昨日の晩、母が救急車で病院に運ばれました。
濡れた階段から足を滑らし、尻餅をつく形で落ちたのが原因です。
私は別の場所にいて、丁度、食事会の途中でした。
意識はしっかりしているらしく、病院は何処に搬送されるか分からないとのこと。
食事会を退席して、私は国道沿いの道をひたすら歩きました。車がライトをギラギラ反射しながら素早く通り過ぎるのを横目に、私も精一杯のスピードで。
どの位歩いたか。一駅半くらいでしょうか。
もしやここでは、と思っていた病院の近くまで来て、別の病院に搬送されたとの一報。
ちょっと、いや、断然歩いていくのは無理な距離。
バスか電車か……タクシーか。
私は駅前につくとタクシーに乗って、その病院に向かいました。
幸い、母は入院するほどの怪我ではありませんでした。
ただ、腰?臀部?にひびが入り、日常生活はかなり困難なことになってしまいました。
一日病院で様子を見て、今は自宅療養です。
私ができること、少しでもやって、母を支えなくては。
ポイントは二つ。
私の優しさ。それから、幸福と不幸の意味づけ。
私の優しさは、そっけない。本当は優しくないんじゃないか、優しくできていないんじゃないか、と自問自答することもあるくらい。言葉を尽くすのも違う、構い倒すのも違う、じっと見つめて、できそうにないところは手を差し出すもの。だから時折容赦ない。だから時折生温い。
優しさ、なんだろうなって。
そして、この出来事は、幸福か不幸か。
私が落っこちた時も言われたけれど、「顔を怪我しなくて良かった」、「もっと酷い怪我じゃなくて良かった」。私もそう思う。
でも、母のは、やっぱり、日常生活にも支障をきたしているし、仕事だって休まざるを得ない。幸福か、不幸か?そんなラベリング、どうだっていいかもしれないけれど、考え方次第で受け取り方が違ってくるから、対応も変わってくる。
私は、幸福だったと思う。意識があってよかったと思う。あの一報を聞いた瞬間のすっと心が冴えるのは、当分忘れられそうにない。
これは、幸福なる不幸せなのか。
母には聞けない。
さ。私にもできることから、何かを始めなくては。
そう思って、先程とうもろこしを湯がきました。ええ、この段階からです。しかもいつの間にか茹で上がってました(どれだけ私が無能かお分かりでしょう)
しかし、これで私、「とうもろこしを切る」というアビリティをマスターしましたとも!
次は、何のアビリティをマスターしようかな。
そういうわけで、母子ともども怪我をしながら元気です。