そんで更に、何だか最近やたらと思い出す、イタリアでの出来事をそのまま書いてしまおう。
と、思ったら、ブログ記事4万文字以内、で、下記の文章を撥ねられてしまった!![]()
ガーンッ。
フェルメールの上に、当分更新記事書きたくなかったのにいいいいい。
でも、後でも触れてるけど、最近何故だかやんややんやと、この体験が甦って仕方ないので、追っ払う為にも、どうしても書きたい。
今まで、ブログでも何でも、幽霊ものって書いた事なかったんだけど、やたらと書きたい。
理由が自分にも分からない、変なの・・・。
昔、ドイツに行きたくて、でもドイツ語が全然分からなかったから、割とバックパッカーに近い旅をする私が、珍しく「ツアー」と言うものを、初めて使って旅をした時の事。
行きたかったのは、ドイツだけなのに、ツアーは殆どイタリアと合わせての行程で、仕方なくイタリア付きの旅行に出た。
ドイツは楽しかった・・・。
しかし、イタリア、まずは水の都ベニスを楽しみ、広場で鳩にパンをあげていたら、ヒッチコックの
「鳥」状態になって、私は面白かったけど、他のツアー参加者は、みんなその場を逃げ出した。
鳩のふんを少し浴びて、「花の都フィレンツェ」に着いた時、悲劇は起こった。
おびただしい数の、幽霊!幽霊!幽霊!![]()
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街中の人間が、平均3人はユーレイをつけているんじゃないのか!!??
もー、メディチ家が、相当残酷な事やらかしたからなあ。
私はよく、日本へのお土産は、お土産物屋さんよりも、街のスーパーで、日本にはない日用品や、お菓子を買ったりする。
それで、フィレンツェでも、スーパーに行ったらまあ!
幽霊の大特価セールでもしてるのか、天井まで幽霊だらけ。
よくまあ、こんな所でフィレンツェ市民は生活出来るわ![]()
くたびれ切って、ホテルに一人で戻り、とりあえずベッドに座って、そのベッドの周りにひー、ふー。みー。よー。ざっと16人はいた、それぞれ私に構わず、殺された時のまま、苦しんでいる幽霊達を見ながら、うーん、と考えた。
バリアもどきは張れる。
だがしかし。
こんな幽霊まみれの部屋で、我関せず寝る神経も、あるかどうか疑問に思う。
下手に浄化なんぞに手を貸したら、それこそ、フィレンツェ中の幽霊が集まって来るに違いない。
朝になったら、私は過労でミイラになってるかも知れない。
私のお師様だって、広島のホテル組合だが何だかに頼まれて、原爆死した犠牲者を浄化させに行く時も(ホテルで、
←が、出て仕方がないからと頼まれるらしい)霊能者仲間と、10人くらいで行くではないか。
一人の仕事じゃない。
しかし下手に動けず、このまま幽霊の皆さんに囲まれて眠るのもイヤだ。
いっそ、貴重品だけ部屋に残し、私はロビーで寝るのはどうか。
悩んでいたら、ちゃんとした人間が、ドアをノックした。
開けると、同じツアーに、女性二人で参加している方が、一人でいた。
その人は顔に怪我をしていて、ガーゼを貼っていたが、旅行も終盤なので、お化粧で隠して出歩きたいと言う。
でも、お化粧で隠す前の顔は、友人にも見せたくないので、私が迷惑でなかったら、一人部屋を代わって、自分の友人と、相部屋になってもらえないか、と言うのだった。
地獄に仏。
誰かが一緒なら気分も晴れる。
しかしこの部屋、幽霊まみれだが、一人で大丈夫だろうか?
霊感ないなら、言わない方がいいだろう。
大喜びで部屋を替わって(罪悪感は勿論ありました
)私は彼女のお友達と、楽しくおねんねしました。
翌朝、恐る恐る、部屋を出た彼女に、昨日はよく眠れました?と、聞くと、快眠だったと言う。
霊感がないのは素晴らしい。
その日は美術館に行ったのだが、ホラーハウスに行った様な気がして、絵を余り楽しめなかった。
ようやくフィレンツェを出れた時、余計な事に、バスガイドがフィレンツェの街をよく見下ろせる丘で、皆さん、フィレンツェの街をどうぞ写真に収めてください。
早く離れようよっ![]()
しかし、相部屋になった方が、私に「フィレンツェの街を背景に映してあげる。
」
仕方なく、カメラを渡し、根性で笑顔を浮かべた私は、写真を現像してみると、「ほんっと、もう嫌。」
と、はっきり顔に書いてあった。
そしてバスはローマに・・・。
もう、何があったかは、推して知るべし、と言ってよいかと。
コロッセオです、コロッセオ!
