賞受賞作

第172回受賞(2024年下半期)「藍を継ぐ海」伊代原 新著 ほぼ300番目の図書館貸し     出し待ち中、なので未読

第170回 「八月の御所グラウンド」 万城目学著

第165回 「星落ちてなお」 澤田瞳子著

第163回 「少年と犬」  馳 星周著

第162回 「熱源」  川越宗一著

第160回 「宝島」  真藤順丈著

第156回 「蜜蜂と遠雷」 恩田陸著

第153回 「流」  東山影良著

 

これらの中で”疾走”する物語というのは「熱源」「宝島」「流」かな。

 

映画「宝島」を観て、”肝心な部分”が描けていない、なのでどうにも説得力がなく散漫な出来のように思った、なので原作を友人に借りて読んだ、戦後沖縄の動乱の歴史にフィクションを入れ込んだとても面白い読み物で夢中になる内容だ。

 

オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出す。

というところ、この”何か”でなぜ米軍が動き出すのかはさっぱりわからない、当時はよくあった事件なのではないか?とも思う。

しかし、巧く描かれてはいないけれど、映画から伝わる意味合いとは別の価値観が原作にはあるのではないかと思った、そうであれば、そこを描けば説得力のある内容になったのでは?と思う・・・・いや、描いているのだけれど伝わってこないのだ。

そんなこんなで原作がとても気になります。

と、映画『宝島』のレビューに書いたが、原作も同じ感想にならざるを得ない、そこへ至るまでの過程はやはり原作の構成が巧みなんです。ある時ある場所にすべての出来事が集結してお話がどーーんと進みだす、それを何度か繰り返す、まさに”疾走する物語”

 

沖縄とアメリカの関係、それは今現在の日本とアメリカの関係に重なる。

理不尽な状態に置かれている沖縄は今も昔も変わらない。

 

グスクとレイとヤマコの三人、グスク役の妻夫木聡が主演だが、レイ役の窪田正孝のほうがグッと魅力的だった。

これは、妻夫木さんがどうとかじゃなく、原作もレイが陰影濃く直情型でそれが窪田さんの個性によく合っていた。

 

    

 

 

1970年代に起こった連続企業爆破事件の指名手配犯で、約半世紀におよぶ逃亡生活の末に病死した桐島聡の人生を映画化。2024年1月に末期の胃がんのため、神奈川県内の病院に入院していることが判明した桐島聡は、偽名で逃亡生活を送っていたものの「最期は本名で迎えたい」と素性を明かし、大きく報道されたが、その3日後に他界。数奇な道のりを歩んだ桐島聡の軌跡を、「夜明けまでバス停で」の高橋伴明監督のメガホンで描く。

1970年代、高度経済成長の裏で社会不安が渦巻く日本。反日武装戦線「狼」の活動に共鳴した大学生の桐島聡は、組織と行動を共にする。しかし、1974年の三菱重工爆破事件に関わり、多数の犠牲者を出してしまったことで、深い葛藤に苛まれる。組織が壊滅状態となり、指名手配された桐島は偽名を使い逃亡生活をつづけ、ある工務店で住み込みの職を得る。ようやく静かな生活を手にした桐島は、ライブハウスで知り合った歌手キーナが歌う「時代遅れ」に心を動かされ、相思相愛の関係となるが……。

桐島聡役を毎熊克哉が演じ、奥野瑛太、高橋惠子、白川和子、下元史朗、甲本雅裕らが顔をそろえる。

2025年製作/105分/G/日本                映画.comより転載

 

 

 桐島容疑者は、1975年4月17日に東京・銀座の韓国産業経済研究所に手製の時限爆弾を仕掛け翌日に爆破した疑いで同年5月に指名手配。事件から50年近くが経過しているが、犯行グループのメンバーである大道寺あや子容疑者らが海外逃亡しているため時効は停止されていた。

ということで、いつ逮捕されてもおかしくない状態だったが、それでも、死者が出た事件には直接かかわってはいないので、外野としては彼のためには逮捕されていたほうがよかったのではとも思うが、・・・そうではないだろう、仲間を裏切り自分を否定することはできないという思いが大きかった?本当のところわかりませんが。

 

高橋伴明監督自体こういうタイプの人だし、同年代の人が共感する映画かもしれない、描かれているのは監督自身を投影した桐島聡であると思う

私自身、そういう年代なので、共感というわけではないが惹きこまれてしまうところがある。

 

 

挿入歌として時代のアングラな曲が・・・雰囲気を醸し出している。

 

 

