ひとりはみんなのために。
みんなはひとりのために。
ひとりが我慢すれば皆しあわせなら、
ひとりを犠牲にしてよいのか?
みんなのためになるのなら、ひとりを
犠牲にすればよいのか?
それを「みんな」が言ったらひとりは
受け入れなければならないのか?
…てなお話。
先日、2つのニュースを見て、そんな
事を思ったのでした。
本ネタで書こうと思ってたらちょいと
時間経っちゃって、若干古い話題かも
知れません。
あしからず。
1つめのニュース。
長野市の公園が閉鎖に
1軒の住民
「子どもの声が騒がしい」
と訴え
https://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20221208c.html
概要。
・とある地域で、市が私有地を借りて
地域の子供のため遊園地を整備した
・周辺は小学校、保育園、保育施設と
いった子供のための施設が多い
・程なく近隣の1軒の住民から
「子どもが一斉に遊んでうるさい」
「敷地に子供が入り植え込みを傷つ
けられた」
と苦情が入るようになる
・市は遊具の場所を変える、消灯を
早める、ボール使用の禁止など対応
したが、住民からの苦情は変わらな
かった
・周辺の施設が子供を公園で遊ばせな
くなり、利用者がいない公園を整備
することはできず、担い手がいない
事もあり、公園は廃止となった
みなさまのごいけん。
(子供を受け入れる側)
・子どもたちの遊べる所がなかなか
ないし、緑があって貴重な場所なの
で、近くの住民の気持ちも分かりま
すが、残してほしいです。
・小学校が目の前の家で育ったけど、
子供の声やチャイムの音うるさい
なんか思った事ないけどな。
むしろ楽しそうに遊んでるの見るの
微笑ましかった位。
・子供の声がうるさいと言っている人
たちも一度は子供でした。
我慢するのはお互い様。
昔は大人たちが地域の子供の成長を
見守り大切にしたのに…
(騒音の悩みの気持ちがわかる側)
・うちも家の近くに学校あって土日も
7時頃からうるさい。
土日だと4、5時で止まるけど一日中
うるさいであろう公園廃止全然アリ
だと思う。
・昔、小学校の校庭に道路挟んだ場所
の職場にいた。
運動会やブラバンの練習時は窓を閉
めてても正直うるさいと思ったよ。
だから子どもの声や行事の音が騒音
ではない、とは思わない。
2つ目のニュース。
1歳女児の海外心臓移植
“5億円”募金達成へ…
医師訴え「臓器提供に理解を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b73194e4db2ca739a45487472e5f7da29146690b
こちらは特筆する事はありませんね。
1つの命を救うべく、多くのすこしの
善意が集められ、大きな力となった、
すばらしいお話です。
元気玉みたいなものですね。
現金玉ですね。
ここで冒頭やタイトルの言葉が生きて
くるわけですね。
ひとりのために、みんなが力、現金を
分けてくれた。
みんなのすこしの犠牲が、ひとりを
救う事になった。
オールフォーワン。
だから、1つめのニュースも。
子供たちみんなのために、ひとりが
我慢すればよい。
ひとりの尊い犠牲が、みんなを救える
事であった。
ワンフォーオール。
ほんとにそうか?
ちょいと余談。
ワンフォーオール、オールフォーワン
この言葉の本当の意味があるそうで。
All for oneの和訳
「みんなは一人のため」は間違いで
「一つの目的のため」
https://tokyo-futsaler.blog/archives/20190630-rugby-proverb.html
あと、これは経営コンサルの方の意見
だそうですが。
「One for all All for one」の
本当の意味とは?
