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sylvania・・time

人生に優しい時間が欲しくて、ちょっぴりシルバニアを集めてみました。

愛らしい小物達に、癒されに来て頂けると嬉しいです。

また、フィギュアスケーター鈴木明子選手の大ファンで、冬季は鈴木選手の記事も掲載します。

実の所、1月の中旬から、結構酷い鬱になってました。

ま、鬱は慣れっこなので、またか・・と、思いつつ、感情が鈍るのと、だるさ、それに加えて、1月から二月まで、三週連続で丁度日曜日から三日程寝込み、

こんな調子で、あっこちゃんの応援に行けるのか、不安だったし、また、何だか自分が現地へ行く事を想像じてみても、実感沸かなかったし、喜びもなかった。



ただ、義理堅い性格なので、「一度あっこちゃんのコメント欄で公言して、約束した事だしな・・・。」と、

当日、あれこれ準備して。


お留守番させてしまうわんわんにゃーの為に、ストーブの確認、ご飯、お水、トイレ。

凡そ丸二日、留守してしまうから。


支度してた頃、丁度テレビで女子シングルのショートが始まった。

びっくりだった。

予約録画してたけど、男子フリーが先かなって思ってて、私は夜9時、家を出発の予定だったから、あっこちゃんのショートは観れないな、結果だけ、11時過ぎたら友達に聞こう、と思ってた。


それが・・・以外に早い、女子ショートの試合放送。

迷いながら支度は整ったのが、丁度9時。

でも、この頃にはもう最終グループが出て来始めてて、あっこちゃんの滑走順を計算すると、9時半近く。


道路はアイスバーンに、うっすら雪が降っている。

こういう状況が車は一番滑りやすい。

札幌まで行く、都市間長距離バスの乗り場まで、車で一時間半。

でも、道路状態を考えたら、普段より一時間早めに出たい。


でも・・・。

行こうか、それとも折角取ったチケット。

一生の思い出に、大事に取っておこうか、まだ悩んでいた。

時間は9時を回ってどんどん過ぎて行く。


行くなら、早めに出ないと、バスに乗り遅れる危険がある。

そうしたら、その後の乗り継ぎ、みんなパーにしてしまう。


そこで、私は賭ける事にした。

少々危険だけど、あっこちゃんのショートの演技を観てから、決断しよう。

一刻を争うので、荷物を玄関に置き、上着を着て、ついでに何と、底の汚れていない、ヒールのない、ロングブーツを部屋へ持ち込み、部屋の中でブーツを履いて、心が決まれば、即飛び出せる状態にした。


9時20分頃。

ようやくあっこちゃんの演技が始まった。

私はこう決めた。


もし、今日あっこちゃんが、大きなミスをしたら、私も諦めよう。

元々、行ける体調じゃないし、あらゆる意味で、無茶なんだ、と。


そして、あっこちゃんがテレビの中で、「キル・ビル」を踊りだした。

素晴らしい演技をあっこちゃんは続けていた。

やっぱり、「キル・ビル」には、あっこちゃんは苦手意識をほぼ完全になくしてる。

会場は最高の盛り上がり。

このまま、行けるかも知れない。


あっこちゃんは、魂と気迫の篭った、最高の演技をした。

彼女の演技が終わった瞬間、心を決めた。


「お母さん行って来るね!!」

私はわんわんにゃーに叫んだ。


この子がしっかりやり切ったんだ。

だったら、私も明日の為に全力を尽くそう!


あっこちゃんの点数が出る前には、家を飛び出して車に乗っていた・・・・。




私は、過去に二回、観客の共鳴の力が、どんな奇跡を起こすのか、目の当たりにした事がある。


一度は、生まれて初めての、生のジャズライブの時だった。

あるホテルで行われたそのジャズライブに、私は付き合いで、参加しなければならなかった。


一緒に行く人達も、私も含めて、みんなジャズには疎い。

恐らく、会場の観客の殆どがそうだろう。

ホテルのイベントに、人が集まらず、知人から知人を呼び集め、何とか会場に50人程度が揃った、と言うライブだった。


ホテルなので、先にコースのディナーを食べて、それからジャズバンドが登場し、(日本人、外国人、入り乱れてのバンド構成だった)喫茶店などでよくかかる、古き良きアメリカを感じさせる、軽快で心地いい演奏が始まった。


観客は、全員静かに聞いている。

まるで授業でも受けてるようだ。


一曲終わると、お義理の拍手。


そんな事が、二回、三回と続いた。


しかし、初めてちゃんと聞くジャズの音楽に、私はすっかり魅了された。

ボーカルの伸びがあって自由自在に操走る声。

アップテンポでリズミカルな、初めて目の前で聞く、ジャズピアノ。

トランペットの軽快で、気持ちいい響き。


四曲目になっても、相変わらず会場は静かだった。

手拍子一つ起こらない。


しかし、音楽を聴いていると、もう、体がじっとしていられなくなる。

最初、テーブルの下で、足がリズムを取り出して、靴が床を静かに、そしてリズミカルに、音楽に合わせて動いていた。


そのうち、今度は肩が左右に動き出す。

体が音楽に合わせて、どんどんリズムを刻んで行く。

私は音痴なんだけど、リズム感だけはあって、音楽の調子を掴むのは得意だった。


手拍子を打ちたい衝動に強く駆られた。

でも、会場は静まり返ってる。

私は、ジャズの生演奏を聴いた事がない。

ジャズを生で聴く上での、お客のルールやマナーが分からない。


手を打っていいんだろうか?

それとも、静かに聴くのがルールなんだろうか?


