良い靴を履くと、背筋がすっと伸びたり
歩き方がきれいになったりすることがあります
その変化は、ただの靴ではなく
「自分を整えてくれる道具」
としての力が働いているからだと思います
安い靴が悪いわけではないですが
気軽に履ける分
自分の所作を変えるほどの働きは
あまり持っていないのかもしれません
良い道具とは、本来
「道具を忘れさせるもの」
なんていいます
使っていることすら意識させず
自然と自分を整えてくれる
履くと背筋が伸びる革靴のように
そっと生活の質を上げてくれる存在
そしてふと思うのです
モノにはエネルギーがある…
そんな言い方を聞くことがあります
いま自分の周りにあるモノは
「昔の自分」が選んだもので
今の自分とは波長が合わないことがある
たしかに、人が変わるように
モノとの関係も変わっていきます
「自分は変わりたいのに、モノのエネルギーに引っ張られる」
そんな話をする人もいますが
それをすべてモノのせいにしてしまうのは
少し違うのかもしれません
結局のところ
そこには自分の意思の揺れや
気持ちの迷いが投影されていて
モノはただその揺らぎを
映し出しているだけなのだと
私自身、最近ゴミ箱を買い替えました
それまで使っていたのは
実家にいた頃から使っているプラスチック製のもの
何十年も使ってきた馴染み深いモノでしたが
ある日ふと「今の自分には合わない」と感じてしまったのです
理由はうまく言えないけれど
どこか気がかりで
ずっと引っかかっていました
そこでネットで調べてピンときた
木製で蓋つきのゴミ箱に買い替えました
デザインは気に入っているのですが
正直に言えば、重くてちょっと使いづらい
これはいわゆる「モノのノイズ」なのかもしれません
見た目は好きなのに、
生活の動作と微妙にかみ合わない
でも、よく考えてみると
単に慣れていないだけという面もあります
前のゴミ箱とは30年近い付き合い
その軽さも形も、身体に染みついているほど自然でした
一方、新しいゴミ箱は蓋があり
ゴミを捨てるたびにひと手間かかります
その小さな動作の変化が
違和感として現れているだけなのかもしれないと
けれど、蓋を開けるという行為が加わったことで
「ゴミを捨てる」という行為そのものが
以前より丁寧になったようにも感じます
捨てることへの意識が
少し変わったのかもしれません
それは決して悪いことではなく
生活の質を見直すきっかけでもあります
モノが自分を変えるのでもなく
自分がモノに引っ張られるのでもなく
両者のあいだにはいつも微妙な波長があります
昔のモノと今の自分が合わなくなることもあるし
新しいモノに自分がゆっくり馴染んでいくこともある
結局は
今の自分に合うかどうかという
とてもシンプルな感覚に行きつきます
モノを通して、自分を知る
そんな小さな手がかりが
暮らしの中にはたくさんあるのだと思いました

