見ず知らずの人に話しかけることが危険であるという考えを刷り込まれて育った人は、何か人として損をしている面がありはしないか、といった視点から書かれた記事の中に、こんな英文があった:

 Plucking up the courage to strike a conversation with a stranger might feel tricky, considering it's not normally the done thing for many of us.

 (勇気を奮って、見ず知らずの人との会話を始めるのは、危なっかしいことに思えるかもしれないが、それは多くの人にとっては、当たり前のことではないからだ

the done thing をカタカナで表記すると [ダンシング] で、まるで dancing みたい。

Cambridge Dictionary [the done thing] を見ると

 what you are expected to do in a social situation:

 (社会生活を送るにあたって、当然そうあるべきだと思われていること

とある。

たとえば挨拶をされたら挨拶を返す、これは当たり前のことだろう。

そういうのを the done thing というらしい。

なお、上記辞書の見出しにそうなっているように、その意味で用いる時は the という定冠詞を付する。


◎ 引用した英文の出典 (BBC, 2022-10-27)
  Why talking to strangers can make us happier
  → https://www.bbc.com/future/article/20221026-why-talking-to-strangers-can-make-us-happier



そうはいっても、現代社会において、そういうのは心のゆとりみたいなものが必要な気もする。

全くの赤の他人、仕事に関係している人でもなく、親しい仲間でもない人に、気軽に話しかけるということは、私なんかにはむつかしい。

話しかけられた場合も、どこまで親し気に話したらよいのだろうと考えてしまう。

そんな大げさなものでなくとも、私は元来が顔見知りする性質なのである。