本当の自分のお話。
ありのままの自分って、何かね。
仕事のお話。
仕事の時の自分は本当の自分か。
はたまた、演技の自分か。
100%自分ってことも、100%演技って
こともないのでしょうけれど。
あえて言います。
私は100%演技です。
仕事で会う人とは100%他人です。
仕事用の顔で会って話しています。
逆に私がプライベートで相手が仕事で
こちらが依頼や手続きをする場合でも
私は仕事用の顔で話をしています。
仕事は疲れちゃうのです。
だから、勤務中の私は、敬語じゃなく
知り合い感覚で話しかけられるのは、
例え同じ会社の人間からで、休憩中、
プライベートの話であったとしても、
正直良い気分ではありません。
逆に、私の方がプライベートで仕事の
依頼をする側の私が敬語なのに働いて
いる輩がフランクに話しているのは、
正直良い気分ではありません。
ま、それはあくまで私のセンスなので
他人のセンスにケチつける権利はない
のです。
ただ、どちらか片方でも仕事としての
会話ならば、お互い敬うのが当然だと
いう思いではあります。
例えば、私が警備してる施設に会社の
カンバンしょって仕事で来てる輩が、
ぶっきらぼうな態度でいる様子を稀に
見かけますが。
会社の顔に泥を塗る行為だと思わない
のかしら…
とは思うのです。
プライベートのお話。
オフの時であっても、私は基本的には
他人と会う時は外用の顔でお話するの
です。
おかげで「素の自分」みたいなものが
無くなった気がします。
むしろ親戚や古い知り合い、同窓生と
会いづらいのです。
これはこれで弊害、コミュ障と言える
のです。
そのためか、基本的には人と会いたく
ないのです。
一緒にいるだけで別の仮面を被るので
疲れるのです。
オフの日くらい仮面を被らずにいたい
のです。
Xでこんなポストを見かけました。
友人が少ない人は
「職場でたくさんの人に会っている」
という感覚が強く、プライベートで
「1人の喜び」を回収しようとします。
「休日も人に会ってたら疲れる」と
いう思考回路があるのでソロ活に
なります。私です。
https://twitter.com/paya_paya_kun/status/1719282953191313868
わたしです
時々お話しております、婚活していた
時期に交際していた女性。
彼女を「恋人」と言い難いのはこれが
原因な気がします。
ずっと敬語で、他人行儀で。
素の自分で交流していたという認識が
全くないためなのです。
どんな女性がお相手でも、私はそんな
他人行儀の交流になっちゃうのだろう
と思います。
そのために、女性の方も私に親しみを
感じてくれないのでしょうか…
と思うのです。
かなしいね。
ちょっと余談。
その思いがあるために、私はいわゆる
キャバクラ的な、女の子のいるお店と
いうやつが苦手というか嫌いというか
楽しいとか行きたいと思った事がない
のです。
この女性は、お金の分だけ私に愛想を
振っているんだ、お金で作られた交流
なのだ、と思うと、全く嬉しくないの
です。
むしろ相手の仕事の手伝いをしている
状態だと思うと何だか腹が立ってくる
のです。
この女は、こうやって愛想ふりまいて
私よりたくさん稼ぎがあるんだろな。
私は、楽しいフリをしてやってるだけ
なのに、少ない手取りから更にお金を
取られてるんだな。
なんだコレは!?
…みたいになるのです。
ま、前職で連れて行って貰ったお店は
毎回先輩のオゴリだったからまあいい
ですけどね…
オゴリでも楽しくねぇのです。
相手は100%演技で、仕事で、お金を
貰っているのです。
お金のためなのです。
その金儲けに付き合い、100%楽しい
フリをしてお金を払うとか、もはや
仕事みたいなものなのです。
別に「金目当てで媚びて穢らわしい」
みたいな、いわゆる売女呼ばわりする
ような嫌悪感ではないのです。
それでいい、お金だけの繋がりでいい
と言う客がいて需要があって、そこが
Win-Winならいいのですが。
そこに本当の心を求めるのは愚かなの
です。
Q:そこに愛はあるんか?
そこに本当の愛を求めるから、相手に
深く入れ込んで、そして満たされずに
相手を逆恨みしたりするのですかね?
