徒然。
思う事がある。
前から思ってはいたけど。
あっこちゃんのファンになってからは、尚更に痛感する。
浅田真央選手に対する、マスコミと企業とそれに操作されてるミーハー集団。
ここでは便宜上、「マスコミ信教浅田真央派」と呼ぶ。
マスコミ信教の裏の支配者は、大企業さんである。
マスコミによって、こういうミーハーの神様にされているスポーツ選手は沢山いるので、
浅田真央選手を神様とする連中は、「浅田真央派」と呼ぶ。
宗教の宗派と一緒である。
似ている集団に「マスコミ信教スタジオジブリ派」もいる。
毎年ジブリの新作が出ると内容の良し悪しいかんに関わらず騒ぐ人々で、ジブリの作品は全て素晴らしく、ジブリを愛するのは日本人として当然、ジブリやトトロが好きじゃないなんて、信じられない、と言う、宗教的かつ独善的で、偏見おののく強固な思想を持っているので始末が悪い。
ともあれ、この「浅田真央派」の信者と、そのキャンペーンをやってる連中の姿と言うものには吐き気すら感じる。
浅田真央選手自身が、そういうマスコミや企業と少し距離を取ってくれれば、肩入れは可能なのだが22歳にもなって、テレビカメラのある所で自分を「真央」とか呼んでしまう人間には、肩を落とすだけである。
で、このミーハー信者が毎年冬になると五月蝿いったらない。
バンクーバー近辺では、私は浅田真央選手の演技には何の魅力も感じなかった。
子供の頃は可愛かったのであるが。
私の好みの問題である。
私は元々フィギュアはそれほど好きじゃない。
むしろ体操の方が、子供の頃から好きだった。
昔バレエを親にやらせられたが、これが体操だったら、続けていたのに、と思う事がよくあった。
バレエも好きではあるのだが。
だがしかし、体操のアクロバットの凄さ、バレエの姿勢の美しさに比べると、スケートをしながら技を繰り広げるフィギュア選手はどうしても、アクロバットでも姿勢の点でも見劣りがした。
バレエも経験している為、フィギュアの技と技の間の上体の動き、特に肩から指先までの動きは魅力を感じない。
長じてその代表選手になったのが浅田真央選手だった。
体は軽いし柔らかいが音楽の表現力と言うセンスが致命的にない。
子供の頃、バレエを習っていた頃の記憶が頭をよぎる。
柔軟体操をさせた後で、先生が練習中、ランダムにラジカセにテープを入れて、「はい、今から流れる音楽に合わせて、銘々動きを表現しなさい。」
すぐ出来る子は才能がある。
幾ら柔軟が出来ても、運動神経が優れていても、とっさの音楽の曲調を掴み、自分の個性で表現出来ない子は、バレエの様に、曲に合わせて踊る世界では、才能がなかった。
浅田選手は、何を滑っても、丁寧にも表情まで振り付けに入っていないと無表情。
演技力がない。
加えていつも、ボルネオのオランウータンの様に、だらりと下げている両腕の見苦しさは、耐え難い。
脇を全く締めていないので、滑ってる姿勢もだらしなく見えてしまう。
なまじ長い腕が、類人猿の様にぶら下がってる。
私は浅田選手を、そのいつもオランウータンの様に腕をぶらんと下げた動きから、彼女を「ウッホッホ」と言う愛称で呼んでいる。
体操選手ほど運動神経が高い訳でも、バレリーナの様に動きの一つ一つが美しい訳でもない。
「これだから私は、フィギュアがあんまり好きじゃないの。」と思っていた。あっこちゃんが出る前は。
要はフィギュアスケートは、折角音楽をつけて、バレエのチュチュの様な華やかな衣装をつけてアクロバットを行うにも関わらず、傑出した魅力がないのだ。
いや、魅力的な選手がいなかったのだ。
私はそういうスケートが本来好きじゃないので、世間の浅田真央フィーバーが鬱陶しかった。
真央ちゃん、真央ちゃん叫ぶ輩達に、「あのね、体操はもっと技の難度が凄くてね、バレエはもっと美しくて・・・。」
と、その異様な熱狂の飛び火を避ける為、少し水を掛けてやりたくなるが、テレビで普段お目に掛かれない、体操やバレエの凄さを知らない人間に言っても無駄だと諦める。
スケートだったらむしろ、その技術の高さを争う、スピードスケートのファンだった。
スピードスケートの選手が、畏怖を覚える程の速度で、コーナーを回る姿は、はっきり言って、フィギュアのトップクラスの選手のプログラムを観るよりも、緊張して観戦してしまう。
今でも、あっこちゃんを除くフィギュアなら、私はスピードスケートの方が見応えがある、と思ってる。
それでも、キム・ヨナは素敵だった。
浅田真央選手より全然素敵だった。
なのでフィギュアを見直し、観る様になったら、真央信者の五月蝿いこと、五月蝿いこと。
とうとう、キム・ヨナを堂々と誉めたら、ある人間から「反日ですか?」と言われてしまった。
噴飯ものであった。
そんでもって、2009年のシリーズから、我らが鈴木明子ちゃんが彗星の如く現れた。
これぞフィギュア界の新星だ。
もの足りなかったフィギュアのイメージを一人で払拭し、浅田真央選手のファンの様な、ミーハーではなく、本当に良いものに感動する人間を、どんどんフィギュアの魅力へ引っ張って行く。
そうなると、冬の風物詩、フィギュアスケート観戦(主にはテレビだが)も、無関心ではいられない。
こちとら、いいものをいいと呼ぶにはいささかのためらいも感じない人間である。
これまで、どうしてももう一つ魅力にかけたフィギュアで、正にそれが欲しかったと言う魅力を、彼女は見せ付けてくれた。
スケートシューズを履いて、氷上をしなやかに、力強く滑る姿。
音楽をよく捉え、物語を創造する劇的な才能。
これが、フィギュアに足りないものだった。
滑り自体にも魅力に欠け、しかも音楽を活かし切れていない。
これでは、体操にも、バレエにも、引けを取って当たり前だった。
それを全て備えて現れたのが、鈴木明子選手だ。
滑りだけで魅せる技術。
舞台を観るかの様な錯覚を受ける演技力。
大技だけに頼らない実力。
勿論、彼女にも弱点はある。
非常に繊細な分、度胸に欠ける。
しかし、フィギュアスケーターとしての才能を考えれば不世出の選手だ。
鈴木明子ちゃんのお陰で、もう誰もフィギュアを、バレエよりも、体操よりも魅力に欠けるスポーツとは言えなくなった。
彼女は、見事にフィギュアを体操やバレエと、堂々と張り合えるものにまで引き上げたのである。
にも関わらず、マスコミと企業はそんな事は関係なく、国民的人気を博す者がいればクソでもミソにしてしまう。
これに踊らされる大衆の存在が時々我慢ならない事がある。
スケートグランプリシーズンが始まって、テレビで試合のCMが流れる。
私がそれを見て、「頑張れ、あっこちゃん。」等と呟くと、必ず彼らの攻撃に合う。
「えっ、真央ちゃんじゃないの?」
じゃないの、って何。
じゃないといけないの?