https://president-ac.jp/blog/20201021/
概要。
・経営陣が数人いても、最終的には
1人が全て決めていくことが大事
代表の1人が最終的に決め、その
決定を死ぬ気でやりきるという
覚悟ある人がいないと魂が入らない
状況になりがち
・議論の上で決まったことは、誰の
意見であろうが自分の意思決定と
して実行
あとから「やっぱりあれは、、」と
いうようなことは言わない
閑話休題。
苦情住民擁護の個人的な感想のお話。
うるさいものはうるさいのです。
昔はみな子供とか関係ないのです。
子供からだろうが大人からだろうが、
デカい音がなるのはうるさいのです。
子供だからうるさいのであれば、親が
きちんと責任を持って管理しなけりゃ
なのです。
できないのなら出歩かせるな…とは
言えないにしても、ね。
大人でも話し声がうるさい人もいます
からね。
そんなうるさい人は子供の大きな声も
気にならないかも知れませんが。
私は話す事自体嫌いというか億劫な方
ですし、話しても声は小さめだと思い
ます。
周りに迷惑なレベルの大声で日常会話
する人が近所におりますが。
ウチの家族でもたまに話題にします。
外で話していると、こちらが屋内に
居ても話している内容が分かる、と。
その音量の喋りをおかしいと思わない
んでしょうね。
そんな人は子供の声も気にならないの
ではないでしょうか。
自分の声も気にしてないのですから。
仕事柄、泣く子供をたまに見かけます
が、本当に絶叫する子いますものね。
アレを毎日聞かされたら大変です。
まだ私は職場で仕事で聞いているから
いいものの。
自宅でも聞かされちゃあ逃げ場がない
のです。
そりゃ苦情の百や二百、言いたくなる
のも納得なのです。
これ、興味深いことに
「学校の近くに生活拠点がある方」の
ご意見がありましたが。
気にならない方とうるさい方、両意見
あるのです。
小さい頃から学校の近くだから、気に
ならなくなった…という訳ではないの
ですね。
やっぱり気質、個人差があるってお話
なのです。
誰かがうるさいとは感じない、なんて
どうでもいいわけで。
当事者がどう思うかが大事なのです。
当事者がうるさいと感じちゃったら、
それはもう問題なのです。
廃止の決断のお話。
遊園地の管理側、騒音問題解消のため
かなり手を加えてるみたいですね。
説得、話し合いもずっとしている様子
ですし。
コレで管理側に「努力が足りない」
みたいな苦言を言うヤツは自分がやれ
と言いたくなるのです。
市長のごいけん。
・18年間という長い期間は、多くの
住民の子どもの居場所を確保したい
という思いの表れだ。
地域の話し合いの結果廃止の要望が
出され、非常に苦しい判断だったが
このまま手続きを進める。
子育て支援に力を入れる一方住民の
声に耳を傾けるのが行政の役割だ
この言葉に尽きるのです。
18年もやってきたってのは、それだけ
管理側としても残したいという思いが
あったからなのです。
でも、それでも。
解決しないのであれば、もうやるだけ
やったのであれば。
これ以上を望むのは酷なのです。
ワンフォーオール。
やると決めたら、代表の1人は決意を
以て推進してやるのです。
「やっぱりあれは」は無しなのです。
あと、
・ご老人の心痛にも歩み寄れる道が
あればいいなとも思う。
廃止じゃなく、何か対策はなかった
のかな。
みたいなご意見もあるようですが。
ないからこうなったのでしょう。
あんなこといいな、できたらいいなで
何かが出来たら苦労はないのです。
苦労していろんな事を18年間やって
今の結果なのです。
ちょっと余談なのですが。
個人的なお話。
こういう話題になると、よく
「国や自治体がどうにかしないと」
みたいな意見をみかけます。
私はこの意見が大嫌いなのです。
何をどうして欲しいのか。
どうなったら結果が出ると思うのか。
自分は考えも努力もしないで、外から
芳しくない結果である点だけ偉そうに
上から目線で指摘している風に見える
言い方なのです。
「ズバリ言ってやった」みたいな面を
しやがるのです。
無責任な立場から理想論だけ唱えて、
意見してやった感を出してるのです。
先日のワールドカップで日本が負けた
時もにわかが現れましたね。
監督を無能呼ばわりしたりね。
どこが悪いのか言わないけれど。
言えないけれど。
ただ否定や非難はしたい。
でも応援も協力もしない。
頑張ってる人の足にまとわりついて、
ただエネルギーを吸い取る輩です。
ヒルやろうですな。
以前も書いた記憶。
たまに辛辣に叩く引きこもりやニート
問題についても似た事を思うのです。
あと就職氷河期世代の支援とかもです
かね。
「まだまだ辛さの理解が不足」
「支援の本気度が見えない」
みたいなね。
何をどうしたら支援になるのか。
何がどうなったらアナタは苦境から
脱出できると考えるのか。
まさか、ただ金だけよこせとか。
楽して大金稼げる仕事を斡旋しろとか
お考えではあるまいな?
最低賃金時給アンド事案発生や緊急時
には休憩時間が潰れた上にタダ働き…
なんて働き方の警備員もいるのに。
何も築いてこれない人生からソイツを
すっとばして恵まれたポストにつける
なんてお思いではあるまいな?