75年から84年の彼の逃亡生活は不明だ、映画で描かれているのは1984~2024年の40年間だが、とある工務店でずっと働き続けていた、潜伏というのかどうか。

そこには普通の人間関係も、恋さえもあった。

工務店で働く若者が外国人労働者をののしることに怒りを爆発させるシーン、他にも、桐島が桐島であることに変わりがないと思わせられるシーンがあった、何が彼を支えて来たか考えさせられた。

 

履歴書なし、納税義務なし、厚生年金なし、保険証も無し、アパートあり、という彼にとっては好都合だったが、日雇い労務者として40年間生き、そして死んだ。

 

末期の胃がんで救急搬送され、もはやこれまでと覚悟した彼は、「最期は本名で迎えたい」「東アジア反日武装戦線の桐島聡です」(こうはっきりと言ったかどうかは記憶にないが)と名乗ったのは自分の人生を肯定して逝きたかったのか、映画の内容からは偽名で生きても彼はずっと桐島聡であった、監督はそう描いていたのだと思う。

 

死亡した彼のアパートの部屋からキルケゴールの名言「後ろを向けば人生を理解できるが、生きるのは前を向くしかない。キルケゴール」と書かれたメモが見つかったらしい(彼の心のうちを推し量ってしまう)。

 

・甲本雅裕演じる不審なアパートの隣人が良い味を出していて、胡散臭さと人間味を感じさせた。

 

・高橋惠子さんの、ちょっと出はインパクトが凄くて、おーーー!と思ったが、余計なシーンだったと思う。

 

U-nextにて鑑賞

 

お正月には『国宝』二度目鑑賞の予定だった、もちろんお正月にこそ観たい映画だと思ったからだ。

昨年の流行語大賞には選ばれなかったが、私なら「国宝観た?」を選びたい、だって、実際に流行語になっていなければね、どういう基準で選ぶんだか?と思ってしまう。一回目観たときは観客は3割くらいの入り、昨日は7割の入りかな、お正月は『国宝』でと思われた方も多いと思う。

普段映画など観ない方も足を運ばれた、その口コミの力、人から人へと伝達されるその魅力を改めて味わいたいと思った。

年末の私の”1年間の鑑賞映画の評価”では◎と〇で本作は◎ではなく〇、それは今も変わらないが、本作が歴史に残る観客動員をしているのはよくわかる、そこには全く異論の余地はないのだ。

例えば、乱暴かもしれないが『風と共に去りぬ』のような。

 

今や日本映画界を代表する渡辺謙、そして歌舞伎界名門出身の寺島しのぶが映画の土台にあり、若手(中堅に近い)実力者、吉沢亮と横浜流星が実力のあるところを見せてくれる。歌舞伎の名跡を継ぐもの、それは”血筋”か”才能”か、そこには映画最初の舞台シーン連獅子が後の父の深い胸中を想像させる、が、二人は知る由もない。

 

表情のクローズアップのシーンが多いが、吉沢亮の演技は、うーーーむと思わせられる上手さがある、老いてからの表情も深い。

李相日監督が「吉沢亮がいなければ映画を撮れなかった」とおっしゃったらしいのがよくわかる魅力と実力だった。

 

後半駆け足でもったいないと思ったのは二度目観賞でも同じだったが、前半、中盤も削るところはなく、3時間以上の尺は難しいだろう。

 

これからアカデミー賞のシーズンに入るし、4月くらいまでのロングランになるのではないだろうか。

 

 

 

 

明けましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

年度初めの記事は映画レビューではなく、冬のお友達の話で。

 

右上部に小さく見えます、ジョウビタキさん。

冬になるとやってきます、スズメよりこころもち小さい。

お目当ては下に繁っているピラカンサの実、もうほとんど食べてしまいました。

 

こんな感じ(ネットからお借りした画像)、他の木の実より美味しいらしい。

赤い実が多いけれどうちのは黄色です。

 

ジョウビタキは渡り鳥で、チベット、中国北部、バイカル湖あたりで繁殖し、中国南部、日本、インドシナ北部で越冬するようです。

 

華やかなのが雄

 

地味なのが雌

(どちらもネットから画像をお借りしました)

 

最初はカップルで来ていたのですが、ここ何年かは雄のみ。

鳥って終生添い遂げると聞いたことがありますが、そうなのかな?

 

ピラカンサがなくなったころにメジロがやってきますが、食べるものがない?

ミカンを枝に刺しておくとかして歓迎しなくては。

時々ギャングのヒヨドリもバサバサッとやってきます。