でも、魂を揺さぶる音楽は、私の理性を駆逐した。

会場でたった一人、どんな目で見られてもいい、この音楽を楽しみたい、と思って、私はいきなり、曲に合わせて、猛烈に手拍子を打ち、足を踏み鳴らし、体ごと音楽に入り込んだ。


その瞬間、私には奇跡が起こった。

演奏をしていたジャズバンドが、全員一斉に私を見た。

そしてまずボーカルが、満面の笑みになって、私の方へ手を差し出し、それまでと比べ物にならないくらい、艶の乗った伸びやかな声で歌い始めた。


ピアノの演奏者の手が、それに合わせて猛烈な勢いになって鍵盤を弾き鳴らした。


トランペットは、体をくねらせながら、高らかに力強く、ペットを吹き始めた。


私の反応と共に、それまで控え目だった演奏が、一気に爆発をしたのだ。

もう訳が分からない。

ノッていいのか、会場は相変わらず静かなまま。

それでも、4、5人が、私に合わせて、他の観客を意識しながら、控え目に手拍子を打ち始めた。


バンドは更に勢いづいた。

結果、私はそれに乗せられ思い切り音楽に合わせてリズムを取って、バンドの全員と、アイコンタクトを交わしながら、お互いの共鳴が始まった。


それから一時間、相変わらず、殆ど動かない多数のお客をヨソに、数人の静かな応援の中、私とバンドは一体になってジャズを楽しみ抜いた。


バンドは完全に、私を引き込もうと、どんどん演奏に熱を入れて、誘って来た。

私はそれに呼応して、バンドが思うままに演奏出来る様、白けている様な、唖然としている様な周囲を無視して、手を打って、声を出して、彼らの音楽に完全に取り込まれてる事を全身で伝えた。


バンドはもう、他のお客に構っていなかった。

私の方へ、皆サインを送り、もっと盛り上がっていいぞと、手を上下させて促し、ひたすら私と、ライブを力一杯楽しんだ。


全ての演奏が終わった時、私は他の観客が見詰める中、1人立ち上がって、拍手しながらガッツポーズを取り、バンドはそれにガッツポーズで応えて来た。


最高の瞬間だった。

共鳴。


共鳴がその場を一気に変えた。

バンドが私一人の共鳴によって、一気に生き返り、歌から演奏から、全てがそれまでと、比べ物にならない位に生き生きとした、最高の演奏になった。


演奏者の心に、観客が応じる事が、こうも演奏者の力を引き出す事を、私はこの時、初めて知った。


後で、ジャズファンに聞いてみた。

ライブでの私は間違っていたかどうか。

その人はこう言った。


「お前、ジャズってもんは、足をダンダン踏み鳴らし、手を叩いて、全身で楽しむ音楽だぞ。会場が静まり返っていれば、バンドは自分達の演奏に満足していないのかと、不安になるさ。」



20年くらい前。

千葉のある乗馬クラブに私は通っていた。


昔から馬が好きで、厩務員のバイトをした事もある。

乗馬は、バイト先で習った。

正確には、先輩ではなく、馬に乗り方は教えてもらった。


乗馬と言うのは、馬と呼吸が合わないと、馬の走る振動で、背中に乗った人間は、ボコンボコンと、お尻をぶつける事になる。


馬と呼吸がぴったり合えば、馬の疾駆に合わせて自分も馬上でタイミングを合わせて動く為、宙を駆ける馬の足が着地した瞬間に、自分も馬の背中に着地するので、馬の背中でお尻が、跳ね返される事はない。


九十九里浜近くにあるホースクラブは、会員制コースと非会員コースがあって、非会員は、行った時だけ、乗馬代金を払えば良かったし、千葉の田舎のホースクラブの料金は、かなりお安い金額だった。


乗馬で、馬に乗ってホースクラブ内から、外へ出て騎乗をする事を、「外乗」と呼ぶが、その日私は、いつも乗る子(馬)が、別の人が先に乗っていたので、初めての馬に乗った。


