トリコロール | malukingのブログ

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 パリで同時多発テロが起きました。
 犠牲者に哀悼の意を示すために、Facebookがプロフィール写真にトリコロールを重ねる機能を付けたり、他にもいろいろなところでトリコロールが掲げられています。Facebookのプロフィール写真、僕もやってます。
 あれだけの事が起きたら、犠牲者に哀悼の意を示す事はごく自然な行為だと思います。しかし、それに対する批判があります。最近では批判意見の方が多いくらいです。なぜ、彼らは批判するのでしょう。

 批判の内容は主に3つくらいにまとめられます。
 ・何も知らないくせに、「好感度が上がりそうだから」みたいな理由で、周りに流されて気持ち悪い。
 ・フランスがシリアで空爆している事を考えると、トリコロールを掲げることが、「フランス空爆支持」と捉えられたり、シリア人の気持ちを逆なでる。
 ・フランスだけじゃなく、世界中でたくさんの人が苦しい状況にあるのに、フランスにだけ連帯を示すのはどうか。

 ま、理屈が分からないではないが。3つともフランスに哀悼の意を示さない理由にはなりません。

 まず、最初の批判は全くの論外ですね。的外れもイイトコです。
 「何かオシャレだから」という人も少しはいるでしょうけど、ほとんどの人は「何が起きたか」ぐらいは知ってると思います。そして、多くの人が「良く考えた上で」哀悼の意を示していると思います。数が多くなると何故か「安易にやってる感」がでてくる事は否定できませんが。
 もちろん、背景を知ったりすることも大事ですが、哀悼の意を示すのに必ずしも「背景への知識」が必要でしょうか?必要ないと思います。たとえ、何も知らなくて「オシャレきっかけ」だったとしても、これを機会に知ることもあるでしょう。「何でトリコロールを掲げてるの?」から議論が生まれることもあるでしょう。多くの人に広まり、議論が深まるきっかけになればそれだけでも、意味はあります。何もしなければ議論も起きません。
 こういう場合は「安易にトリコロールを掲げるな」と批判するのではなく、「トリコロールを掲げるだけでなく、これを機会にみんなでイスラム国の問題を考えよう」と意見すべきです。
 大体、こういう批判をする人って、批判することによって「俺はさらにもう一段深く考えている」って主張したいだけだったりすることが多いです。さらに、こういう批判が蔓延すると今度は「批判する方がカッコイイ、哀悼の意を示す方が浅はか」というような意見が主流になって、みんなが自粛し始めます。
 しかし、みんなが何もしなかったら、何も起こらなかったのと同じです。心が動いたなら絶対に何かした方が良いです。難しいことができないなら、まずは簡単な事でも良いです。
 東日本大震災の時に色々な国の人が「日の丸」を掲げてくれましたが、その時にもし、「日本の事何も知らないくせに安易に日の丸を掲げるな」という批判が蔓延して、みんながやめていったら寂しくないですか?こういう批判をする人たちはそういう事がを何も分かっていないのでしょう、こういう「自粛を促すような批判」は嫌いです。どうせなら「黙ってないでなんか言え」という批判の方がまだ良いです。
 日本の社会には人が何か意見を表明するとすぐに「自粛」「自主規制」を促すような批判がはびこって、よっぽどのことがない限り余計な事は言わない方が良い、自分の意見は表さない方が良いという空気ができてしまいます、何度も言いますがこういうのは嫌いです。
 他人の批判が怖かったら、「神戸牛サイコー」という意見も言えません。世の中には肉食を批判するヴィーガニストという人たちがいるんです。
 とにかく、間違ってても良いから、意見を表明してみましょう。批判の中には、納得できるものもあるかもしれません。そうしたら、その問題に対する見識は一層深くなるってもんです。

