幸せって何だっけのお話。
マイ理論シリーズです。
私は「世界ってこんなもんだよね」
的な自己理論をいくつか抱えて生活
しているのです。
過去のシリーズまとめです。
・自己責任論
世の中、自己責任!
不幸や不運や不出来を、誰かのせい
何かのせいにした所で、何も解決は
しないし、誰もフォローなんてして
くれないのよ。
(参考)
詐欺は自己責任ですか?
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12122016786.html
・正規分布論
世の中、「ふつう」の奴が大多数。
裏を返せば多い奴、多くの奴と共感
できる考え方を「ふつう」と呼ぶ。
「ふつう」である事が無難だけど、
おかしな奴もいるってのは認識して
おいた方が良いよ。
(参考)
繊細さん
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12680319829.html
・神の手論
世の中、ほうっておいて成る結果は
一番安定する姿なのよ。
それを変えたいのなら、よっぽどの
力がいるのよ。
(参考)
神の手論
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12720948604.html
・性悪説論
世の中には、こちらを欺いて利益を
得ようとする輩は必ずいる!
人をむやみやたらに信じたりなんか
しちゃダメ、人=悪人くらいの認識
で構えていた方が安全なのよ。
(参考)
性悪説論
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12727514577.html
・チェス盤理論
世に生きる者は、自分以外の立場に
立ったら自分の姿がどう映るかとか
考えて行動した方がよいのよ。
また、自分から見て相手が理解でき
ない行動をしている時、相手は何を
意図してそうしているか推測したり
すると良いのよ。
自分側の都合だけ考えたって事態は
いい風には進まないのよ。
(参考)
チェス盤理論
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12729853867.html
幸福論という言葉や概念や楽曲が多数
あるようですね。
私の言いたい事と関係あるかは調べて
ないのでわかりませんが。
私の結論。
幸せは相対的な指標ではなく、自分の
魂が決めるべきなのです。
何のために生まれて、何をして喜ぶか
それは自分が決めることなのです。
誰かより上かとか、誰かに自慢できる
という様なものより、自分が幸せだと
思える事をするべきなのです。
お話おわり。
これは私がメンタル下げ下げ~↓↓で
あった30代前半の頃によく読んでた
ゆうきゆう先生の漫画にも似たお話が
あった記憶です。
見つけました。
マンガで分かる心療内科・精神科
in渋谷 第51回
「あなたのプライドは、本物?
ニセモノ?」
https://yusb.net/man/617.html
リンク先なんか読まないぜという方の
ための概要。
あくまで私なりの理解です。
詳しく内容を知りたい方にはご一読を
おすすめします。
もしくはメンタルへ!
・心理学では、自分に対して持つ自信
プライドを『自尊感情』と呼ぶ
・「いい学校を出たから」
「恋人がステキだから」
自分は素晴らしいという条件付きの
自尊感情は、それを失った時に脆く
うつ等になりやすい
・「いい人生を歩めているか」という
問いに理由なく(又は何となく)で
「はい」と答えられる人が持つのが
真の自尊感情である
こんなものだろう。
付け加えるなら「他人に否定されたり
馬鹿にされてもムキにならない幸せや
自信も真の自尊感情である」ってのも
私の思う所なのです。
ああそうだよ、大したことないよ。
でもいいじゃん、私が幸せならね。
って感じに飄々と出来る余裕が人生の
幸せには必要なのです。
このお話を初めて読んだ当時頃、私の
自尊感情はぶれまくりでした。
「良い会社に入った事」で自信を持つ
一方。
そこで感じる実力不足、将来の不安は
自信を砕くのに十分で。
些細な事で自信が付いて自惚れたり、
些細な事で打ちひしがれたり。
「辞めたい」と「辞めたらダメだ」の
狭間で疲れ切っていたのでした。
まさに、自分の自信がいい会社に所属
しているという条件付きのものである
事の証拠なのでした。
所属していたら幸せ、辞めたらクズ。
辞めてどこかで通用するようなスキル
など無い事は自分が一番わかってる。
辞めてはならない、辞めるよりならば
死んだほうがマシ。
そうなっていったのでした。