その日の外乗は、九十九里の砂浜を、みんなで駆ける、と言うものだった。

私を乗せた馬は、余り楽しそうではなく(ぶっちゃけ、大体ホースクラブで人間に鞭を入れられながら、無理矢理走らせられる馬は、いつも不満を見せている)、

乗らない気分で走っていた。


しかし、その日はとても天気が良かったし、波打ち際では、波しぶきが、太陽の光を浴びて煌いていた。


私は自分を乗せてくれる、その馬がとても可愛かったし、愛おしさを感じた。

不満げな、その子の首筋をさすりながら、ねえ、風が気持ちいいね、楽しくない?なんて話し掛けて、彼の背中で、彼と呼吸を合わせて、波打ち際を疾駆する快感を楽しんだ。


すると、馬に突然変化が訪れた。

自分が走る事、その美しさに、私が魅了されているのを、敏感に感じ取ったその馬は、逆に今度は、自分から私と、呼吸を合わせようと、走りを変えた。


それで私は感動の余り笑い出した。

鞍の上のホーン(角。ウェスタン鞍についている)を掴み、手綱は片手で殆ど持っているだけの状態にしてたっぷり緩め、馬と、走る事を全身で楽しんだ。


すると、馬から更に、誇りが溢れて来るのを感じた。

馬は、自分が走る事、そして自分自身に魅了されている、私の感情を感じて、

自分に強い満足感と、自信を持ったのだ。


さっきまで、うっとおしそうに走っていた馬の走りに、力と優雅さが加わった。

砂浜を蹴る足の動きに、集中力が感じられた。


瞬間、私は自分の体重を全く感じなくなった。


馬も、さっきまでと違って、私の体重を、全く感じていないのが分かった。

それ所か、私は馬の上で、彼の翼になった。

彼が、背中に乗った私を、人間と言う重荷ではなく、自分の背中に着いた翼の様に、受け入れたのだ。


それは、奇跡の瞬間だった。

ダイヤモンドダストよりもっと大きな光で、急に目の前の世界が光で満ち溢れた。

風さえ光っているようだった。


私の馬への思いが、馬を感動させ、彼に生きる喜び、走る喜び、そして馬の誇りをもたらした。

そして彼は、感動の余り、私を自分の体の新たな一部。

自分の背中に生えた翼に変えたのだ。


「人馬一体」


この言葉が頭の中で聞こえてきた。

この感覚が、そうなのだ。


私を乗せれば重いはずなのに、私を乗せた彼は、まるで自分の体重さえ感じないかの如く、天駆ける様に疾走した。


共鳴の力。

もし、馬に対して横柄な人間が乗ったなら、彼の本当の走る実力は、決して出なかっただろう。


私と言う、感応者の感動を得て、彼はその走る美しさを、最大限まで、初めて引き出したのだ。


彼もまた、走る事に、それを追求した時に、芸術的な感動を感じる事を、知っていたのだろう。


風を切る時、全力で走る時、彼はその快感を知っていたはずだ。

砂地を飛ぶ様に走る、逞しい自分の足。


どんどん走りが頂点に達する瞬間を。


それを、「満足」ではなく、「感動」する人間を背中に乗せた時、彼はただの馬から、天馬になった。


私と言う騎手(と、素人が言っていいのか分からないが)がいて、彼に共鳴出来る力があって、それに彼が更なる共鳴で応えた。


観客と演奏者。

或いは演技者。

そして、走ると言う最高の芸術を持った種族の馬。

それに焦がれる人間。


両者が共鳴しあい、魂を一つにさせた時、奇跡が生まれるのを幾度も私は経験した。


あっこちゃんの場合も、必ず会場と言う現地で、声で、拍手で、彼女の演技に共鳴する観客の思いを感じたら、きっと彼女は感動を受け、恐怖よりも迷いよりも、もっと深く、演技の中に集中出来るはず。


彼女は、観客の共鳴を感じる力が絶対にある。

だから、私が会場へ行って、彼女の全てに呼応して、彼女が演技しながらイメージする世界を、ミスをしても破らせなければ、きっと彼女は、実力を爆発させる。


ファンなんだから、沢山の感動、そして次の演技の日を指折り数えて待つ喜びを、あっこちゃんから貰ったんだから、彼女が当然なるであろう、スランプに陥った時には、助けに行くのがファンの義務だ。


絶対に、支えてあげたいと思う、ファンの義務だ。

そう思って、「闘志」を熱く抱えて、私は大坂までの旅に出た。



率直に言って、フリーの「O」は、競技試合向きのプログラムじゃない。

完成度が高すぎるのだ。

確かに、あっこちゃんの才能とセンス、表現力を考えれば、最高のプログラムだが、


正直に言って、あの曲で、世界を表現しつつ、ライバルとの戦いの中で、ジャンプを確実に決めて行くと言うのは、至難の業だ。


あのプログラムは、もっとプレッシャーのかからない、エキシビジョンや、アイスショーなら、あっこちゃんも、ジャンプの少々のミスにプレッシャーを感じず、伸び伸びと、楽しんで滑れただろう。


正直、選曲をして、振付けた方は、とてつもない天才だ。

しかし、危険な賭けでもある。


あっこちゃんの精神の繊細さと、もろさだ。


前回も書いたが、彼女は氷上のアクトレス。


今季、ショートの「キル・ビル」は始め不調を見せたが、曲が激しい攻めの曲で、エンターティメント性たっぷりなので、最初のジャンプに成功すれば、観客は求めなくても、一気に湧き上がる。


それが、あっこちゃんにとって、より高い集中力、表現力に繋がる。

それ故に、ミスを起こす可能性が、演技を続けて行けば行く程、どんどん減るのだ。


既にショートは、大きな大会何度も放映されているし、それ以外のショーでも披露しているみたいなので、観客は、あの「キル・ビル」の鑑賞の楽しさを知っている。


なので、演技前から、会場は大興奮のはずだ。

あっこちゃんは、それを感じて、一層それに応えて集中出来る。

そういう意味では、非常に踊りやすい演目だと、私は思う。


なので、最初の頃で、二回のジャンプの失敗から立ち直ってからは、私はショートは殆ど心配していない。(余りそれに頼り過ぎて、安心してても、仇となるが)


反面、フリーは、本当に難しい。

音楽は、人を呑み込む荘厳な調べで、会場を盛り上がらせるより、むしろ会場を静まり返らせてしまう。

しかも、彼女が演じるのは、人間じゃない。

森の中の、美しい青い鳥だ。

彼女は終始、その荘厳な音楽が繰り広げる世界を、「青い鳥」になって表現しなければならない。


しかし、その種の表現、演技力は、彼女の真骨頂である。

青い小鳥と、静謐な森の中をリンクの上で作り出す事なら、むしろ彼女にとっては、最も青い鳥になりきって観客に魅せたい、やりがいある演技と言える。


問題は、その世界を演じている途中、途中で、「ジャンプ」と言う存在がある事だ。


得点を気にしなくていい、一回点や二回転止まりの、彼女にとっても気楽に飛べる程度のジャンプならまだいい。


三回転や、アクセルなどの、難しいジャンプがあって、試合である以上、確実にこなさねばならず、同時に、音楽の求める世界を表現しながら、演技をするのは至難の業だ。


これだけ難しいプログラムは、見た事がない。


それも、メンタル面でもろいあっこちゃんに、高度なジャンプを求めながら、彼女の天才的な表現の、両方を求めるプログラム。


「ガラスの仮面」と、言う少女漫画を知っているだろうか。

私の子供時代から始まって、今も連載されているが、一人の、一見地味で、不遇な環境で育っていた、自分の才能を知らない演技の天才少女が、引退した伝説の女優に見出され、女優として次々と、難しい役を練習し、舞台を感動の渦で巻き込んで行く物語である。


タイトルの「ガラスの仮面」は、演技をするものは、常に自分以外のものの心になり切らねばならず、心の中で、演じる役の「仮面」をつけるのだが、その仮面は、ちょっとした失敗、集中力の欠如から、あっと言う間に壊れてしまう所から、


「ガラスの仮面」、と作者が考えた。


実際、演じると言うのはこの通りなのだ。

「キル・ビル」の様に、ノリのいい演技では、観客が盛り上がる為に、あっこちゃんは「強く逞しく、かっこいい女性」の役に入り込み、万一多少の失敗があっても、観客がその次の演技を待っているので、集中力が途切れない。


かなり屈強な仮面と言える。


反面、「O」の仮面こそは、「ガラスの仮面」だ。

演じるのは鳥。

舞台装置も何もない所で、自分の表情や動きだけで、彼女は鳥になるだけでなく、そこに静かで静謐な森と、湖、泉、もしくは美しい川の、いずれかの水場さえ、観客に見せなくてはならない。