じゃあハローワークで警備員の面接を
受けさせてくれと頼むのです。
そうすれば晴れて社会人なのです。
なぜそうしない?
そんな道を用意してくれているのに。
「支援」、あるではないですか。
それが無いのに、ただ。
「支援が足りない」
「自治体や国が動かなければ」
みたいな不満を述べては無職で居続け
るのです。
動いてないのは本人だけなのです。
本人が動かなきゃならん問題です。
本人以外、誰が動くのかって話です。
世の中、世知辛いのです。
その世知辛さに自分が耐えられる様に
ならなきゃならんってのに。
それのための支援なのに。
その支援はもうあるのに。
それ以上の恵みを望むのです。
そんなヒルはダメなのです。
他人の足を引っ張って、エネルギーを
吸い取るだけの存在になってはダメな
のです。
ヒルやろうになってはダメなのです。
閑話休題。
この騒音問題と移植手術募金のお話。
並べて比べられるお話ではないのは
言うまでもないのですが。
同時期に見かけて、ちょっと気になる
お話だったのでした。
騒音問題、「正解」ってあったのかな
と考えてみるのです。
1つあるとすれば、移植手術の募金の
ように、遊園地を残して欲しい人から
募金を集めて、住民に引っ越しして
もらう…とかね。
住民が納得できる妥当な移転先とその
費用をクラウドファンディングする。
住民が納得する施設に作り変える為の
費用をクラウドファンディングする。
…なんてね。
妥当性のお話。
とはいえ、廃止に至る根拠が欲しいと
言うのは確かなのです。
公園廃止問題
タカラトミー元社長が見解
「騒音は住む人しか分からない」
「苦情が何件こようか立証が大事」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5707b27477fcb25b2c6960ead2943dbccd13a15f
例えば、子供が遊んでいる時間帯。
家の外で最大何デシベルの音が聞こえ
たら「騒音」と判断…
みたいなルールとか、ないんですか?
なんかそういうデータないんですか?
それで「騒音」に至らない程度なのに
18年間も苦情を言うとなると…
それはまた話が違ってくるのです。
クレーマー臭が漂うのです。
前述の通り、私の家の近所にも、大声
ばあさんはおります。
冬でもないのに数十分アイドリングを
する燃料無駄遣いおばさんもいます。
うるさい音なんかあちこちにあるので
す。
ソレいちいち苦情言ってたら人間関係
構築できないのです。
ある程度はお互い様な部分もあるわけ
です。
それが社会なのです。
人間嫌い、人付き合い嫌いの私ですら
その程度はわきまえます。
そのデータ、欲しかったですね。
あと、専門家のごいけん。
・働いているときは在宅時間が少なく
気付かなくても、引退して自宅に
いるようになってから騒音と感じる
ケースも多い。
こうした訴えに耳を傾けて継続的に
合意形成を図ることが重要だ。
・地域にふだんからいろいろな会話が
できる人間関係があれば、子どもの
声もあまりストレスや怒りにつなが
らないのではないか。
・行政にも、住民の意見を受け止めな
がら調整する仲介役としての役割を
果たすことが求められる
ですって!
そう、近所付き合い、ですね。
子供たちを「近所の子」と認識すれば
多少はガマンもできるかもなのです。
縁もゆかりもなく親に遠慮も感じない
不躾な連中の子だからやかましいので
あって。
でも、そんな良好な人間関係が簡単に
築けたら、世の中苦労しないのです。
結論。
やっぱ世知辛いわね、世の中。
「地域みんなで育児」みたいな暗黙の
了解に期待するようなシステムはもう
なりたたないのです。
仕事は始業15分前に来いとか。
会社への貢献のためのタダ働きを期待
しちゃダメなのです。
無人販売所とか。
そりゃ盗まれちゃうのです。
無料サービスのシュガーとか。
こっそり大量に持っていく輩も出るの
です。
「性善説」に期待する管理方法では、
異端者が現れた時にシステムを乱され
破綻してしまうのです。
それでシステムがなりたたないようで
あれば、それはシステム側に不具合が
あるのです。
そんな脆弱なシステムで運用する方が
悪いのです。
この公園、廃止はやむなしですかね。
民家から離れた所に、防音の建屋の
施設にしましょうね。
お金がないか…