 2つ目の批判ですが、これって「かもしれない」レベルの話です。僕が読む限り、(在外も含めた)イスラム国支持者以外のシリア人やシリア人支援をしている人々、フランスの空爆を非難している人どこからも「トリコロール掲げないで」という声はまだ聞こえてきません。
 「ザマーミロ」とか「当然の報いだ」と思っているような人たちへ気兼ねが必要ない事は当然です。もし、空爆の被害者やシリアの人が、嫌悪感を示したとしても、それは「フランス国軍によるシリア空爆」へのものであって、「パリ市民に哀悼の意を示すこと」へのものではないと思います。
 これらの人たちは「トリコロールを掲げること」が「フランス軍への支持」だと勘違いしているだけなので、丁寧に説明して誤解を解いてもらう努力をすればいいだけの事です。「誤解」を恐れていたら、何も表明できなくなってしまいます。これは、1つ目の批判に対する反論と同じです。
 もうひとつシリア人が「トリコロール」への嫌悪感を示す可能性があるとすれば、それは「被害者は彼らたちだけではない!」という気持ちだと思います。これは、3つ目の批判の反論につながるのですが、「他にもいるから何も表明しない」ではなく「両方に哀悼の意を示してあげればいい」のだと思います。

 ちょっと先走っちゃいましたが、3つ目の批判についてです。ウチの小6の娘にも指摘されましたが、毎日世界中で様々な事件が起きて、たくさんの人が犠牲になっていることは残念ながら事実です。
 しかし、それがどこにも哀悼の意を示さない理由になるのでしょうか?ならないと思います。思い当たる限りできるだけたくさんの人たちに気持ちを示せば良いだけの事です。
 だからと言って、世界中で起きる全ての事に態度を示すことはできません。また「世界中の理不尽に命を奪われた人全員に哀悼の意を示します」というのはかえって安易で冷たい感じが否めません。
 そうなると心理的に近い国が優先されて、遠い国まで行き届かなくなるのは人間ですから仕方のない事でしょう。
 僕はヨーロッパサッカーをテレビ観戦するのが好きなのですが、ヨーロッパではキックオフ前によく「黙祷」します(場合によっては拍手で弔意を示すこともあります)。
 大抵は、サポーター、チームや協会の関係者、OB等が多いのですが、外国の事件の犠牲者に対しても行います。いつも観ながら「素晴らしい行為だな」と思います。
 だけど、Jリーグではほとんど行いません。もっとやったら良いのにと思うのですが、日本ではA国に対して「シンパシー」を示すことは、そのライバルのB国の批判を招くととられかねないため、よほどのことがない限り海外の特定の事件に対しての黙祷は行いません。
 でもこれって、考えすぎだと思います。また別の言い方をすれば臆病なんだと思います。たとえB国が怒ったとしても別にいいじゃないですか、堂々と哀悼の意を示して欲しいです。そして、B国で何か起こった時にも黙祷してあげましょう。A国とB国両方に哀悼の意を示すことが矛盾しているという人なんかいません。そんな事を言う人の意見は無視して良いと思います。

 上のような理由で僕は期間限定ながら、Facebookのプロフィール写真にトリコロールを重ねています。
 僕は「アイスバケツチャレンジ」の時も賛成派でした。あの問題の時も広まっていくに従って批判が増えていきました。誰とは言いませんが、「僕はやりません、でも寄付はします」と表明した芸能人もいました。
 あれも、広がっていく事によってかえって「安易なハヤリ」に見えてしまう、不思議な現象が起こりました。
 寄付するのはもちろん素晴らしい行為なのですが、「アイスバケツチャレンジ」には「メディアに取り上げてもらって、この病気の知名度を上げる」という大事な目的もあるのです。実際あの運動で、知名度は上がり寄付も増えたそうです。これは「氷をかぶらず、寄付をする」という行為では成しえなかった事です。みんなが「氷をかぶらず、寄付をする」となるとあっという間に話題は忘れ去られていきます。
 あれ(氷をかぶらず、寄付をする行為)がカッコ良く見えたのは、広まった後だからです。広まった後でなければあの行為はカッコ良く見えません。もし彼が始まったばかりの段階であの行為をしていたら、寄付は増えなかったでしょう。そういう意味で僕は彼の行為が正しかったとは思えません。彼には彼の寄付金以上の役割があったのです。
 その役割を彼が放棄したことは間違いありません。もちろん「バケツをかぶる」という行為自体は任意なので、間違っていたとも言えませんが。
 「アイスバケツ」であっても「トリコロール」であっても、自分が自信をもって「イイ」と思ったことは恥ずかしがらずに、批判を恐れずやりましょう。たとえ「おバカの浅はかな行為」に見えてもいいじゃないですか、甘んじて「ピエロ」になりましょう。僕の事をよくも知らないで批判する人の意見に揺さぶられることなんかないのです。