青い鳥が舞う、舞台まで作り上げなくては、観客が引き込まれ、感動出来ない、恐ろしく難しいプログラムになっている。


振り返ってみれば、昨シーズンのフリーの「こうもり」の方が、これに比べれば、余程踊りやすかったのではないかと、思えてならない。


そして、前編で書いた通り、あっこちゃんは普通の選手の何倍もプレッシャーに弱い。


この曲は、ショートのように、観客が盛り上がり、あっこちゃんと一緒に演技を楽しむ構成ではなく、ひたすら会場はあっこちゃんの「出来次第」で、どんどん感動し、感動すればするほど、静かになって行って、言葉を失ってしまう程、美しいプログラムなので、ショートの様に、ジャンプのミスがあった場合、「応援」や、会場の力を借りれない。


ジャンプでミスして、彼女が動揺してしまうと、、このプログラムは滅茶苦茶になってしまう。


何故なら、観客の静まり返った空気の中、ミスを引きずらず、「O」の世界に戻るのは、殆ど不可能に近いからだ。


ミスで、仮面は簡単に壊れる。


それは、余りに音楽が難度でプログラムの出来がいい為、会場が期待を込めて、静かに呑み込まれ過ぎてしまえば、動揺した精神状態からの復活が難しい。


荘厳な音楽と、息を呑んで見守る観客の空気が仇となる。

それが、余計に彼女を、焦りに追い立て、建て直しが効かなくなってしまう。


カナダ杯、NHK杯では、ショートのミスが、逆に彼女にとって、この難しいフリーに、プレッシャーを感じず、結果、最高の演技を見せられたと思う。


しかし、ショートに成功した後ほど、この超難度のプログラムは何倍ものプレッシャーになると、私は思う。


プログラム自体が難しい上に、ショートで1位や2位になっていれば、このフリーを完成させれば、表彰台の、真ん中に上がれるのは、(浅田選手が、トリプルアクセルを飛ばない前提には、なってしまうが。フィギュアは採点制だから)

殆ど確実なので、繊細なあっこちゃんに取って、これ以上のプレッシャーはないと感じてしまう。


だからこそ、このプログラムを成功させる為には、ファンの力が不可欠だと、私は思うのだ。


文章が長くなって来たので、前・後編から変えて、前編・中篇・後編構成にするが、


会場で、あっこちゃんの作る「O」の世界を、如何にファンが率先して守るか。

あっこちゃんがミスをしても、すぐに元の集中力に戻れる様に、ファンが始めから、会場で自分達が、青い小鳥の舞う、舞台装置の空気を、作り上げて守れるか、それに、全てがかかっている気がしてならない。


あっこちゃんの演じる、「青い小鳥」を、観ているファンと、観客が、最後まで信じる事。


本当の小鳥なら、あり得ない、「飛ぶ」事の失敗。

その時、ガラスの仮面が壊れ、一瞬、人間「鈴木明子」に戻ったとしても、会場全体が、彼女の最初の鳥の演技で、そのまま魅了された状態を作れば、「鈴木明子」は、苦もなく、再びガラスの仮面を取り戻す。


一度の失敗で、会場が、「役者ー(この場合は、アクトレスである、あっこちゃん)」の仮面がはがれた事に気がつかなければ、その瞬間から、彼女は無敵になる。


音楽の世界に入り込み、素晴らしい青い鳥になって、湖か、はたまた清流かー、森に囲まれた、水の上で羽ばたき、舞い、生命力を爆発させる。


そうすれば、ジャンプにも、強気で臨める。

ショート同様、会場の空気が一体となって、皆で「O」の世界を、歓喜を持って賛美すれば、彼女はジャンプを怖がらないし、四大陸での3サルコウの時の様に、バランスを崩しても転倒しないで、立ち直れる。


観客が、彼女に「演じ切る」、そして、「ジャンプも飛べるんだ」と言う、強い意思を与えるのだ。


私の四大陸奮闘記は、後編に書かせて頂くとするが、

いやはや。


つくづく思うが、このプログラムを作った人は、天才だが、これを競技試合で、仕掛けて来たあっこちゃんとコーチには、脱帽する。



不可能を、可能にすると言うものではないか。



One for All , All for One !!


続く



追記: 後で読み返したら、うーん、自分の記事、角度変えて読んだら、あっこちゃんや、長久保コーチに対して、「こんな、難度の高いプログラム、何で止めなかったの!?」


なんて言っちゃってるみたいなもので、フォロー入れときます。あせる

文章もちょっと訂正しました。


ここまで惚れ込むプログラムじゃなかったら、大嫌いな金銭の貸し借りまでして、真冬の北海道で、子供を置いて、フィギュアの生観戦なんて、絶対行かなかったのは、間違いないチョキ