ギャーーー。
この中に入る???
確かに歴史的建造物だけど、「トワイライト・ゾーン」じゃないの、ここ!
私は無事に出られるのか??
NO。
やです。
ツアコンさんに、言いました。
「すいません。私ここ無理。外で一人で待っています。」
ツアコンさんも、こういう体質の人間は珍しくないと見えて、すぐに事情を察してくれた。
(霊感以外の事情で、ここまで来て建物見物しない理由はないだろうから、当然かなー)
「いいですよ、たまにそういうお客さまいますから(だろうね・・・。)。どこで待ってます?」
私は辺りを見回して、馬車に繋がれた馬を見つけた。
「あそこ!あの馬と遊んで待ってます。」
で、しばらくの間、私はお馬さんと戯れていたのだが、同じツアーの他の人は、コロッセオを楽しんで出てきた・・・。
見えないっていいね・・・。
って、何故だが最近変にこの時の事が思い起こされる。
余りに頭に浮かんで仕方ないので、文章に出したら治まるかと思って書いてみた。
ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を、久しぶりに画像でガン見したのがいけなかったのかな。
だったらこれで、お祓い、お祓いっと。![]()
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フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」
・・が、タイトル、かなあ。
あっこちゃんの、2013-2014のプログラム、ショート「愛の賛歌」
これって素晴らしくて、でもまだ未完成な感じを受けて、私なりの感想を、あっこちゃんのブログのコメント欄に送ったら、ことごとく撥ね退けられてしまった。![]()
多分、「官能的」って言葉や、「セックス」に関わる文章がアウトだったんだと思う。
芸術の世界では、性や官能って言葉はなくてはならぬ、褒め言葉なんだけど、一般社会では、きっと違うのね・・。
普段芸術に慣れ過ぎていると、一般的な感覚とズレるのだな。
ともあれ、では、自分のブログで、その撥ねられたコメントを、もっと緻密に書いてしまおうと言う努力。
とうとう「自律神経失調症」の病名を突きつけられた、体にゃ酷だが、人生は一回きり。
あっこちゃんのオリンピックも、次はないのだから、頑張ります。
さて、未完のまま公開しちゃう。
体調を見ながら、加筆して完成させます。
あっこちゃんと、フェルメールの肖像画に溜め息。![]()
・・・・・・・・・
さて、続きを書きます。
あっこちゃんの、今季ショートのプログラムについて。
「セックス!」
って言うのが一番の印象。
「愛の賛歌」って、歌付きで聴くと、そこまで思わなかったけど、インストゥメンタルだと、はっきり分かった。
これは、女性が男性に対して、「抱かれたい」と言う激しい思いを、必死に伝える曲なんだと。
バイオリンの調べを聴いていて、それを全身で感じる。
ロマンス映画の、官能的なシーンを観ているみたいだ。
こちらも胸が熱くなって、感じて来る。
音の一つ一つ、そして全体的な調べから、それは確実に伝わって来る。
やっぱり、歌を抜いてインストゥで聴くと、曲本来の姿が、具体的に分かって凄い。
しかも、あっこちゃんの衣装の色は、情欲を駆り立てる紫。
色っぽい、バイオリンの旋律と、衣装が官能的で、この上なく優雅だ。
「愛の賛歌」の序盤、曲は切ない女心を歌い上げる。
切ない程に、抱かれたいと言う苦しい思い。
きっと、彼女のすぐ隣に、この上なく愛しい男性がいるのだろう。
奪って、彼のものにして欲しいのに、彼は動かない。
女性は男性の存在に感じている。
髪に、肌に、熱に、匂いに。
触れて欲しい。
そういう思いが、奔流の様に、心の中で荒れ狂うのを感じてしまう。
曲の(プログラムの)後半は、その、愛する男性と一つになれた歓びで満たされている。