しらんけど。
「1800万円使った」
叫ぶ女が歌舞伎町で“ホスト”刺す
“愛が憎しみに変わる瞬間”
目撃者や止めに入った男女が語る
当時の状況
https://news.yahoo.co.jp/articles/a959ab7e8831cad9e0f8ad22843ed5f59d17e7ae
仕事で愛想振りまいてる人に、本気で
入れ込める感覚がわからないのです。
まあ、これは上の事件についてのXの
ポストで回答が出てましたね。
元ネタが見つかりませんでしたので、
記憶を辿って文字起こしします。
ホストやアイドルやVTuberみたいな
ものに本気で入れ込める人は、それ
以外に入れ込めるものがない人だ、
とか何とか。
ストーカーとかもそうなのかしらね。
コンビニの店員とかの営業スマイルを
個人に対しての笑顔と受け取った結果
執着したり、シフト聞いたり、連絡先
聞いたりするのもね。
趣味を始め他の依存先を緩くたくさん
持ってると、人生そうそう揺らがない
ものなのです。
逆に、趣味も友人もなく仕事や学問の
やりがいもなく漫然と生きていて自己
肯定感のない人間が、キラキラしてる
人からスゴイ褒められて認められると
一気にのめり込んじゃう…
とかなのかしらね。
頂き少女りりちゃんも言ってたらしい
のですが。
趣味がない男性や寂しがり屋の男性が
騙しやすくて狙い目である
んですって。
【顔画像】渡邊真衣(頂き女子りり)は
何者?コレコレ出演の経歴を調査!
https://sugadaira-trail.jp/watanabemai-nanimono/
依存先、という言い方をしましたが、
自分はコレがあるから生きていける、
という自信、アイデンティティがある
かどうか、てな言い方でもいいと思う
のです。
趣味、生き甲斐、支え、自慢…
そんな存在ですね。
「オレにゃこれがある!」
「コイツがあるから生きていける!」
「この一杯の為に働いてんだ!」
みたいなのですね。
私はそれを幼い頃から持ち続けられた
ので、友達が少なくても、彼女なしで
今までいても、強く生きて来れたのだ
と思います。
私の人生のお話。
小学低学年でドラゴンボールにはまり
映画も観に行ってグッズも買っていた
のでした。
今で言う同人誌みたいなこともしてた
記憶があります。
小学生低学年がノートに鉛筆描きです
から、程度はたかが知れてますがね。
オリキャラ作って戦わせたりしてたの
でした。
将来、長編バトル冒険ものの漫画家に
なりたいと思っていたのでした。
高学年ではファイナルファンタジーに
はまり、何回も繰り返しクリアしたり
他のスクウェア製のゲームも漁ったり
したのでした。
音楽にもはまりました。
植松サウンドに魅了され、親に頼んで
電子ピアノやFFの楽譜を買っては、
独学で演奏していたのでした。
中学校の音楽の時間に弾いたりして、
ちょっと注目を集めたのは人生の喜び
だったのです。
そんな中学生時代、世に格闘ゲームの
ブームが起こります。
ジャッキーチェンがスト2パロディの
ある映画に出演すれば。
香取慎吾がサムスピのアニメの声優、
しかも主役を務めたのです。
ジョイスティックを買ってサターンや
プレステ、ドリキャスで遊んだ記憶が
あります。
学生時代はヴィジュアル系にハマった
のでした。
Laputa、MALICE、DIRENGREY などなど
新曲待ちわびながらアルバムを何度も
聴き返す日々を過ごしたのでした。
いま、手元のカードケースを見たら、
マリスのテレカがありました。
一生もっとこ。
自身もヴィジュアル系になることを、
ほんのちょっぴり夢見てたのです。
ヴィジュアル系の衣装のチラシを見て
いつの日か買いたいな、着たいな、と
妄想したり。
写真はイメージです。
無駄に前髪のばしたり。
エレキギター買ったり、タブ譜買って
一人演奏したりしていたのです。
大してうまくはなりませんでしたし、
そもそも細身ではない体格の私です。
似合わないのはうすうす感づいていた
のです。
それでも、楽しいからOKです!