そして、世界選手権でも、このフリーがファンに支えられて、あっこちゃんに最高のパフォーマンスをして貰えるよう、心から願って、四大陸の、奮闘記を書いております。ベル



・・・フォロー、なったかな?汗



四大陸選手権。

感動したより、何より、「戦い抜いた」って言うのが、今の私の心情。

自分が、ね。

私が戦い抜いた日でもありましたーあせる


思えば、今季のあっこちゃんの試合、カナダ杯を多忙で見逃し、NHK杯からの観戦となった。

その時、あっこちゃんは、ショートの「キル・ビル」が鬼門になっていて、お友達の話では、カナダ杯も、フリーの「O」で、取り戻したのだと言う。


NHK杯もそうだった。

「キル・ビル」への不安を取り除けないようで、ショート結果は5位。

ここで、前回同様プレッシャーがなくなったのか、フリーの「O」は、鳥肌が立つほど素晴らしかった。


ショートへの賛美は後にして(こちらも本当に素晴らしい)、特にフリーの「O」を観て、感じる事・・。


青いかわせみをイメージしていると言うけれど、本当に、体重を全く感じさせない滑り出し。

観ていて思わず、目を疑う。

その余りの軽やかさに。

そして同じく、その腕の動き。

皆さん、自分の腕を動かしてみて下さい。


意外に重いんです。


でも、青い鳥を演じるあっこちゃんから、腕の重みは全く感じない。

人間の腕と言うよりも、小鳥の羽が、風にそよいでいるようだ。


そして、リンクを滑る足。

こちらも、全く体重を感じない。


「飛んでいるの?」


と、本気で思う。

一度だけ足を通した事があるが、エッジのついたスケート靴って、結構重い。


それがなくても、足は体重がかかって来るので、あんなに軽やかには動かないものだ。

バレエだって、トゥシューズを履いているからいいけれど、スケートシューズを履いて飛べと言われたら、さぞかし優雅さ、軽やかさは奪われるだろう。


でも、フリーの演技は、水辺の小鳥だから、あっこちゃんはその技術力によって、体重を感じさせない。

本当に美しい森の中の、水辺で、青い小鳥が神の為に、生きる素晴らしさを、軽やかに舞いながら、賛美しているようだ。


そして、後半のコレオ・シークエンス。

この瞬間、両翼を大きく広げて飛翔する小鳥は、青い小鳥から鳳凰になって風を切る。


そして、何より演技開始前からの、あっこちゃんの微笑んだ顔の美しさ。

同じ女性ながら、見とれてしまう。

あの、ショートの迫力ある顔を持った人と、同一人物だと思えないほど、神秘的に澄んだ、透明感のある微笑み。



私はNHK杯を見て、このフリーの演目には腰が抜けるほどに感動したし、惚れ込んだ。


だからグランプリ・ファイナルも、全日本選手権も、この軽やかで優雅で神秘的な美しさと、迫力に溢れた演技を、舞を、期待を込めて待っていた。


しかし、小鳥は翼を広げられなくなってしまった。


ショートでは、鬼門であった、「キル・ビル」の演目に、あっこちゃんが十分な自信を得て、好発進をしたが為に、今度は、

「今度こそ表彰台の一番上へ」の、意識が、緊張感と失敗したら、の不安になって、曲に入り込んで、彼女得意の世界を表現するよりも、失敗しない演技の方に、彼女の神経が集中してしまったのは、明白だった。


そして、全日本で、まさかの4位。


私は悔しかった。

何て言う、ていたらく。

何て言う、不甲斐なさ。


この怒りは、あっこちゃんに対してではない。

会場で、あっこちゃんの応援に行ってるはずの、ファンに対してだった。


あなた達は、あっこちゃんが緊張でリンクに出てた時、何で支えてあげれなかったの、と、怒りと悲しさで、悔し泣きした。

私は行きたくても行けないのに、行っているならどうして、全身全霊を込めて、応援して支えてやれなかったの、と。


あっこちゃんは、精神面に二つの大きな特徴がある。

感動に大きく呼応する、もの凄く高い、感受性、感能力。それが、彼女の表現力に繋がる。


その高い感受性には、必ず「もろさ」と言う、欠点が裏にある。


即ち、心もろくなくして、感受性が高いと言う事は、あり得ないと言う事。


心が強い、と言う事は、逆を言えば神経が太いと言う事。

神経の太い人に、繊細な感性も、感受性も存在しない。


あっこちゃんの、演技の素晴らしさはこの高い感受性と、高い感性の鋭さから生まれている。

だから、彼女が逆に言えば、精神的に弱いのは当然の事なのだ。


私はファンに対して怒った事。

不甲斐ないと思った事。


それは、何であっこちゃんの不安を分かってやれず、会場で彼女をサポート出来なかったんだ、と言う事だった。


でも、多くのファンは、そこまであっこちゃんの不安や自信の無さを分かっていないかも知れないし、(勿論、私が分かってるつもりだけの、勘違いの可能性もあるし)そもそも、そういう所を、彼女の言動から、読み取っていないのかも知れない。


だから、私からあっこちゃんファンのみんな、特にあっこちゃんを、推している、と言うファンの皆さんに、聞いてもらって、分かって欲しい事がある。いや、あります。



あっこちゃんの演技を幾度も観ました。

ファン歴は、2009年からと、浅いです。

私は元々、フィギュア・ファンではありません。

ただ、嫌いでもないので、テレビでたまたまやっていたら、子供の時から観ていました。


但し、競技大会は、すぐに飽きるのです。

フィギュアファンの方には、本当に申し訳ないんだけど。

みんな、さほどに個性の表現ないし、スケートを滑る面白さは、エキシビジョンで魅せてくれるのに比べ、試合になると、そういう魅力的な要素はなくなって、没個性的な、無機質な試合、点を取りに行くだけのー、雰囲気になる。


5人も滑ってる試合を観たら、もういいや、と、いつもチャンネルを変えていました。

なので、フィギュア・ファンの方の様に、技にも選手にも、詳しくありません。


但し、エキシビジョンは大好きでした。

あれだけは、たまたまテレビでやってると、夢中で観ました。

スケーターの皆さん、試合に比べてずっと表現豊かに、楽しそうに踊ってて、素敵でね。


あっこちゃんは、仕事中、出張先のお客様の家で、お客様がフィギュアを見ていたので、そこのテレビで初めて出会いました。


グランプリ・シーズンだったと思うけれど、お客様は、中野選手を応援していて、

「これで勝ったら、オリンピックへ行けるんだ。でも、復調して来た、この鈴木って選手が、好調でやばいんだよ。」


ふーん、と、思いながら、二人の演技を一緒に観てました。

そして、あっこちゃんの演技を観た時・・・・・、


「ナニ、この子!!??この魂で踊る、スケートは何!!!??何て、情熱なの、何て命を賭けているの・・・。」


お客さんには申し訳ないけれど、私はあっこちゃんに一目ぼれして、あっこちゃんの勝利に、心の中で、泣いて拍手を送っていました。


他のスケーターと、明らかに違う、人を惹きつける踊り。

試合なのに、エキシビジョンを観ている様な、特別な魅力。


それから、彼女のスケート、テレビ放送で観れるものは、ほぼ(去年のカナダ杯・・しょぼん)全て観てきました。

ただ、うちはBSも何もつけていないので、普通のテレビ放送しか観れないので、そっちで放送している試合は、残念ながら観れません。


経済的な理由から、BSだの、スカパーだのって、つけられないんです。


しかし、それでも彼女の演技を観て、成功する時、失敗する時、

そして、あの目力のある子が、リンクを出た瞬間、インタビューでは、急に表情が一変し、傷つきやすいか弱げな女性になって、か細い声で、静かに話す仕草や、目つきを見た時に、