もっと彼を酔わせたい。
もっと自分に惹き付けたい・・・。
そして、曲のラスト、オーガズムが訪れる。
まるでカーマ・スートラの様だ。
官能の渦にこちらも引き込まれ、オーガズムさえ、感じてしまう。
でも・・・・。
点、点、点・・・。
あっこちゃんが、何気に曲を掴みきれていない気がする・・。
演技の構成はいいのに、伸ばした手が、動きが、どこかしっくり行っていない。
グランプリ・カナダ。
ガチガチに緊張している気はした。
でも、途中から大分それは落ち着いている様に見受けられるのに、いつものあっこちゃんじゃない。
音楽を、表現し尽せていない。
ハテ??![]()
と、考えて、こんな事に思い当たってしまった。
確かこのプログラム、振付師の方に、「あっこちゃんの人生を滑りなさい。」
と、言われたとブログで読んだ。
え~~、このインストゥ・メンタルで、「人生」は滑れないでしょ。
私が言われたら、「無理っ。」って即答しちゃう。
だって、「マイ・ウェイ」じゃないんだから。
こんな官能的な曲で、「人生」滑れますかい。
まだ、歌って言う存在があれば、詩によっては可能だけど。
インストゥだったら、この曲は隠しも出来ない、女性から男性への、愛の交わりを求める曲。
そういう踊りなら出来るけど、「人生」は無理・・・。
「人生」を滑れと言うんなら、別の曲にさせて~~~~![]()
って。
あっこちゃんは、この曲で「官能」よりも、「人生」を滑らなきゃ、って思いに、その一言で支配されているんじゃないかな。
それで、折角の表現力の才能が、生かし切れていないと思ってしまった。
(オペラ座の怪人は素晴らしかった。あれはもう完成してますね
)
あっこちゃん。
「愛の賛歌」、ちゃんとテレビの画面に、ちゃんとしたサウンドで聞いてみたら、あれはやっぱり、
「愛の歌」なんですよ。
人生ではなくて、男女の愛の歌。曲。
曲を感じるままに、官能的に、優雅に演じる事、あっこちゃんなら出来るはず。
以前、エキシビジョンであっこちゃんのタンゴを観た時(この録画消えてしまったの~~!!)
何てこの子は、官能的な美しさを持っているんだろうと、胸が熱くなりました。
しかも、あっこちゃんは、体つきや動きがとても優雅。
官能と優雅を、併せ持つのは、あっこちゃんの女性としての、最大の武器。
あっこちゃんが、復活してバンクーバー前、いきなり世界のリンクに躍り出た時から、ずっとあっこちゃんを観て来たけれど、
この四年で、あっこちゃんは、本当に洗練されて、美しく、女性らしくなりました。
正に今、花なら満開の頃。
そう、昨シーズン辺りから。
一番、あっこちゃんがこれまでで、女性らしく輝いて、その美しさと来たら、匂い立つ白百合の束みたい。
あっこちゃんは、女性として、一番美しい時期、女性が最も魅力的な時に、何とオリンピックシーズンを、二回迎えたのですよ。
それも今度は、より女性らしさ、優雅さが、磨き抜かれた時に。
何てラッキーな子なんでしょう。
私はこれまで、あっこちゃんは才能がある分、運が弱い子だと思っていたけど、とんでもない。
少女だらけのフィギュアの世界で、一人だけ一際美しく、女性の芳香をかぐわしく漂わせるあっこちゃん。
これは女性だってときめきます。
私、思うに、あっこちゃんのオリンピック、特にショートは、あっこちゃんが、少女達の中で、大人の女性の魅力を最大限に溢れさせるか、で決まって来るのではないかと。
「愛の賛歌」
もっと悩ましく、もっと官能的に、もっと切なく、もっと匂い立つ花の様に、演じて欲しいと願っています。
このプログラム、観客の男性も女性も、みんなオーガズムを感じさせられた時、「完成!」って気がします。
ちょっと仕事が入ったので、ここで一度、タイプを止めまーす。 続く![]()
・・・・・・・・・・・・・・
さて、また続き(って今、余りにも幸せな事があって、頭が呆けてボケーーー
)
気合注入!
