行き交ふ「人」もまた旅人也 | ま、いっか。のブログ

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高校生の頃、

街を歩いてたら、

中学の時の同級生に1日5回、

遭遇したことがある。

 

全部同じ人で、時間も場所も全く違ったのに、

本当に不思議でした。

 

最初は「奇遇だねー」みたいなノリだったけど、5回目に遭遇した時は、さすがにお互い気まずくて相手もイヤな顔してた(笑)

 

小さな町だったから、別に珍しい事ではなかったかもしれない。

だから、またどこかで会うだろうと思って、最後はそっけなく「じゃあね」って言って別れた。

 

それから30数年余。

結局それから、その友達に会うことはなかった。

 

 

 

出会いや別れって、

本当にいつどんな形で来るかわからない。

 

たった今、道ですれ違った人だって、

今後、再会することってあるだろうか。

 

普段の生活は、こうした「出会い」と「別れ」が共存している不思議な空間だ。

街を行き交う99.99%ぐらい人たちは、そうだろう。

 

そう思うと普段、ただの知り合いや学校や会社の人間であっても、街ですれ違う以上に関係がもてるということは「他生の縁」ではないか、と考えるようになった。

 

相手を好きか嫌いかを別にしても。

 

 

 

そうだ。

 

あと何億年かすると

太陽と地球がぶつかるらしい。

 

いや、他の星の寿命が超新星爆発を起こし、

地球は広大な宇宙のかなたにちりぢりに拡散してしまうのが先かもしれない。

 

どちらにしろ、物理的な意味で我々を構成する細胞、そして原子はちりぢりバラバラになり、ほぼ無限の広さに投げ出され、もう元の位置に戻ることはないだろう…。

 

そういえば、

自分の体を構成している”原子”たちは、

地球が誕生するはるか昔、

いったい宇宙のどこにいたんだろう。

 

もしかしたら、違う星の誰かの体を構成していたのかもしれない。

もしかしたら、地球とは違う星の大気を降らす雨の一部だったかもしれない。

 

そうだ。

自分が食べているこの食材の原子たちは、ここに存在する前はどこにあったのだろう。

自分が座っている椅子を構成する原子たちは、どこから来て集まってきたものなんだろう…。

 

 

私たちの体には、果てしなく遠い宇宙の果てに散りばめられていた原子が辿った数十億年のという時間の軌跡が残っていて一か所に凝縮しているのだ。

そして今まさに”個”の意識を持っている。

 

無限に広がるこの大宇宙の、

小さな小さな星にある、

小さな国の中の、

小さな町の、

小さな家の

小さな部屋の中の

この1か所に凝縮して存在すること。

 

ほんとうに不思議だ。

 

しかし、100年もせずにまたバラバラになり、数十億年もすればまた宇宙の彼方に散りばめられるんだろう。いつかどこかで、別の何か構成する日が来るとしても、それは過去のものと決して異なるものとなるのだ。

 

そしてそれは未来永劫、永遠に元に戻ることの無い”個”の集約。

 

家族や友人、恋人やパートナー。

片思い中の人や、お気に入りの芸能人・・・。

大好きなペットだってそう。

今後、間違いなく来る永遠の「別れ」がある。

 

魂だけでなく、物理的な果てしなく広がる無限の宇宙の彼方に、ちらべられるのだ。

未来永劫、もうどんなことをしても2度出会うことはない。

自分の大切な子供たちでさえ。

そんな日が、やがてすべての人に訪れるだろう。

 

いつしか自分自身も原子レベルで分割され、宇宙のかなたに散りばめられ消えてしまう。

だから、今生きてるこの瞬間をお互いに共有できるということは、本当はすごく”奇跡”的なことだなんじゃないだろうか。

 

 

我々は生まれてきただけで”奇跡”だ。

 

生きてるだけで”奇跡”だ。

 

普段の生活では、いいことだって、悪いことだってあるだろう。

うまくいかないこともたくさんあるし、

楽しい事だって、いやなことだって一杯。

 

でも、今我々が生きてるこの”幸せ”を噛みしめることが出来れば、

その悩みがいかに小さいものかに驚くだろう。

 

そしてその逆境を乗り越えるだけの力が湧いてくるに違いない。