ああ、何てこの子は、心がもろい子なんだ。

でもだからこそ、あれだけの感動する力を持っているんだな、と、感心しながら観ていました。


そうやって観ていると、あっこちゃんは、スケートで、滑り、自分を表現する事は好き。

その姿を、観客が呼応して、感動し、喜んでくれるのを、何より頼りで、幸せとしている。

自分の演技に観客が感動してくれる事、それに彼女は、「満足する」のではなく、逆に「感動する」のである。


これがあっこちゃんの最大の魅力だ。


なのに何処か、スケートから逃げたがってる、怖がってる気持ちも感じる。

誰でもスランプは経験するし、一度はスケート辞めよう!と思った事が、恐らくどの選手もあると思うけれど、この子の中では、そんな気持ちと、スケートを愛する気持ちが、毎日戦っているみたいだ。


彼女はもろいから、技術と言うものには、自信が持てないのだと思う。

目に見えない世界を創造する才能のある、人間だと言うのに、スケートの世界では、彼女は何か、目に見えるものが、逆にないと自分を見失ってしまうみたい。

彼女は、どんなに練習しても、技術から安心を感じられないみたい。

常に不安。

それが、繊細な表情に表れている。


きっと練習しても、練習しても、不安から抜け出せないと思う。

その繊細さが、彼女の感性の源なのだ。


精神面での強さは、感性の鈍化と言う結果に繋がる。


あっこちゃんはずっと、技術面よりも、メンタル面での成長や、安定を求められて来たと思うし、本人もそれが課題だったと思う。


繊細な彼女は、強く自分に自信を持つなど出来ないはず。

でも、スケートをやっていると言う事は、常に結果を求められると言う事。


彼女は氷上のアクトレス・・・こんな言葉をある実況の人が口にした。

そう、彼女は氷上のアクトレス。

感性豊かな彼女は、様々な人間やいきものになって、競技試合だと言うにも関わらず、その天性の力で、試合にまるで、舞台の様な感動を起こす演技をしてしまう。


しかし、その彼女の最大の持ち味が、どうしても点数にしっかり反映されない。

採点されるのは、むしろ彼女の持ち味以外の技術ばかりなので、ファンが観ても、


「あそこまでいい演技をして、この点数・・・。この順位・・・。」と言う結果になる。


あっこちゃんは、自信家じゃない。

だから、絶対的な、安心感を与えてくれる、自信がどうしても欲しいのを、切に感じる。

彼女の場合はそれが、グランプリや、世界大会、全日本などの、大きな大会での金メダルなのだ。


あっこちゃんの場合は、欲で欲しがってるんじゃない。

そういう貪欲な子だったら、もっと強い。


自分に自信があるから、金メダルを目指しているんじゃない。

自分に自信がないからこそ、スケートをやっている、確かな意味が欲しくて、金メダルを求めているのを、痛い程感じる。


彼女は、自分の支えとして、自分の不安を消してくれる、目に見える安心感として、それが欲しくてたまらないのだ。


グランプリ・ファイナル。

全日本選手権。


ショートを決めた後の、フリーの失敗で、それを特に痛感した。


この子は、こんなにも自分に自信がない。

そして、自信となってくれる、絶対的な約束を与えてくれる、金メダルを、自信がない故に求めるからこそ、返って失敗してしまう。


痛々しかった。


それが故に、会場にいた、あっこちゃんファンに腹が立った。

ショートの成功で、返ってガチガチになってるあっこちゃん。

そのあっこちゃんの背中を、どうして支えてやれなかったのかと。


緊張から失敗した時に、どうして割れんばかりの声援で救ってやらなかった。

迷いを断ち切る応援をしてあげなかった。

そう、憤って仕方なかった。


世の中には、応援に行きたくても、どうしても行けない事情がある人間だっている。


会場に行く、時間やお金がある人間は、ラッキーなんだと知って欲しい。

私は心から羨ましいもの。

そして、そこまで行くならば、どうしてあの子を支えてやらないのだ。

いや、勿論全てのファンに、それを求める訳じゃない。

ファンの中には、あっこちゃんの様に、控え目な子が多いだろう事は、普通の人間の比率で考えても、よく分かる。


でも、ファンの中には、あっこちゃんにない、強い意志と、勇気を持ったファンだっているはずだ。

その人達が、力一杯奮起すれば、会場を一気に盛り上げる事が出来るのだ。


あっこちゃんが、ミスをして不安が現実になり、迷った瞬間、それを吹き飛ばす勇気を、声援で送る事が出来るのに。


分かって欲しい。

あっこちゃんも、ファンも、彼女のメンタルを強くするのを願ってる。

でも、それは止めた方がいい。


物事には、必ず二つの面がある。

忠告しておきたいが、あっこちゃんのメンタルが強くなったら、あのしなかやでたおやかな、そして生き生きとした、迫力ある演技は必ず精彩を、代償として欠く。


繊細な感受性を残したまま、精神面を鍛える事は出来る。

でも、それは人生で10年、20年の歳月をかけて作るものだ。

生まれつき感性が並外れて鋭く豊かな人は、反面非常に傷つきやすく、もろい。


それを、美点を生かしたまま、要は、欠点を秘めたまま、(欠点を失ってしまったら、そこで美点も同時に失うから)必要な時、必要なだけの勇気や度胸を自在に出せる様になるには、相当の人生での苦労と経験が必要なのだ。


あっこちゃんが、まだ17歳くらいなら、私ももろい、感受性の強い部分を残したままで、いざと言う時にはきっちり出せる、強さや勇気、度胸を養う事を勧める。


でも、27歳で、スケートの競技選手として、後一年のみの続行を決めた彼女に、今、急激に最後のフィナーレを飾る為にも、メンタルを鍛えろと言うのは酷だ。


無理にそれを鍛えたら、必ずその代償が来る。

短所と思っている部分こそ、実は長所の一番核だったと言う事は、よくある。


あっこちゃんの精神的なもろさを、欠点として、そこを今、無理に克服させようとしてしまえば、彼女から、魂に訴えてくる、観客を泣かさずにはいられない、あの感動的なスケートの魅力は、必ず半減するだろう。