社会人になって、パソコンを本格的に
扱い始め、東方Projectに出会ったの
でした。
作品の面白さ、弾幕の綺麗さ、演出、
音楽、そして何よりコレをほぼ一人で
制作していると言うお話は、ゲームを
創りたいと小さい頃からずーっと切望
していた私に、大きな希望を与えたの
でした。
ファンアートを描いたり、曲を耳コピ
したり、とにかく東方に関わりたい、
東方の事を考えていたいと思っていた
20代前半だったのでした。
私のオタク魂の集大成、オリジナルの
ゲームはこうして生まれたのでした。
東方の劣化コピーのシューティング
ゲームを創ったのでした。
当時のにちゃんねるでちょっと話題に
なってましたね。
…よくない方でね。
そこそこ叩かれました。
素人の独学ゲームにそんなクオリティ
もとめんといて!
ま、そんなのも含めて、楽しかった。
とてつもなく楽しかったのでした。
その後も細々と色んなゲームを楽しみ
ゆめにっき二次創作なんてのもしてた
時期がありましたっけね。
アマチュアクリエイターな人生を謳歌
してきたのです。
二十代後半でネトゲにはまっちゃった
のでした。
2Dアクションの二大巨頭。
ラテールとメイプルストーリー。
これは両方かなり遊びました。
ギルドに入って夜な夜なギルメン達と
狩りをしたりレアアイテム目指して。
仕事のスキルアップよりも、ネトゲの
レベルアップが欲しかったのでした。
全てが楽しい思い出です。
全て、今からでもまた始めたい位に、
当時生きがいと思える程、大きな支え
だったのです。
他の何かなんて要らない位に。
お金で愛想を振りまく女性からの支え
なんて要らない位に。
まあ、だからかも知れませんが。
30歳を超えて、それらの情熱が薄れ
仕事のキツさが上回った辺りで精神が
闇に呑まれてしまったのでした。
死にたいキャンペーン開催中だったの
でした。
30過ぎてお酒を飲むようになって、
酔いの力で何とか踏みとどまっていた
のですが。
何度か死にました。
で、死に損なって退職に至る、と。
30歳後半で、転職や職業訓練を経験
して、ようやく年齢相応の落ち着きを
得たって感じですかね。
辞めたって何とかなるよね、とか。
いい会社にいたっていい女性と交際が
出来るわけじゃないしね、とか。
諦めとか妥協とか、そういう境地に、
何年か掛かって至れたのでした。
40にもなるともう不惑なのです。
お金に余裕も出るし。
もう余裕があるし、他にやりたい事も
ないから、しょうがねぇから仕事でも
すっか、みたいな。
逆に仕事に意欲が出てきたのです。
意欲を持てる仕事と、職場環境を得た
のでした。
今の支えは猫ちゃんとアコギです。
アコギ、全然練習出来てないけどね…
ちょっと弾くと猫ちゃんがなんか騒ぐ
のです。
「下手っぴ!やめろにゃ!」
みたいなね。
ま、そもそも警備の仕事で余力ないし
人生かけて追々でも良いのです。
あと最近すごい動画を見つけまして。
いい道
https://www.nicovideo.jp/user/26456222/series/34469
地域のトンネルの歴史を調べていく…
てな感じの動画です。
いい…
なんかこう…
当時の人の生活や息吹を感じられる…
そんな紹介…
そんな動画…
しかもコレ、自分の地元のトンネルを
調べたり見つけたり訪れてみるとか、
自分でも楽しめそう、やってみたいと
思わせてくれる、いい企画なのです。
トンネルはマニアックすぎますが、
地元の建物とか、跡地とか、無難に
歴史を探訪できそうな所はあるんじゃ
ないでしょうかね。
仕事辞めたら、そういうのを探して、
歴史に思いを馳せて、郷土愛を育む…
そんな老後…
あるんじゃないかしら…
いい…
まだまだ世の中楽しいことあるね!
これからも私の人生は続く!
このように、私は人生の節々で支えと
言える趣味や生きがいを見つけられて
来たのでした。
学校や勉強や部活や仕事、将来の不安
のような物たちに対抗できるパワーを
貰える武器を得られてきたのでした。
そんなふうに乗り越えた勉強や仕事も
過ぎた今では私に生きる自信と生きた
満足を与えてくれる支えとなっている
のです。
コレが私だ!
コレを選んで後悔はない!
