すべてのものを手放し
しがらみを捨て
誰もが求める「自由」を手に入れたら…

 


きっと幸せになれる

多くの人が、どこかでそう信じています

 

 

 

ところが実際には
自由を手にした途端
逆に苦しくなる人が少なくありません

 

 

 

これはとても深いテーマです
なぜなら、「自由=幸福」ではないという
現実的な気づきがここにあるからです

 

 

 

人は自由を求めます
決められた枠から抜け出したい
縛られたくない
好きな生き方を選びたい

 

 

 

 

けれど、いざ自由になった瞬間
人はなぜか呆然としてしまうのです

 

 

それは、自由とは

「何かがなくなること」ではなく
「自分という存在」そのものに
向き合うことを迫られる状況だから

 

 

 

周りのルール

職場の役割
他人からの期待

 


それらがない真っ白な場所に立ったとき
人は初めてこう問いかけられます
なにもない自分を肯定できますか?と

 

 

 

自由の先には
責任や選択だけが残ります
そこには逃げ場がありません

だから、自由はときに苦しい

 

 

 

そして、ここでひとつ大切なことがあります

人は「レールを外れたと錯覚しているだけ」ということ

 

 

自由になったと思っていても
結局は別のレールに乗り換えただけ
ということがあるのです

 

 

 

会社を辞めても
個人で働いていても
仕事を変えても
「他人の評価」を気にしているなら
それは自由とは呼べません

 

 

 

好きな仕事をしていても同じです

「好きな仕事だから自由だ」
それは幻想です

 

 

 

人を介して評価される時点で
そこには期待と役割が生まれます
つまり、誰かの目線という

「枠」が存在している

 

 

 

自由とは
外側ではなく
内側の問題です

 

 

 

外のしがらみを捨てたからといって
自分の内側のしがらみが消えるわけではありません

 

 

むしろ、外側のレールが消えたことで
内側に残っていた「自分の評価軸」が
くっきりと浮き上がってくる

 

 

そのとき初めてわかるのです

自分を縛っていたのは社会ではなく

自分自身の価値基準だったのだと

 

 

 

真の自由というのは
何者でもない自分を認められるかどうか
そこに尽きるのだと思います

 

 

 

肩書きがなくても
誰かに褒められなくても
誰かに役に立たなくても

「今の自分でいい」と言えるかどうか

 

 

この境地こそが
本当の意味での自由に近い

 

 

職業や立場を変えることで手に入る自由は
あくまで「外側の自由」

 


本当の自由は
内側でしか手に入りません

 

 

すべてを捨てても苦しさが残るのは
まだほんとうの意味で

自分を認めていないからです

 

 

 

もし自由を求めるなら
社会の枠を外す前に
まず自分の枠を外さなければなりません

 

 

何も持っていない自分を肯定できたとき
やっと、自由は苦しみではなくなります

 

 

そしてその瞬間に

ようやく気づくのです

 

 

自由とは
「何かを捨てること」でもなく
「何かを手に入れること」でもない

 

 

ただ、
自分のままで

立っていられる状態のことなのだと