変わりに、技術を重視し、得点だけの結果しか残らない、そこらのスケーターと、大差なくなってしまう。



あるボクサーの話を聞いて欲しい。


マニー・パッキャオと言う、フィリピン人のボクサーだ。

彼は、現在、世界最強の実力を持ったチャンピオンである。

何と6階級制覇の王者だ。


彼はパンチやディフェンスに加え、何よりスピードを持っていた。

ボクサーに取って、早い動きが出来る足と言うのは、第三の拳を持っているにも匹敵する。

パッキャオには、この絶対的なスピードがあった。


しかし、体重によってクラスが変わるボクシングの世界で、6階級、6つのクラスを制覇すると言う事は、自分の倍近い身長の相手とも、戦うと言う事になる。


そういう相手を倒すには、筋肉の強化が絶対必要だ。

そして、パッキャオは訓練して、訓練して、強靭な筋肉を腕にも体にも、足にもつけた。

そしてとうとう6階級を制覇して、歴史に残るチャンピオンになった。


しかし、すぐにその代償が何であったか彼は知る。

体に重過ぎる筋肉をつけた結果、彼の武器であった、スピードを失ってしまったのだ。


強く、大きい選手と戦う上で、自分の弱点となる部分を消そうと特訓した結果、一瞬はそれで勝利を得たが、代償として、最大の武器であった、スピードが付き過ぎた筋肉によって失われた。


今尚現役で彼は戦っているが、その代償を抱えての試合は厳しい。

試合中に、彼の足はスピードを維持出来ずに、痙攣を起こす様になってしまった(プロゴルファーの石川遼は、外国人並みの、見た目のいい筋肉をつけた途端、その筋肉が彼の長所を奪い、実力が低下してしまった)。


貧しいミンダナオ島で生まれた彼は、今もそこに住んで、自分のファイトマネーを、故郷につぎ込んで、施設を作り、みんなの生活の向上の為に尽力している。


バラックばかりの小さな村で、彼は雨を気にしないで済む、大きな全天候型のレクリエーション施設を作りたいと思っている。

雨の日でも、皆がそこでスポーツをしたり、文化活動を楽しむ事が出来るからだ。


もう、年齢から言ってピークを過ぎた彼は、その夢の為に、ファイトマネーを稼ぐ為、後少し、リングに上るつもりでいる。



私は、あっこちゃんにパッキャオの二の舞になって欲しくない。

来シーズン、オリンピックへの出場を目標に戦い、そして引退するならば、今からメンタル面を鍛えるのは、返って彼女にとってマイナスだ。


これから、10年以上競技を続ける選手じゃないんだから。


じゃあ、どうやってあっこちゃんが、試合に出た時、メンタルをしっかり持つのか。

自信がない、常に不安な状態のあっこちゃんのままでは、本人が納得の行く、結果を出せない事は明白だ。


あっこちゃんのスケートセンスと、才能は、映画や音楽や、絵画の様に、採点制度ではない、「良いものは良い」、「感動的」、そういう、「感覚」で評価される分野の方が、有利なのだ。


ジャンプ何点。スピン何点。

そういう無機質な採点方式の中では、彼女の才能を十分に評価されない。

自分の才能を、十分に評価してくれない世界だからこそ、彼女は苦しみ、自信が持てないと思う。


どれだけやれば、認めてもらえるのかと、苦悩は尽きないと思う。


しかし、技術は、既に彼女は確かなものを持ってるし、後は本当はひたすら練習に没頭するだけでいい。


採点方式が、彼女を十分に評価しなくても、人間の心は、観客は、必ず彼女を評価する。

マスコミには、商売っ気だけで、人間の心がないから期待する意味はない。


フィギュアが、絵の様に、「最優秀賞」、「準優勝」、「優秀賞」、「努力賞」のような、感動を基準にした感覚的なものではなく、一つのジャンプ何点、の素っ気無い世界である以上、無理にその世界で、最高の評価を求める必要はないと、私は思う。


採点されない、彼女の世界は、どんなメダルの色や数にも勝っている事を、多くのファンは分かっている。


だから、メンタルは、私たちが引き受けるのだ。


私たち、と、言うと、無責任かも知れない。

私は、今回の四大陸選手権、10日に行われたフリーに合わせて、大坂へ行った。


しかし、実際は私の事情は、そんな自由を許さない。

そして、そういう目的の為に、チケットや飛行機代を、出せる余裕は全くない。


私が10日に大坂中央体育館へ行った経緯と、その時の結果は、後編で書く事にするが、ともかく、今回だけは、異例中の異例なのだ。


グランプリ・ファイナル、全日本。

あっこちゃんを不安から救えず、本来の力を出させてあげられなかったのは、会場にいたファンのせいだと思ってる。


義務はもちろんない。

でも、あっこちゃんのスケートの、感動が欲しいなら、あっこちゃんが私達を感動させてくれるように、ファンがあっこちゃんを支えて、リンクの上で、見えない力になって、守って欲しい。


それがなかったのが歯がゆくて、今回滅茶苦茶な苦労をして、他のファンに任せておけぬ、四大陸選手権では、必ず応援の力で、あっこちゃんを不安から守って、最高の演技をさせてみせると、闘志満々で、私は会場へ行った。


それについても後編で詳しく書くけど、結果として、自分の応援に満足してる。

いい仕事をした、と、自己満足出来てる。

でも。


例えば来月、世界選手権がカナダで行われる。

私は行けない。

自営業だから、休みは取れるけど、金銭的に全く無理。

私はボランティアをやっていて、稼いだお金はみんなそっちへ回しているから、働いても働いても、自分の自由になるお金が殆どない。



私が応援に行けるなら、こんな事を書く必要もない。

また、行けない私にこんな事を書く資格もないかも知れない。

だから、無責任な申し出かも知れないと、思う。


でも、カナダまで、フィギュアを観戦に行くお金と時間のある、あっこちゃんを特に応援しているファン達にお願いしたい。


メンタル面は、あなた方、ファンが全て、引き受けてやって下さい、と。


あっこちゃんに、自力で不安を取り除く様、求めたり、期待しないであげて欲しい。


彼女1人の精神力で、プレッシャーと、不安と戦いながら、あの、他のどんなスケーターにも真似出来ない、感動的な滑りをする様に期待するなんて、酷過ぎる。


確かに、不安やプレッシャーは、どの選手も感じているのは間違いない。

そして、シングルの選手は1人でリンクに立つ。


でも、その、あっこちゃん以外のどの選手が、私達にあれほどの感動を、競技の中で与えてくれた事だろう。


浅田選手がトリプルアクセルを決めた瞬間と、あっこちゃんが今回、「O」で序盤のアクセルの失敗以降、気持ちを建て直し、最後のコレオ・シークエンスでリンクを舞った瞬間と、人はどっちに魂を揺さぶられた事だろう?