…と思えるようなアイデンティティを
得て来れたのです。
幸運だったのです。
先日も似たお話をしてましたね。
命の選択
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12826248201.html
それが得られなかった人は、胡散臭い
詐欺師だったとしても自分を肯定して
くれるような甘い言葉を囁かれたら
迷っちゃうのかしら。
無駄にお金を使うとわかっている行為
でも、散財やギャンブルやホスト狂い
みたいなものに走っちゃうのかしら。
何かちょっと成功体験みたいなのでも
得ちゃうとそっちにのめり込んじゃう
のかしら。
Xのポストで見かけた、パチンコに
ハマる人のお話。
成功体験ややりがいを感じるためには
訓練、才能が必要になる。
勉強を楽しむのにも、その内容を理解
する能力が必要になる。
スポーツを楽しむのにも、ある程度の
身体能力が必要になる。
パチンコみたいなのにハマるタイプは
そういう成功体験を感じた事がなくて
そんでパチンコで大当たりして音とか
光とかお金とか、わかりやすく成功の
刺激を与えてもらえるものに依存する
ようになる、とか何とか。
合わせて見かけたお話。
パチンコにハマるのは悪い男にハマる
女と原理が一緒で、常に当たるのでは
なくたまに当たる(たまに優しい)の
で、次は当たる(優しい)と思わせる
ので、中毒性が高い、とか何とか。
なるほどねー。
そういうタイプもいるのね。
私は自分を理論的、道理に従うタイプ
だと分析しています。
運否天賦のものはお断りなのです。
運次第で当たったり当たらなかったり
するものなんて信じらんないのです。
ゲームも自分の操作でどうにかしたい
タイプなので麻雀やトランプはあまり
好きではないのです。
アクションや格闘ゲームが好きなのは
そういうところでしょうね。
自分の判断や操作でなんとかするのが
楽しいのです。
私とは違う、運やカンに頼るタイプは
「次は来るかも知れない!」
「いや、絶対来る!」
みたいな考えでパチンコに行ったり、
宝くじを買ったり、株やFXとかで
「ここは絶対に上がる!」みたいな
考えを持って何百万も賭けたりするん
でしょうね。
ゴミですね。
いや、そういう楽しみ方をする方が
ゴミって言ってるのではなくて。
運否天賦、または店側の策略や気分で
当たり外れの操作が出来るシステムに
自分の命運を賭ける考え方が、です。
自分に運否天賦の「良い方」が来ると
本気で信じられる甘さがゴミだと思う
のです。
私は「絶対」なんて言葉は「絶対」に
信じないのです。
簡単に絶対なんて言葉を使う輩は信用
ならないのです。
下地のない薄っぺらい人間ほど、強い
言葉を使うことで、元々無い説得力を
自分の言葉に求めるのです。
理路整然と落ち着いて話しても中身が
伴わなくて、言葉を飾る語彙もなくて
大声や汚い言葉や強い言葉でしか表現
できないのです。
(クソとかバカとかマジでとか)
強い言葉を使うと弱く見えるのです。
ちょっと余談。
私は先日、施設警備2級の試験に合格
したのですが。
受験する前に会社のおえらいさんから
「しっかり準備しろよ!
100%受かる、じゃダメだから!
