人はよく、「類は友を呼ぶ」と言います
たしかに、気づかないうちに似た人どうしが集まったり
なぜか同じようなタイプの人ばかり周りにいたりします
でも、その理由を深く考えてみると
ちょっと不思議で、でもどこか
温かいところにたどり着きます
まわりの人というのは
じつは自分の写し鏡のような存在だからです
周りに嫌な人が多いと感じるとき
つい相手に原因を探したくなります
「あの人のあの態度が嫌だ」
「なんであんな言い方するんだろう」
そんなふうに思うこともあるでしょう
でも、相手の中に見える嫌な部分というのは
ほんとうは自分の中にも同じ性質があって
そこに反応していることが少なくありません
もちろん、まったく同じ行動を
しているわけではありません
ただ、自分が無意識に抑えている部分や
見ないようにしていた癖や考え方を
相手が目の前で「分かりやすいかたち」
で見せてくれているだけ
だから「嫌い」という気持ちは
相手への批判ではなく
自分の中の何かに気づくサインでもあります
反対に
「この人のこういうところ素敵だな」
「こういう面が羨ましい」
そう感じるときも
その良さは自分の中に芽が
あるからこそ気づける部分です
人の魅力に心が動くのは
自分の中にある同じ種が光るから
「いいな」と感じるその感覚は
自分が育てたい部分をそっと教えてくれています
面白いことに
人は自分の中に存在しない性質には反応できません
「嫌い」も「好き」も
じつはどちらも自分自身の世界から生まれている
だから、相手を変えようとしても
世界はなかなか変わってくれません
変わらない相手に振り回されて疲れてしまうのは
そこに気づけていないとき
変えられるのは、いつでも自分だけです
でも、それは決して
「あなたが悪い」という意味ではなく
もっと優しい見方があります
相手を通して自分を知ることができる
という意味です
鏡に映った姿を否定するのではなく
「そうか、いまの私はこういう気持ちを持っているんだ」
と気づくための道具
そして、そこに気づいた瞬間
人間関係が急に楽になることがあります
嫌な人を無理に好きになる必要はありません
距離を置くことも、自分を守る大切な選択です
でも、距離を置きながらそっと気づくことはできる
「この人を通して、私は何を見せられているのかな」
そう問いかけてみるだけで
心の硬さが少しゆるみます
鏡に映るのは
今の自分を知るための小さなヒント
そのヒントを受け取れたとき
周りの世界が少しだけやさしく見えてきます
そして、誰かの良さに気づけたときは
「ああ、今の私はこういう美しさを求めているんだな」と
自分の中にある芽に気づいてください
他人は変えられないけれど
自分の心の扱い方は少しずつ変えられます
その変化が積み重なると
なぜか周りの人まで変わって見えてくるのです
人間関係は、自分という鏡の反映
だからこそ、自分の心にやさしくなることが
世界にやさしくなる近道なのかもしれません