URLを貼った漫画のお話。
2012年5月3日更新との事です。
奇しくもほぼ10年前ですね。
アニバーサリーですね。
今回言いたいことはこれでして。
幸せは誰かと比べたり、何かより良い
とか、誰かから言われて得るものでは
ない方がよいのです。
順位とか、年収とか、若さとか。
何かと比べて優れている状態に縋った
幸せだと、追い越された時や失った時
自尊心を砕かれてしまうのです。
例えば順位に幸せを感じたとしても。
それを得るため努力できた自分とか、
仲間と協力した経験とか、これまでの
やり方や生き方が間違ってなかったと
いう自信とか。
そういう揺るがないものに幸せを見出
すべきなのです。
例えばお金がある事に幸せを感じたと
しても。
稼げた自分を褒めるとか。
それだけ稼げる仕事を経験してきた
自信とかを自分の人生の礎にしていく
べきなのです。
裏を返せば、礎なき方法でお金を得た
としても、それは幸せとしては脆いの
です。
賭け事とか親の遺産とかですかね。
お金がなかったら自分に価値はないと
感じてしまうと、金額にだけ縋って
しまうと、お金を失う事が恐怖になり
余裕がなくなってしまうのです。
相対的なものではなく、自分が絶対と
言える幸せを見つけるのです。
大層な志を指しているような言い方で
すが、言いたいことは単純で簡単なの
です。
食べる事の幸せ。
私は自分を健啖家と称しております。
多少の好き嫌いはあれど、広く何でも
たくさんおいしく食べられるのです。
たくさん飲むのです。
・炭水化物
・肉
・揚げ物
・スイーツ
・ジュース
・酒
どれか諦めろと言われたら…
無理ですね。
どれが好きかと言われたら…
全部ですね。
やばいですね。
でも、食べる事が幸せと言ったら、
だいたい人は言うのです。
「おすすめのお店は?」
「今ハマっている食材は?」
「○○のお店行った?」
「どこの地酒がいちばん?」
「お酒にあうおつまみは?」
「どれくらいお酒のめるの?」
みたいな。

炊きたての米にかつお節ふりかけたの
でもうまいのです。
すげえよあきたこまちは。
精肉コーナーの割引肉に市販の唐揚げ
粉をまぶして酸化したサラダ油で揚げ
て発泡酒とストロングで呑んだって
うまいのです。
人生に耐えられぬ時飲むが良い。

誰かに自慢できたり、通な食べ方を
知っているから幸せ、みたいなのは、
条件付きだと思うのです。
そんなもんがなくても食べて自分が
幸せと感じたらそれは幸せと言って
よいのです。
食べて幸せ。
それでいい、それがいいのです。

そんな些細な、でも当たり前の幸せを
感じられなくなるのを「病気」という
のです。
人生を相対的に評価し、今ある自分に
幸せを見つけられず、悲観の渦に埋も
れているのです。
かつての私がそうでした。
仕事が辛く、プライベートの時間も
楽しめなかったのでした。
ま、私は、そこに務めている間はいい
給料を貰えてたわけなので。
今のゆとりはその時の稼ぎなわけで。
我慢の甲斐もあったのです。
裏を返せば、稼ぎ等の見返りなく辛い
心境で生活するような、何の得も無い
のに悲観して暮らすのは、人生の浪費
でしかないのです。
10年前のメンタルで居続けるなんて
無駄でしかないのです。
脱する事が出来て、本当によかったと
思うのです。
ちなみに。
ツイッターで見た記憶なのですが。
「ダイエットして痩せていくのは、
美味しい物を食べる事より幸せ」
とか何とかツイートされている女性が
おりました。
その幸せもまた幸せなのです。
誰かより痩せたとか。
誰かにキレイと言われたとか。
そんなのではなく、自分が自分を見て
幸せになれる。
それはステキな幸せなのです。
貴女は食べなくても痩せて幸せ。
私はメタボでも食べて幸せ。
そこに何の違いもありゃしねぇだろう
なのです。

願わくば、今の自分より、ちょっぴり
体重が増えちゃったとかでショックを
受けないよう、おおらかな気持ちでの
ダイエットの継続をされますように。
昨日より増えたからダメ。
昨日より減ったからヨシ。
ってのは、際限ない体重減少の渦への
悪路、拒食症とか栄養失調とかの病の
類ですからね。
何が何でも減りゃあいい、ってのは、
死に至る病なのです。
あくまで、ダイエットは幸せを感じる
為の手段なのです。
ダイエットが目的のダイエットは危険
なのです。
仕事の幸せ。
前述しましたが、私は以前は人に自慢
できるような大手会社にいたのです。
今でこそ最低賃金時給の警備員ですが
大手を経験した自信は何にも代え難い
財産なのです。
自信を砕かれたとか言ってたくせして
言ってる事矛盾してそうではあるので
すが。
こまけえことはいいんだよ!
