人にものを相談して、そのアドバイスを受けたいと思うときは誰にでもある。

話の内容はもちろんだが、相談をする相手をよく選んだほうがよい。

その理由は、悩みはその相手次第で変化してしまうことがあるからである。


たいていの場合、悩みを聴いてほしいというだけである。

これは文字通り、ただ聴いてくれる相手を選ぶのだ。

これが案外難しい。

ひとは話したがるので、純粋にただひたすら語り人の話を聴ける人間は、あまりいない。ほとんどの人が、途中で意見を挟みたがるからだ。


意見を言わずに聴いてくれる相手に話すのが、かなり有効なのは想像に難くないだろう。心に浮かぶさまざまな感情を、支離滅裂でもいいからまず言葉にして、人に聴いてもらうことで、自分で気持ちを整理でき、ふと気付きやひらめきが降りてくることがある。

それこそ、自分が自分で出した結論となる可能性がある。


人の言った言葉どおりにして、ふと、自分のこころとのずれを感じたとき、人によっては「あのときあの人の言葉に従ったがために、今こんな目に遭っているのではないか」と考えたりする。

そのときその人の意見を採用したのは、間違いなく自分なのだが、なぜかそう考えてしまう。


人のせいにして、責任を転嫁してはいけない。

いつまでたっても、他人に左右される人生から抜け出すことができない。

もし一生を他人任せに流れたなら、あなたの人生が、あなたのものといえるだろうか。


アドバイスが、本当に必要な場合ももちろんある。

その時の相談者の選び方も重要である。

専門的な知識が必要ならば、その専門家の門戸をたたけばよいのだが、こころの問題は少々不透明である。


一つ言えることは、




離婚の危機に陥った人間がいる。


この人は、離婚経験者になにがいけなかったかのアドバイスを求めた。

しかし、離婚したくないのであれば、本当は離婚の危機を乗り越え今夫婦仲良く暮らしている人間に、

なにがいけなかったのかとその後の修復時の心構えや行動をアドバイスしてもらったほうが、

離婚の危機を回避するのに具体的なイメージを持てるのではないか?ということである。


失敗したひとに、失敗の話をきくのもいいが、

失敗のあと修復に成功し、その生活を続けている人に話をきくべきである。








45歳の男。

ただひたすら寡黙である。

工員で薄給だが休むことなく仕事をこなし、続け、同じ日々。

人生の大きな変化といえば、35の時に女が部屋に転がり込んできたこと。

女の言うがままに入籍し、女は子を産む。

男の子ではなく、よそでつくった子であった。

男は、女とその子を食わせて働いた。

女が出て行った。

男は変わらない毎日を過ごしていた。

女が妊娠して戻ってきた。

男は、自分の子ではない2子ともども食わせ、働いた。

女がまた出て行った。

二人の子は残されたが、男は二人の子を食わせながら、変わらぬ日々を働いた。

女が、赤ん坊を連れて戻ってきた。

男は、今でも3人の子供と、女と暮らしている。

女はあれから出て行ってないこと、

腹に第4子、女いわくこの男との間の子だという子を孕んでいる。




この男性が、人生を語りにきた。

私は、ききみみなので感想や意見はなに一つ言わずに男の半生を聴いた。


男はこういった。

女に対して愛とか情とかがあるかどうかは自分はわからない。

毎日、家族との食事が人生でひとつ安らぐ時間である。





















家族。


家族。


家族。