しかし今回驚いた事。
シンクロニシティ(心理学者のユングが説いた、共時性=生命は、肉体では個々に分かれているが、魂としては、根本で繋がっていて、離れていても、同じものに惹かれるとか、共時性を現すと言う学説)を、つくづく感じた事・・。
最近、やたらと真珠のピアスが欲しくてたまらなかった。
私は、宝石をほしがるタイプじゃなくて、一個も宝石なんて持っていないけど、それでも兎に角、真珠が何故か急に欲しくなって、ネットオークション等で見ていた。
色々お金もかかるし、我慢しなきゃ、と思って諦めていた矢先。
あっこちゃんが、グランプリ・カナダ杯で、ショートもフリーも、何と真珠の耳飾りをつけていた・・・![]()
あああ、やっぱり魂って雨粒が川に流れ込み、海に通じる様に、より深い所では一つの心なんだわ、と思った時、やにわに取り出したのが、この、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」
↓初めての方、どうぞ拡大をクリックして、じっくりご覧になって下さい。
17世紀の、オランダ人、「光の画家」と呼ばれたフェルメールの、究極の一品です。
もう、この肖像画ほど素晴らしい絵は、私にはありません。
ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」に比較される程の作品ですが・・・。
絶対、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の方が百倍素晴らしいっ!!!
ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の、ドコが素晴らしいにょ?![]()
彼が、男色家ってのがよく分かる作品・・。
ダ・ヴィンチの女性って、中性的、言い換えれば、女性らしくない。
「モナ・リザ」も、目つきは完全に男ナリ。
がっしりした顔。
画面右方向に、流し目をしているけれど、その目には、慈愛も優しさもなく、ただ、戦慄を覚える程の自信に溢れている。
これって、ダ・ヴィンチ自身の目なんじゃないかなあ。
悪魔的な魅力は感じるけど。
「モナ・リザ」って、モデルの視線は外してあるのに、見ていると、目が合う様な錯覚を起こす。
が、しかし。
私は大の大人が、フリー・メイソンみたいな秘密結社をやってたり、オカルトにはまって、悪魔を崇拝しているのを見ると、この上なく、シラけるのだね。
ダ・ヴィンチの様な、悪魔的魅力は、私には全く響かん。
やっぱり、大人は可憐な野花の美しさに、見とれる様な純粋さがなくてはダメよ。
それを忘れた大人は、魅力ないない。![]()
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フェルメールのこの絵は、まさに純粋さと官能の一品よ![]()
あっこちゃんの、「愛の賛歌」を見て、すぐにこの絵が頭に浮かびました。
この、奇跡の絵!!!
14~5歳の年頃の、まだ、男を知らない可憐な少女が、その怖いもの知らず故に、悪戯心から出した、誘惑の眼差し。
その一瞬を、フェルメールはシャッターを切るが如く捉えた。
フェルメールは、デッサンの際、カメラ・オブ・スクーラと言う、原始的なカメラを使っていたと言われてる。
凛とした漆黒の背景に浮かぶターバンを巻いた少女。
肩越しにこちらを振り返る、その瞳は、少女の中の、妖しくも美しい色香を漂わせ、光の陰影によって浮き上がる、整った鼻のラインに沿って、目を滑らせると、そこには咲いたばかりの花の様な艶やかな朱色をした、美しい唇が、誘いたげに悩ましく開き、官能の炎を見る者の心に掻き立てる・・・。
だが、この少女は、実に罪深い。
淫らな情欲を掻き立てながら、決して触れてはならない神聖さで、その情欲を押し留めてしまう。
何と言う清らかさ。
何と言う官能の罪。
そして、成熟した人間達は悟る。
どれほど悩ましく、美しいものでなっても、幼きものに、手を触れてはいけないのだと。
この、少女の耳からうなじを照らす、真珠の輝き。
まるで純潔を意味している様な。
フェルメールのこの絵と、私の最近の、不思議な程の、真珠への渇望と、あっこちゃんが耳飾りにした真珠は、全部繋がっている。
フェルメールの美が、あっこちゃんにはある。
フェルメールも、あっこちゃんも、私も、美しいものをイメージした時に、真珠を選んだ。
それも、首飾りとしてではなく、耳飾りとして。
あっこちゃんの、「愛の賛歌」を繰り返し見ながら、私はメイクについて、思いを馳せた。
私の友達に、メイクアップ・アーティストがいる。
彼女だったら、どんなメイクを、このプログラム、衣装、そしてあっこちゃんに合わせてしただろう?
