malta執持録2026-1-25

『我が人生の帰趨』kindle版、幻冬舎、2025年より

https://renaissance-media.jp/category/gr1484

 

 

人は外から力ずくで変えられるとき、

たしかに「形」は整うかもしれません。

けれど、心の奥にある源泉は、

叱咤ではなく、肯定される瞬間に静かに芽吹きはじめます。

 

子どもを授かることができなかったわが家に、ラブラドル・リトリーバーの雌の子犬がやって来たのは、生後わずか二か月の頃でした。

以来十六年、まさに愛娘のようにして、ともに生きる時間を重ねた存在でした。

 

共働きのため在宅でトレナーから躾を学びましたが、学んだのは犬ではなく、じつは私たち人間の方でした。

猫パンチの応酬では何も変わらないのだと。

 

「罰を与えて正す」のではなく、「好ましい行動を見逃さずに褒める」。

ただそれだけの違いで、わたしたちの中にあった価値観は静かに転調していきました。

 

これまでの私は、悪さをしたら叱り、静かにしていれば「当たり前」だと思っていました。

しかしそれでは、犬にとっての安心は育まれず、ただ萎縮させてしまうだけなのだと気づかされました。

肯定されると、犬は自ら振る舞いを整えようとする ―― そこには “命が自力で開いていく力” が宿っていました。

 

人間もまた、同じなのだと思います。

外側から「叩き直す」方法では、たとえ形が整っても、心は変わらない。

いくら叩いても何も変わらない。心はすさび、空しくなるだけ。

叩いても、叩かれてもただ共に慚愧するだけ。

 

けれど、ただ存在を受け止められ、望ましい瞬間を見逃さずに「そこに光を当てられる」経験を重ねると、

人は自らの内奥にある静かな灯りを思い出し、そこから行動が変わっていく。

 

闘争本能のような性根は作り替えるものではなく、

もともとその人の奥底に眠っている「善いもの」に気づき直すことで、自然に立ち上がってくるものが必ずそこにある。

 

猫パンチの応酬では何も変わらない。慚愧なきは人に非ずだと。

 

―― そんな当たり前のことを、ラブは生涯を通じて教えてくれました。

 

文献

「慚愧とは、自ら省みて、わが身を恥じ(慚)、人の有様を見ておのれに恥じる(愧)こと。(慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。『信文類三(末)』)」

(教学伝道研究センター編:浄土真宗聖典―註釈版 第二版-、本願寺出版、2004)

 

(丸田和夫:随與録.~根源的生命 その窮極的真実に生きる~、文芸社セレクション、2026年2月刊行予定)

 

その他資料

(猪飼輝子訳:トレーニング ユア ドック.社団法人日本動物病院福祉協会、1994)

(ブルース・フォーグル著、山下恵子訳:ラブラドル・レトリーバー.ダイアモンド社、1997)

(愛犬の友編集部編:ラブラドール・リトリーバーのしつけ方.誠文堂新光社、1995)

(渡辺 格:イラストでわかる 犬のしつけ方.新星出版社、1997)

(テリー・ライアン著、加藤 元訳:ほめてしつける犬の飼い方.池田書店、1998)

(高柳友子:介助犬.角川oneテーマ21、角川書店、2002)

(ヴィッキー・ハーン著、川勝彰子・他:人が動物たちと話すには? 晶文社、1992)

(マイケル・W・フォックス著、平方文男・他:イヌのこころがわかる本.朝日文庫、1991)