120%受かるくらいやりなさい!」
みたいな事を言われたのでした。
理論や数値で生きてきた元理系の私に
「120%」とかいう精神論で語る上司に
悔しくて泣けてきて怒りで震えて涙が
止まらない。
100%でいいじゃないですか。
頑張れ、でいいじゃないですか。
簡単に100%を超えた表現を使うんじゃ
ないのです。
ま、そういう「私は理屈屋」ってのも
私のアイデンティティなのです。
自信がもてる自身があれば、そうそう
胡散臭いものに騙されないのです。
自信がない時に、耳に心地よい言葉を
言ってくるような輩を信頼するのは、
事態をより悪化させる懸念があるので
要注意、判断に迷うなら離れるのが吉
なのです。
ちょっと余談。
またまたXのポストのご紹介。
辛い状態にある人に対して、
「辛い状態を安心させるような、甘い
言葉を信じるな、惑わされるな」
みたいな話をした方がいたのですが、
それに対して
「『仕事に行って来れただけでも偉い
今はしっかり休め』みたいな言葉も
信じない方がいいか?」
って返したら、
「それは全力で信じろ」
てなお話をされてた方がいました。
ま、ともかく。
自分の支えを他人に求めるな、って事
ですね。
生殺与奪の権を他人に握らせるなとか
お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを
まかせるなとか似た話はよく聞きます
ものね。
上手く行かないのを人のせいにしたら
楽でしょうけど、人のせいにした所で
上手く行かなくて苦しむのは自分だけ
なのです。
自業自得の滑稽さを嘲笑われて終わり
なだけなのです。
上手く行かせるために人の力をアテに
して、その力だけで上手く行っても、
自分の支えにはならないのです。
自分で漕いでないから。
自分で選んでないから。
自分の人生という旅路の船のオールは
自分で漕ぎなさい、ってことです。
あと、その「自信」は他人と比べる事
なかれ、なのです。
本ブログでも過去に何度も引用した、
あるスポーツ選手が海外で体験したと
いうお話。
うろ覚え&多少脚色ありなので、選手
名は控えます。
とある海外の方が
「映画が趣味だ」
と言っていて、どれくらい観るのかと
聞いたら、
「今年は3本も観たよ」
とか言っていたという。
日本で「映画が趣味」等と言おうなら
◯◯監督の作品は観たかとか、今年の
話題のアレはどうだったとか、自宅に
映画鑑賞室でもあるのか、なんて話に
なるのです。
「その程度で趣味だとは言えない」の
オーラが出ているのです。
いいじゃん、言えば。
何で自分が好きかどうかを他人からの
許可や他人とレベルを比べて言ったり
言えなかったりするんだ。
日本人はアピールが下手だよね…
そんなお話をされていた記憶があるの
です。
今日のブログで挙げた私の支えだって
そうです。
小学生の漫画なんて酷いモンです。
中学生のころの音楽なんて人に聴いて
もらうレベルではありません。
学生時代のギターって言ったって、
通信教育の曲ひとつ満足に弾き切れた
こともありません。
バンドを組むなんて夢のまた夢です。
社会人時代のゲームや動画なんて、
フリーゲームだとしても他に比べて
かなり見劣りするものでした。
それでも胸を張って「楽しかった」と
言えるのです。
しょうがないのです。
私が楽しかったんだから。
楽しかった以外に言いようがないので
すから。
クオリティ面でも妥協するしかないの
です。
与えられた能力で勝負するしかないの
ですから。
SNSのお話。
私のオリジナルゲームを公開したのは
2005年5月だったそうです。
もう20年近く前ですね。
その頃とは違い、SNSが当たり前に
ある時代になりました。
この程度の作品を今、出したら、多分
相当に叩かれるか、または全く注目を
浴びずに終わる事と思われます。
SNSのせいで、比較対象が最高峰の
ものになっているのです。
リアルも、海外旅行だの都会の流行の
お店だのに行って多額の出費が出来る
人の声で溢れていたり。
そういうのと比べて「自分はダメだ」
と悩んじゃうのです。
するな、って言っても難しいものです
よね。
でも、だからこそ。
「数値」で「他人」と比較されない、
自分の心が楽しい、やってて楽しいと
言えるような支えを見つけましょう、
ってことなのです。
前述の映画趣味のくだりが好例です。
映画趣味を自慢できるポイントが無い
としても、自分が映画鑑賞が楽しいと
言えるなら、それで良しなのです。
「そんなんで映画趣味って言うの?」
みたいな事を言ってくる他人がいたの
なら、距離を置いたらいいのです。
というか、他人に「映画が趣味」とか
言う必要もありません。
自分が映画を観て楽しい。
これで明日も生きていける。
それで十分じゃあないですか。
そういう趣味、楽しみ、支えを人生で
見つけて行きましょう、なのです。
宗教やホストが悪いとは言わないけど
それは「他人」なのです。
それ「も」支えにするなら良いけれど
その他に、自分だけの支えを見つける
ことが大事なのです。
誰に否定されても、誰がいなくても、
自分が楽しいと思える支えを。
それを見つけて、人生を強く、楽しく
乗り越えて行こうね!
なんか冒頭と主題が変わった気がする
けど、まあいいか!
そんな結論で今日のお話はお開きで。
では、自分を支えてくれる自分だけの
支えをどうやったら見つけられるか…
それが分かれば苦労はしねェ!!!