で片付けられる位、揺るがない自信の
理由が「真の自尊感情」なのです。
ま、強いて言うなら。
能力が無いのに、いい会社に居続けて
成果を上げ続けなければならないのは
苦痛であったとしても。
いい会社に居た時期があった事実は、
例え辞めても消えないのです。
20年前に入社して、6年前に辞めた
会社の事ですからね。
The legend will never die です。

https://www.youtube.com/watch?v=_Yul4qVA_bI&ab_channel=BANDAINAMCOEurope
前の会社の中で、ポンコツ仕事で迷惑
かけてた事なんか、今の職場では誰も
知らないだろうからね。
続けられなくて逃げ出した、なんて、
言わなきゃ気づかれないでしょうから
ね。
「実はいい会社出身でね」
「いろいろ経験してきたわー」
みたいなハッタリと風格をかまして、
今の仕事も職場も、今後の人生の自尊
心もやりすごすのです。
やっぱり人間、頑張れる時に頑張って
おくべきなのですね。
多分、今の自分は、いい会社に居た時
より、その会社にいた事を誇りに思え
ていると思います。
今からその自信が揺らぐ事なんか無い
ですものね。
厳しい責任からは逃れられて。
だからこそ、今では無責任に自信を
持つことが出来て。
お金はガッツリいただいたのでした。
辞めて大正解でした。
その自信があるからこそ、今の環境で
満足なのです。
年齢は上でも一番下級の安月給です。
年下に使われる事に何の抵抗もないの
です。
それも
「前職はちゃんとしてたからね」
「もう私は隠居の隠者だからね」
みたいな、もう私はやり遂げた人だ的
な精神があるからなのです。
責任逃れなのです。
あくまで精神だけで中身はポンコツで
それを隠すためのハッタリですがね。
今では、年上でも年下でも上司にゴマ
すり手揉みでご機嫌伺いなのです。
上司同士の仲が悪い現環境、どちらの
上司にもすり寄りなのです。
「この仕事やっときやすね!」
「これの準備どうしやしょう?」
「あっちの上司はまだまだ未熟?
そうでヤンスね!さすがダンナ!」
てなお調子六句なのです。
隠者ハッタリくんなのです。
(人生の)山を越し
谷底(最低賃金時給労働)へ
メクラのタワケ やってきた
ハッタリくんが やってきた
どんぶり勘定に 減らず口
くるくる頭脳の 含めん頭
(戦力の頭数に入らない的な意味で)
眼鏡かなわぬ 荒業で
投げる仕事は フォアボール(四球)
ヤンスヤンスの ハッタリくんは
上司の味方 隠者でござる
(実は生き方は)賢者でござる
隠者パッタリ肝臓
(脂肪肝的な意味で)
只今参上!
趣味の幸せ。
今のマイブームはアコギなのです。
ヤマハの15,000円ミニギターがお気に
入りなのです。
まだまだ全然弾けてないけど、和音が
心地よいのです。
パソコンで曲データがあるので、すぐ
完璧な曲が聴けるのですが。
やっぱり生演奏、特に自分が弾くのは
音の響きが違うのです。
1ヶ月でこんなに上手くなりました!
