ある日、電車の中で
赤ちゃんが大きな声で泣いていました
お母さんはあやしながら
周りに気をつかっている様子でしたが
赤ちゃんはそんなことお構いなしに
まっすぐに泣いていました
その泣き声を聞きながら
ふと「赤ちゃんはなぜ泣くのだろう」と
考えてしまいました
赤ちゃんが泣くとき
そこには何か不足があるように見えます
お腹がすいた、眠い、抱っこしてほしい
たしかに理由はありますが
その根っこにあるものは
「欠乏」とは少し違う気がします
赤ちゃんの涙は
どちらかというと
「生命力の流れそのもの」
に近いのではないかと思うのです
ミルクを求めて泣くのは
大人が
「寂しい」
「承認されたい」
「孤独を埋めたい」と
泣くのとはまったく質が違います
大人の涙には
思考や感情の壁がいくつも重なっています
過去の経験、期待、失望
さまざまな「自分」という個人のストーリーが
涙の奥に積み重なっています
でも赤ちゃんには
そうした「個」の物語がまだありません
こうしたい
ああしたい
誰かにどう見られたい
愛されたい
認められたい…
そんな意図は、まだどこにもない
赤ちゃんの泣き声には
ただ「今ここにある生命」が
まっすぐに流れているだけ
お腹がすいたという感覚が来れば
そのまま声になる
眠気が押し寄せれば
そのまま涙になる
それは不足ではなく
ただ「生命の勢い」が
形を変えて現れているだけなのです
電車の中の赤ちゃんは
誰に気をつかうこともなく
自分を抑えることもなく
いのちのリズムに従って泣いていました
大人になると
泣くタイミングを選び
感情を抑え
周りを気にして
「ここでは泣けない」と蓋をしてしまう
もちろん、社会の中で生きるには
必要なことでもあります
でも、その分だけ
いのちの流れを感じることが
少なくなっているのかもしれません
赤ちゃんの泣き声を聞きながら
私たちも本来は
あれくらい素直に
いのちの波に従って生きていたのだと思いました
泣きたいから泣くのではなく
泣くべきタイミングが来たら
自然に涙がこぼれるような
そんなふうに生きることができたら
心は少し軽くなるのかもしれません
赤ちゃんの涙は
迷惑でも、わずらわしさでもなく
「いのちが今ここに育っているサイン」
そう思うと
あの日の車内の泣き声が
とても大切なものに思えてきました
私たち大人も
もっと自分のいのちの流れに気づいてもいい
泣くことも、笑うことも
迷ったり止まったりすることも
どれも自然なリズムのひとつですから
赤ちゃんの涙は
小さな存在が教えてくれる
「生命の素直さ」
その静かなメッセージに
電車の中でそっと耳を傾けたくなりました
