もう、八月も半分、終わりました。

けれど夏はたおやかに腕を広げて、にっこり微笑んでいるままです。

ここ数年は、去り際が淋しいのでしょう、一歩進んでは振り返りを繰り返して夏は過ぎ去ります。私たちはそんな彼女をおざなりに、片手に団扇やら扇子やらノートやら下敷きやら何かのパンフレットやらを持ちそれで風を起こしながら、気だるげに見送るだけです。

そりゃ、淋しいってものでしょう。侘しいってものでしょう。

それでも毎年やって来る彼女は健気だなと思います。


そんな、夏。


私も今日は侘しい思いをしました。鍵を忘れて家を出てしまったのです。

くたくたに疲れて帰ってみれば、家人は居らず、鍵はなし。さんさんと照りつける太陽は私が必死で守っている肌を焼いてしまうので油断も隙もあったものではありません。


お財布、はある。

携帯、も一応は。

服、も着てる(当たり前)


ならばどこか、涼めてゆったりできる場所へ向かえばよかったのでしょう。が、私の足は言うことを聞きません。どうやら私は性格だけでなく体も頑固みたいです。

仕方なく、私は日のあたらない場所を探し、結果人気のない階段へと辿り着きました。

我が家は集合住宅なのです。

階段に座り込んで、私は電池の消耗が激しくて寿命が近い携帯で、婉曲に助けを求めました。そして、じっと下界の景色を眺めました。

人気がないとは言え、公共の場。しかも、人気がないからこそ、人が通りかかったなら目立ってしまう場所。私はどこからどう見ても怪しい人物でした。この真夏の午後の時間に、買い物袋と大きなカバンをぶら下げた、分別のありそうな年頃の娘が、人気のない階段にぐったりと座り込んでいる場面を想像してください。しかも、その時私はあまりの疲労に眠りの波に攫われそうになり、しかもその波に足を取られていたのです。

階段で眠る女。

ありえない。まさしく何事か。

この時の私の心情は、言い表しがたいものでした。



携帯から救いの知らせが入った時、私の理性は夏の気温と湿度に蕩けていました。

そうして私は階段の縁から立ち上がり、鍵の開いた我が家の玄関を悠々と開けたのでした。



ずっと、子供の頃から鍵っ子で、帰った時に「おかえり」を言われるのも「ただいま」を言うのも慣れていませんでした。自分で玄関を開けて帰る、人のいない我が家。それが心地良いというわけではなく、その温度に慣れきっていたのです。

でも慣れると案外、いやかなり、嬉しいことなんだなぁと思います。

今日も、鍵を忘れて侘しくて切なくて途方に暮れたけれど、最後にすべて吹っ飛びました。



夏もね、きっと去りがたいのは、帰っても「ただいま」も「おかえり」もないからなんじゃないかなぁ。

そんな風に、無理矢理考えてみる、夏のある夜のことなのでした。