みたいな若者の動画とか。
学生で超絶テクニックを持っている子
とか見かけますが。
そんなのに惑わされず、私は私の音を
楽しむのです。
簡単な和音でも、自分のお腹のそばで
鳴っていると、大変心地よいのです。
まさに音を楽しんでいるのです。
毎日の練習も楽しくなってきました。
左手の指も固くなってきました。
重ね重ね。
誰かより上手いとか。
誰かに褒められるとか。
どの曲が弾けるとか。
そんな「指標」を理由に幸せや自信を
持つのがダメよ、って言うのが今回の
お話のキモなのです。
自分が楽しい、それが自分が楽しい事
に必要なのです。

やっぱりゲーム音楽が一番ですね。
アコギ定番曲みたいな本を買いました
けれど、いまいち練習してまで弾ける
ようになりたいとまでは思えなかった
のでした。
ゲーム音楽の悲しみのテーマとか、
セーブ・ロード画面のテーマとかだと
ギターに合っていて曲調もゆっくりで
練習にちょうどいいのです。
今はこれを練習中です。
Opening of a Journey (SaGa Frontier) Guitar Tab
https://www.gametabs.net/playstation/saga-frontier/opening-of-a-journey
ギターがうまい人にとっては、退屈な
くらいの曲かも知れませんが。
おじさんには始めの4小説も覚えられ
ないのです。
道は長いのです。
ということは、長く楽しめるのです。
一生かかっちゃうかもね。
ということは、ギター一本で一生楽し
めるのです。
ポジティブシンキング。
結婚の幸せ。
念のためですが、私は性癖ノーマルの
未婚男性です。
とあるきっかけでミグタウって言葉を
知りました。
MGTOW(ミグタウ)
女性を避け非婚を選び自由を得る
男性たち
https://www.mosumiharuto.com/mgtow-men-going-their-own-way
リンクを読まない人のための概要。
リンク先はかなり偏った書き方ですが
要はページ名そのままです。
女性との交際や結婚は、男性にとって
失う物の多い行為であり、リスク。
だったら女性との関係を断ち、自由な
人生を歩むべき、てな考え方を指すん
だそうです。
ちなみに、リンク先では「レベル」が
紹介されてまして。
レベル0は「社会が女性中心で不平等
なものと認識する」だそうで。
レベル4だと「社会から期待される
すべての役割を拒否する」ですって。
その状態を「隠者」と呼ぶそうで。
現代の社会規範は女性中心的であり、
その状況に反発、絶望しているのが、
ミグタウの人達なんだそうです。
隠者ガッカリくんですね。
またまた参上です。
私は、別にそこまで女性だけ結婚だけ
避けた訳じゃないのです。
HSPを都合よく出してくるようにも
映るかも知れませんが、やっぱり私は
人間付き合いが苦手なのです。
私は基本、プライベートの時間で人と
触れ合いたくないのです。
仕事や買い物から帰ってからも誰かが
同じ部屋にいるのは男女問わず嫌なの
です。
人間が嫌いなのです。
だから結婚もしたくないのです。
リアルで頻繁に行動を共にするような
友達もいらないし、いないのです。
ミグタウの人は、決まった伴侶に束縛
されずに交友関係を持ちたい人という
印象があります。
レベルにもよるのでしょうけれども、
人間そのものが嫌いな訳じゃないって
事ですね。
結婚に関わらないのなら、女遊びする
人もいるとか。
あるいは好きに友人と遊びたいから、
結婚をしないとかね。
私は、ネット経由の交流で他人成分は
十分なのです。
結婚したくても出来ない人や、望まぬ
結婚をした人は可哀想ですが。
望んで結婚しない人も、傍から見たら
可哀想に映るのかも知れませんね。
何度でも言います。
誰かが持つ幸せの常識に惑わされずに
自分の幸せを考えるのです。
自分が不幸な結婚は不幸です。
自分が幸せな未婚は幸せです。
結婚すれば幸せになれる、なんてのは
世迷い言、絶対ではないのです。

不幸な自分の人生に、後付けの幸せを
与えてくれる人との結婚を望むなど、
愚かなのです。
自分が人として自立して幸せだから、
更に幸せになるとか、相手も幸せに
出来るとか、そんな結婚を考えるべき
なのです。
ま、持論ですが。
自分が人として自立してたら、他人と
結婚する理由がなかったりするんです
よね。
私がそうだからね。
アパートの一人暮らしで家事や役所事
経験してるし、お金に困ってないし、
もうそんなガツガツ性的にアレな歳で
もないし、子供ほしくないし。
一人は老後寂しいとか言うけど、そも
そも一人が寂しくないし。
孤独死したくないとか言うけど、そも
そも看取って貰えるとも限らないし。
そもそも孤独死でいいし。
何より、独身で残念とかチクショーと
か思わないのです。
人間関係の幸せ。
ほぼ前項の結婚についてと同じ内容に
なりますけれどもね。
気のあう、気のおけない友人がいると
したら、それは間違いなく幸せなので
しょう。
私は残念ながら、とにかく気をおいて
しまうタイプの人付き合いをしてしま
うのです。
気疲れするのです。
誰かが言ったか、ブログに書いたか
したと思いますが。
独りでいる事が苦痛でないのは一つの
才能である、とか何とか。
特にいまのコロナ禍、誰かと居ないと
気が済まない様な方にとっては、災難
であると言えるかと思います。
飲み会禁止、会話禁止。
それで良かったと思えるような気質の
人間は、この先独りになっても、強く
生きられるのです。
友人も伴侶も、自分が死ぬまでずっと
居てくれるとも限りませんものね。
死ぬ時はいずれ独り。
誰に見られる事も無く死ぬかも知れな
いのですからね。
どんとこい孤独死!