私なら、あっこちゃんの唇に、この「真珠の耳飾りの少女」の様な、朱色の輝く、明るく優しく、悩ましげな赤の口紅を差したい。
この色なら、衣装の紫にも合うはずだ。
そして、よりその衣装の色と、氷のリンクの白さを、引き立たせるだろう。
あっこちゃん。
「愛の賛歌」を心のままに、優雅に官能的に躍って欲しい。
この、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の様に、比類なき美しさを、「愛の賛歌」で創り出して欲しい。
音を聴いて。
もっと自由に動いて。
手を伸ばして。
あれは、男性への愛の調べよ。
音の魂の導くままに、あっこちゃんの心と体の全てを持って、表現して、芸術を。
・・・・・・・・・・・・・・・
まだ、続く![]()
のには、理由があって、もう一つ、シンクロニシティがあったのです。
あっこちゃんにプレゼントしたいと、昔持ってて、なくした本を、久しぶりに買い求めた。
ジャック・マイヨールの、「イルかと海に還る日」(講談社文庫)
読んでみて、いや、このフプラナ・ヨガの事なら、あっこちゃんは既に知ってるよな、って思いながら、
ふと、ジャック・マイヨールが、日本映画で、「映画界の伝説」と言われている、龍村仁監督の、
「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)」と言うオムニバス形式のドキュメンタリー映画の、第二番で出演した事を思い出して、家にある、「地球交響曲」の、本を幾つか出して読んでみた(読書・サーフィン・・・)。
その中の、「いのちの響ー生命交響曲」(講談社)と言う、龍村監督の本に、スーザン・オズボーンと言う歌手のインタビューが載っている。
勿論、ジャック・マイヨールのインタビューもある。
しかし、今はスーザンである。
「ハッピー・エンプティー幸福な無ー」と、題された文章を、何か惹かれるものがあって、しばらくぶりに読み進んだ。
「ハッピー・エンプティ」とは、龍村監督が、スーザンの歌を聴いて感じた心を表した言葉。
彼は次の様に言っている。
「ーとくに私はあなたの歌を聞くと、私自身のすべてが暖かくなって、泣いてるような、何かが私の中に入ってきているような、そして清めてくれるような、{ハッピー・エンプティ}-{幸福な無}を、感じることができるんです。」
この、龍村監督の言った言葉を、スーザンはとても気に入ったのだ。
インタビューで、繰り返しこの言葉を称えている。
大の親日家の彼女は、広島の原爆記念日に、来日して「アヴェ・マリア」を歌ったりしているし、日本の古い歌を歌ったりもしている。
スーザンは、自分自身の為に歌っているのだが、では何故人の為にも歌うのか、と言う自分の問いに対して、
それは、歌を通じて人との交流の中に、自分の必要とする精神的な何か、ある意味では、個人を超越した愛と言う体験があるからだと答えている。
スーザンのこういう感覚を知ると、既視感の様な錯覚を覚えた。
あっこちゃんが、スケートを人前で滑り、自分の為にやっていながら、人の為にも滑っている時、こういう、スーザンと同じ、「個人を超越した愛」が、彼女と観客の間に起こっている事を。
そんなスーザンが、私が久しぶりに開いた本を読み返すと、龍村監督に答えて自作の次の、
CDのタイトルは、何と
「パール」だと答えていた。
と、言っても、もう16年程昔の事ではあるが、今まで目に止まらなかった文章が、やけに引っかかって、よく読むと、そこに「真珠」の言葉があった。
新しいCDの作成を、真珠が出来るプロセスと関連づけていると言う。
「ひと粒の砂が、貝の繊細な組織の中に入り込み、刺激を与える。刺激を与え続けるから、貝は自分を守るため、ひと粒の砂をコーティングしはじめる。そして、ついにはこの美しいハッピー・エンプティが生まれるんです。」
あっこちゃんがスケートをしながら、目指してる境地は同じものに違いないと思っている。
・・・・・・・・・・・
ここから、ちょこっと漫談。
せっかくフェルメールの「真珠の耳飾りの少女の画像をアップしたから、ブログを分けて更新したくなーい
の、で、ここの末尾に乗っけちゃおうと(デスクトップの画面が、「真珠の耳飾りの少女」のくせに・・・)。
現在、自律神経失調症を、元気に患っているので、どうも文章が書いてて頭に入って来ないのが悲しいけれど![]()
駄文は後で直せばいいやと。
今日はここまで。
・・・・・・・・・・・・・
それで続き。
マイヨールの本は、引越し続きでなくしてしまっていたので、今回改めて取り寄せた。
マイヨールが自殺した事は知っていた。
でも、理由が分からなかったし、彼が自殺した言う事実は受け入れ難く、長く私は何も知らずにいた。
今回買った文庫本は、彼の死後版を重ねたもので、そこには以前とは違う解説が、当然載っていた。
神奈川大学の教授によって書かれたマイヨールの、自殺に関わる問題になったのではないかと言う、彼の言動の数々。
んん?