何で、私が君と、同じ選手を好きでないといけないのかね。
私には、自分の好きな選手を自分で選ぶ権利はない訳か。
事実、浅田真央派にとってはフィギュア=浅田真央なのであって、日本人選手で、例えば村上カナコなど、マスコミ受けがいい選手ならともかく(しかし絶対浅田真央選手が神様であるのは譲らない)、他の選手のファンがいる事は、論外の外の何者でもないのである。
彼らのミーハー心理も、ここまで来ると宗教である。
余りにも排他的なのだ。
自分達が好むもの以外は、一切認めたくない。
いや、鈴木明子ちゃんのファンの中にも、浅田真央ファンはいるだろう。
しかし、私はそういうクソもミソも一緒にする人間の事を言っているのではない。
そういう人々は、まだマシだし、適当に距離を持っていればいい。
お手上げなのが、クソをミソだと信じて疑わない人間達なのである。
それはミソではなく、クソだと言っても分からない。
食っても分からないのだから、マスコミと企業による洗脳が取り返しのつかない所まで進んでいるのだろう。
ミーハーの低脳ぶりたるや、あな恐るべしと言った所である。
こういう人々は、宗教への他人の価値観を端から無視した勧誘の様に、他人にも、クソをミソだと信じ込んだ頭で、食べろと無理に勧めて来るので本当に閉口してしまう。
「いやあ、私、鈴木明子ちゃんのスケートが好きなの。」
「何で?真央ちゃんの方が可愛いし、うまいじゃない。」
↑妄信しているだけで根拠なし。 しかも他選手のファンに無礼。
「私ね、真理は信じているけど、宗教は入る気ないの。」
「何で?クリスチャンにならければ、天国へは行けないのよ。」
↑妄信しているだけで根拠なし。しかも他宗教の信者、及び哲学者や科学者に無礼。
クリスチャンに非ずば、善人問わず地獄行きと断定。聖書の角で頭殴って、割ったろか)
余計なお世話だ、バカったれーーー
去れ
ミーハー
去れ
洗脳信者
完全に私の作った文脈など、頭から無視した相手の言葉が返って来る。
会話になっていないのである。
新興宗教コンテストか、フィギュアスケートは。
しかし、同じミーハーでも、アイドルファンの方が趣味は同じく安くとも、まだマシな存在だと認めざるを得ない。
一体どこの世界に、例えばアイドルグループの中で、誰々のファンと言い合う時に、他の人間が自分と違うアイドルを押した時、
「その子よりあっちの子がいいじゃない。」
なんて言う横柄極まりない人間がいるね?
ボコられても仕方なかろ。
他人の憧れてる存在を、自分の憧れてる相手と違うってだけで貶めてみろ。
ジャニーズファンなんか、年中殺し合いをやってるわ。
そういう事が出来るのは、やっぱり宗教的な価値観の中に容易く陥れるあほだけである。
浅田ファンは、宗教にはまって、やたらと他の宗教を攻撃して、周りに自分の宗教の価値観への同意を求めて来る厄介な人間の姿に自分の姿を見よ。
個人的に言わせてもらえば、玄関にラッセンの、絵の具を無駄にしただけの駄作のリトグラフの、それもデカイやつを堂々と飾って、居間にはこれまたどこの画家が描いたものか、でっぷり太ったバレリーナの絵を飾って、客のお目汚しをしている様な人間に、
「鈴木明子より、真央ちゃんの方がいいじゃん。」
とか言われたくないのである。
せめて家からセンスのない絵を捨ててから言ってくれ

浅田選手引退の暁には、こういうボンクラッシュ共が、他へ興味を移すので嬉しくて泣けて来る。
クソとミソを一緒にするのは個人の自由だが、クソをミソだと妄信して、人の口の中にねじ込まんとするのは迷惑を超えて、暴力である。
私の意見も暴言であると言うなかれ。
浅田選手の盲信者達の暴言を、かれこれ何年も忍んで来たのである。