職場でも、人間関係にそれほど悩んで
いないのです。
どんな上司にもヤンスですり寄って、
上手いこと渡り歩いていますからね。
年齢の為せる業なのです。
車の幸せ。
前の会社で、私の部署に車好きの方が
おられました。
アウディ?だかの車でした。
あのマルよっつついたメーカーです…
よね?
車よぐわがんにゃい…
その方と話をあわせるのと、そろそろ
いい歳だし、お金あるし、軽自動車で
ない良い車とやらを買って、嫁さんを
迎える準備をしようか!
…と思った時期もありましたが。
交際してお相手と話して、二人が納得
する車種を買おうと保留にしておいた
のです。
以前のブログに書きましたが、交際は
相手の親御さんの横暴な理屈に我らの
親族が怒り、破談となったのでした。
結果、車も軽のままなのでした。
そもそも、私自身が良い車に興味が
なく、良い車を買っても嬉しくないと
気づいたのでした。
誰かに「いいじゃん」て言ってもらう
為だけにお金を使ったって、幸せには
なれないのです。
自分自身が欲しい車じゃなかったら、
買うべきではないのです。
今の軽自動車でも十分なのです。
それでいい、それがいいのです。
お金の幸せ。
ちょくちょく私は「いい会社にいて、
お金には困っていない」と言っている
のですが。
たくさんお金を稼いでいたのは過去形
なのです。
それも、とうほぐの過疎県で手当無し
20代が貰えた額なんかタカが知れて
いるのです。
ダイソーやしまむらやトップバリュで
人生を謳歌しようと思ったら困らない
程度の資産なのです。
パーッと気前よく使える額なんかない
のです。
あったら警備員しないのです。
だとしても、お金に困らないってのは
何よりの幸せなのです。
ここぞと言う時いざと言う時、本当に
本当に使いたい時、ある程度なら出す
ことができるだけ貯金があるのです。
ギターうまくなってきたら、そこそこ
良いアコギでも買っちゃおうかしら。
20万円とかのね。
ポンと出しても痛くない位には余裕が
あるのです。
独り身ってのはコレが出来るのが良い
よね。
ということで、そろそろ締め。
結論はずっと言っている通りです。
誰かより上とか、自慢出来るとか。
そういう指標ではなく、今の自分が
やりたい、やって楽しい、幸せと思う
事をやっていくべきなのです。
これまで書いた通り、私の認識ですが
私の感じている「幸せ」は相対的には
大した事ではなく、むしろ敗北者の
強がりとも取れる部分もあります。
いい仕事を続けられなかったとか。
結婚できなかったとか。
友達いないとか。
いい歳してゲーム音楽のギター弾きが
趣味、それもまだ下手っぴとか。
生活水準が低いとか。
もちろん、そんな私より恵まれてない
環境の方もいるでしょう。
何度でも言います。
上下なんか関係ないのです。
誰より上とか、誰より下とかではなく
私が楽しいなら私は幸せなのです。
そんな幸せこそ、真の幸せなのです。
自分が上でない事に悲観し、誰か更に
下を探して叩いたり貶したり。
逆に自分より上を見て、水を差したり
妬んだり。
そんな事の為に翻弄するなど、人生の
浪費なのです。
絶望したヤツを見おろすような幸福は
見おろされているヤツ以下なのです。

そんな幸福を望んでいる奴は…
最初から負けているのです。