と、読み返す。
教授曰く、マイヨールは「我が儘」だったと。
エアコンが嫌い(文中でマイヨール自身が言っている。私も賛成だ。エアコンは大っ嫌い。東京を離れたかった一因にある)、窓の開かないホテルだったら、スタッフに変えろと言う。
講演の際、会場の椅子の並び方が嫌いだと言って帰った。(ワハハ)
素もぐりの撮影で、スタッフが何ヶ月、何千万とかけた撮影で、潜ったら感覚がおかしかったと言って、帰ってしまった。(凄っ^^)
教授はそういうマイヨールの我が儘さが、彼を孤立させて、結局彼はプライドを傷つけられて、自殺に至ったのではないかと言う見解を示していた。
私はカラカラと笑ってしまった。
なあんだ。
そういう事だったんだ。
教授!マイヨールは自分の事を、「イルカ人間」と呼び、限りなくイルカに近づいて行く事を人生の目標にしていたのですよ!
彼は、正にそれを成し遂げたんじゃないですか。
一体、人間の都合に合わせてイルカに振舞えと、仮にもマイヨールを通して、イルカの魂を世に知らしめようとしている人間が、こんなお粗末な事を言うかね?
イルカは水族館で、人間の都合に合わせて曲芸をやらされてる。
でも、「こんな事やりたくない。」
って、イルカが思ってる事を、理解する所からこの本の作成に関わっているのでしょう?
じゃなきゃ、水族館からイルカを引き取り、海へ還す活動をしていたマイヨールは、教授に取っては奇人変人のはず。
あのね、教授。
こっちはやっと安心しました。
マイヨールの「我が儘」は、イルカならそうしただろうと言う行動ですよ。
彼は、本当にイルカ人間になったんです。
じゃなきゃ、誰が何千万もかけた撮影を、「何かうまくいかないから」で止めれますか。
イルカに金銭の勘定なんか、関係あると思います?
自分に合わないと思ったら止めます。
イルカは賢いんですよ。
水族館で幽閉されたイルカならともかくも、自由に生きるイルカに、人間の都合に合わせる事を求めるなんて、つくづくあなた方は、ジャック・マイヨールも、イルカも、何にも理解していなかったと見えます。
マイヨールのこういう行動は、全て彼が望んでいた、「イルカ人間」に、本当に進化した事を裏付けています。
元々、イルカに近い感覚で生きていた人でしょうし。
イルカに講演を頼む事自体、賭け。
いきものと子供は思うとおりにはならない。
常識でしょう!^^
良かった!
マイヨール。
一度は自然を愛するあなたがくじけて自殺したのかと悲しんだけど、あなたは本当に「ホモ・デルフィナス」になったのね!
イルカ人間には、さぞや資本主義の世界は生きにくかった事でしょう。
煩わしい偏屈な思想の世の中から、見事抜け出したのね。
悲嘆にくれての自殺ではなく、もっと、あなたが生きやすい世界へ、引っ越しただけだったのね!
見事な幕引き。
あなたの生き方に乾杯!
あっこちゃんのお陰で、マイヨールへの悲しみが、喜びへとなっちゃった。
有難う、あっこちゃん!![]()