前者の瞬間が「やった!!」なら、後者の舞っている瞬間は、涙が出る程の感動だったのでは?


トリプルアクセルを見て、胸が感動で震えて涙が堪え切れず、号泣した人、いたら面白いです。

トリプルアクセルジャンプが成功したら、「やったー!!見事!!」と、「痛快」な、喜びに満ちるものではないだろうか?


感動して、胸が一杯になって、体が震え、涙が溢れた。

あっこちゃんが、自信を持って感情を爆発させ、両手を大きく広げて舞った、コレオ・シークエンスを観たら、多くの人が、同じ感情を味わうのではないだろうか。



あの感動をくれる子は、他の選手の何倍も、プレッシャーに弱いのだ。

他の選手の何倍も、自分のスケートに自信がない。


かげろうの、薄く、美しい翅と、アゲハチョウの翅の違いの様なものだ。

他の選手の精神力を、普通の蝶の翅に例えるならば、あっこちゃんの神経は、ウスバカゲロウの翅の様なものだ。


しかし、だからこそ、向こう側が透けて見える程に薄く、もろく、透き通った翅だからこそ、その翅は七色の光を映し、どんな蝶よりも美しい翅なのだ。


この翅を、来期で引退する子に、どんな事があっても破れない様に、強く鍛えさせる事はないだろう。


とは言え、誰もが、あっこちゃんが本番で、実力を発揮出来るのを願ってる。

引退時期が決まったのならば、尚更だ。


だから、ファンの力があれば、この美しいかげろうの翅を、鍛えさせる事なく守り、その魅力を最大限に、本人に引き出させてあげる事が出来る。


それは応援の力だ。

あっこちゃんは、人の感情に敏感に感応する。

会場の空気が、自分がどんな失敗をしても、失望したりしないで、「さあ、全然大丈夫だから、次のステップを、スピンを、ジャンプを見せて!あなたの持っている全てが観たいの!」と、言う空気になれば、彼女は絶対にその空気を感じ、自信を得て、皆の感情に共鳴して、迷わず立ち上がる。


彼女の、高い感受性、共鳴力こそが成し得る、「応援を最大限に活かせる能力」

応援の力に、あれ程感応し、反応し、力に変える選手は稀有だ。

彼女のメンタルがもろいなら、感性の良さを逆手に取って、会場の空気で彼女を自信で満たせばいい。



何も心配しなくていい状態を、ファンは作れる。

あっこちゃんは、十分に練習にだけ集中すればいい。


試合になったら、色々な出来事が彼女を襲う。

例えば、今、あっこちゃんの一番のライバルになる、浅田選手や、追い駆けて来る村上選手の演技や得点。


現実に、実力、素質うんぬんではなく、マスコミの好みで、浅田選手や村上選手の人気は、あっこちゃんに比べて圧倒的に高く、試合では、その声援も、彼女を余計に不安にさせて、自信を一層持てない状況にしてしまう。


国民的人気を博している、浅田、村上選手と並んで、同じリンクで滑るのは、この二人と実力で全く劣らないあっこちゃんに取っては、余計にそれを気にしない神経が求められるのに、あっこちゃんはとっても繊細だ。


その、マスコミと国民の過剰な応援の不均衡から、不安を取り除き、あっこちゃんに自信を与えられるのが、あっこちゃんを最も応援しているファンだ。

あっこちゃんの中から、自信は恐らく絶対に出て来ない。

でも、私は甘いかも知れないけど、そういうあっこちゃんのもろさを愛してる。


ショートが確実に手ごたえを掴めば、今度はフリーが失敗しないかと、心配になるのが、あっこちゃんだ。

ショートが良かったから、自信を持ってフリーを滑ろう。

そういう度胸の持ち主じゃない。


だから、会場でファンがあっこちゃんを、支える。

それをやって欲しい。


私は、四大陸でやって来た。

誰にも負けない声援は、確実にあっこちゃんから不安を消し、彼女を迷いなく滑らせる自信になったと信じている。


だって、あっこちゃんを不安から守る為に行ったんだもの。

感動をもらいに行ったんじゃない。

自信をあげて、助けたかった。


そう、自信は、ファンがあげる。


あっこちゃんにはこう言いたい。

何も心配しないで、練習だけ頑張っておいで、と。

会場に来たら、必ずファンが支える。

無敵の自信を、ファンがあげる。

ファンを信じて、あなたは、何も心配せずに、自分の出来る事だけに集中していいんだよ、と。


私が自分を無責任だと思うのは、事、そういう事に関しては、得意中の得意としていて、誰も声を出せない緊張の中でも、それを制して声を上げて先陣を切る度胸があるくせに、だからこそ率先してやってあげたいこの私に、カナダやソチへ応援に行く、経済的な自由がない、と、言う事だ。


他のファンに、もっと強気で、もっと度胸を、あっこちゃんの代わりに試合で出して欲しいって言ってる。

本当は、カナダでもソチでも何処でも、あっこちゃんの挑む大会なら、必ず行って、他のファンの勇気になる程、自分が試合の緊張を壊す、楯として役に立ちたいと思ってる。


あっこちゃんを応援する、ファンを思い切り、会場で勇気付けたいと願ってる。


私も色々事情と、急務はあれど、後一年が、あっこちゃんの現役なら、こんな感動を何年もくれた子の為なら、その一年を、精一杯あっこちゃんに捧げたいと思うんだけど。


あっこちゃんは、みんなの感動してくれる姿が見たくて必死に滑ってる。

だったら私達は、あっこちゃんが自信を持って滑れる様に、声援の力で彼女に応え、彼女とファンと、一つになって、最高の演技を目指したらどうだろう。


One for All , All for One


続く