自家製ベーコンには、豚のバラ肉を使う。材料も、作り方も至ってシンプルだ。
【マルカフェのベーコン】
材料は、豚肉と塩、少々のスパイス。作り方は、乾燥と加熱。
豚肉を塩蔵し、熟成させたものを乾かして燻す。それだけ。長期保存のための加工ではないので、塩分は控えめで、乾燥、燻製もごく軽めに施している。それでも、出来あがったものは、生の豚肉とは風味も異なる独特の味わいを持つ。いくらか日保ちもするし、「調味料」としての機能も備わり、マルカフェのテーブルには欠かせない存在となっていて、それを目当てに訪ねてきてくださる方もある。いくつも拵えているうちに、上手に燻すコツもつかめてきたし、当然、それなりにこなせるようになった。
・・・
肉に塩を揉み込みながら、ふと思った。
この豚肉が日本国内に広く流通し始めたのはいつからなのだろう。と。

そういえば、いわゆる伝統的な「日本料理」として、豚肉を積極的に用いたものを知らない。ような気がする。自分の知っている範囲では、たぶん、そう。焼き豚も豚しゃぶも後発な気がするし、日本で広く豚肉を食する習慣は近代以降に根付いたものではないかと勝手に推察。但し、郷土料理などをざっと思い返すと、例えば、かつての琉球王国、そことかかわりの深かった薩摩地方には、本州とは別の形で豚肉が普及していたかもしれないし、山間部における狩猟従事者による、イノシシ捕食の習慣はあったのではないかと考えた。というところで、取り急ぎ、グーグル先生に尋ねてみると、日本における豚肉の歴史は弥生時代にまでさかのぼると言う。稲作技術の渡来と同時に、養豚も入って来たのだそうだ。なんと!知らなかった。というわけで、以下、メモ。
●●●
【豚と人との暮らし】
豚は、野生の猪を飼い馴らして家畜化したとされる。
現在でも、家畜の豚が野生化すると、体毛が濃くなり、特に雄は牙が延びるため、極めて猪に近い風貌になるらしい。確かに、豚にもくもくと毛が生えているのを想像したら、相当手強そうだ。ちなみに、中国では現在でも豚肉を「猪肉」と記載するが、それは日本語で意味するところの「猪」ではない。野生の猪については「野猪」とし、明確に区別している。
育てやすい豚は、広く世界中で飼育されてきたという。養豚方法は、人間の生活圏で共存させるか否かで区分することができるそうだ。主には東アジア、ヨーロッパでの生活様式に拠る違いで、東アジアでは人間の生活圏内において、ヨーロッパではその圏外で豚を育ててきた。
東アジアでは、生活圏からの廃棄物を飼料として与え、豚からの排泄物を肥料として農作物を育て‥‥という循環型の養育が主体であり、そのために、例えば、一階を養豚場、二階を住居とする設えの建物もある。一方、ヨーロッパでは、年間を通して放牧し、ドングリなどを餌として摂らせ、冬場にまとめて屠殺し、冬の時期の食糧とした。まとめて処理するとなれば、長期保存のための技術も必要となり、それが、ベーコンやハム、ソーセージなどの加工食品を発達させたと考えられる。少々乱暴な括り方だが、この違いは、「農耕民族」と「遊牧、狩猟民族」の違いなのかもしれない、と思った。
日本の場合も、東アジアの流れを汲み、一頃はおそらく人間の生活圏内で共存してきたものといえよう。遡って、弥生時代の養豚が、どれほどのものであったかは詳しく見てみないとわからないが、おそらく当時は、残飯で養い、排泄物を稲作のための肥料として活用したものと考えられる(例えば、ヤオ族、チワン族他、雲南省に住むいくつかの少数民族は、現在も下階に飼育場、上階を住居として豚をはじめとした家畜と共に暮らす文化様式を保持している)。
しかし、当時は豚を食する習慣と、この養豚方法は日本には定着しなかったとされる。
食習慣については、仏教の伝来に伴い、獣肉忌避の思想が入ってくるのに合わせ食用の家畜文化が衰退しためと言われているし、排泄物の処理については、それを発酵させ堆肥として用いる方法が普及したことで、リサイクルシステムとして個別に成立したためだと考えられる。風土が文化を成すものであり、環境に拠り、最適な衣・食・住が生まれるのだとしたら、日本における現在の食肉文化が独自の路線をたどったのもうなずけるわけだが。豚肉の普及には戦後の政策も貢献しているだろうし、輸送、冷蔵技術の発達や輸入の自由化、また食卓との融和性の高さも影響しているだろうし、どのようにして豚食が定着してきたのかは、きちんと調べると色んなことが分かるはずだ。興味深い。
●●●
【どうやら身体にも良いそうですし】
和洋中、広く相性の良い豚肉は、調理法如何によってさまざまな顔を見せる。
素材として、流通も安定しており、価格の変動も小さく、一般に手に入りやすい。普段の生活において、その実、わたし自身はあまり肉を口にしない。が、それでも全く食べない訳ではない。今は貧血防止や体力維持のために意識して摂るというスタイルだ。薬食いみたいなものだなあ、と思いながら箸を運ぶ。野菜や玉子、乳製品とはまたちがう滋味があり、命をわけてもらっているという感謝の気持ちもひとしおである。
塩をしてハーブやスパイスを揉み込み、その弾力を確かめては、食材が料理になるまでの加工を行う。燻製鍋を火に掛け、やがて煙が上がり、芳しさが立ち込めてくると様子を見て火から下ろす。ベーコンづくりで最も気をつけているのは火加減と加熱時間で、肉塊の大きさ、お天気、気温に大きく左右される。素材と道具さえそれなりのものをつかえば、それなりになる。食の安全とやらがうたわれて久しいが、好きな方は、これを機に燻製を試みて見られるのも良いのではないかと思う。燻製仲間が増えると、嬉しいなあと思う。面倒くさかったら、神社裏に食べに来てくれたら良い。それも、嬉しい。
●●●
【目標にしている味があるんです】
均一化をもたらしかねないグローバル化の波がこの先どこまで押し寄せてくるのかは分からないが、土地の育ててきた「食」はその地における顔ともいえる。ご当地名物の面白さ然り、文化の担い手は、多彩である故、面白い。なんか、そんなことまで考えながら、とりあえず、リンゴチップに火をくべて、手元のタイマーをセットする。燻しあがったベーコンは再び軽く乾かして、冷蔵する。のちに、カルボナーラや、ケークサレ、裏メニューのベーコンエッグ丼、スペシャルなシーザーサラダなどとして、テーブルに配される。
マルカが燻製をはじめるようになったきっかけは、三軒茶屋にあった燻製専門店で食べたカルボナーラだ。そこでの燻製料理はどれも絶品で、一頃はそれを食べるためにだけ、三茶に足を運んでいた。あんきも、チキン、玉子焼き。見目美しく滋味深い味わいは、他になかった。カルボナーラにしたって、そこのお店のお皿が一番好きだった。自分がつくるようになってからは、いつもその味を目標にしていて、いつかその味を超えたいと思っているのだけれど、今となっては、確かめようがない。
そのお店が、震災後に、閉じてしまったからだ。
・・・
どこかで偶然また再会できる日をひそかに願い、「わたしもベーコンはじめました」と言えるよう、豚肉に塩を揉み込み、煙を上げる。鍋から漏れる煙が、狼煙のようにいつか届きますように。なんてね。徒然。
