歳を取る事について。
オジサンになるとは、ああ歳とったな
と思うのは、どういう時でしょうか。
白髪が数本の若白髪じゃなく、結構な
白さになったとき?
背脂コッテリラーメンがエネルギー源
でなく、ダメージになったとき?
歩いての階段なのに息が切れるように
なったとき?
(マスクのせいです…きっと…)
夜更かしができなくなったとき?
色んな指標があるけれど、どこでそう
痛感するかは人それぞれと思います。
私が最近感じるのは、オタクではなく
なってきたということです。
自分の中でオタク的な要素の占める
割合が減っていっていると感じるので
す。
子供の頃はカードやプラモデルなど、
現実世界にオタク系のアイテムがある
のが嬉しかったのです。
そういうグッズが大変欲しかったので
す。
学生時代は進化するゲーム機にかじり
つくように、買いまくりやりまくり、
雑誌も読みまくりだったのです。
社会人になり、パソコンをやるように
なっても、二次元イラストにフガフガ
して萌え~みたいなことを本心から
できていたのです。
それを過ぎても、大人になってから、
ネトゲやニコ動、ボカロなどにはまり
していた頃もありました。
今は何もありません。
アニメを観る事はありますが、かなり
気合を入れないと観れないのです。
新しい作品、新しい話に触れるのが
重いのです。
観てもお酒の勢いでサラッとだけみて
キャラクターの名前やストーリーなど
ちっとも頭に残らない、残さないので
す。
漫画はホント観なくなりました。
ツイッターにあるアマチュア絵描きの
4頁絵で起承転結が終わる作品で十分
満足なのです。
むしろそれよりたくさんあると、また
設定やキャラ名を覚えていかないと
いけないので、辛いのです。
スマホゲームを暇潰しに遊ぶことも
ありますが、課金は一切なしだから。
ある程度強くなると飽きるのです。
そうなると、続けるのもやめるのも
終わるのも大した感情はないのです。
「ネトゲやりたいな」
「ゲーム制作したいな」
そう思うこともあるのですが、それは
過去の思い出への執着でしかないと
思います。
そういうのに熱狂していた時期があり
あの頃は楽しかった、もう一度そんな
気分を味わいたいという思いでして。
リアルタイムでそれそのものに熱中
したい、興味がある、というわけでは
ないと思うのです。
自分の心持ちにも変化があったとは
思います。
二十代から三十代のときは、もっと
若くありたいと思っていました。
それは大人になりたくない、まだ
オタクでいたい、みたいな。
「未熟です」と言いたい時期にすがり
つきたいというような理由でした。
二十代後半でニコ動やネトゲ満喫~
というのは自分の中でOKだったので
す。
三十代で言うのはちょっと痛いかな、
と思っていたのです。
結果として三十代でも、四十目の前の
今も言っていますが、それでも。
ガッツリ依存とまでは言えなくはなり
ました。
三十代から四十代は、早くオジサンに
なりたいと思っています。
バリバリの現役サラリーマン、仕事に
金に女にがっついてますみたいに思わ
れたくないのです。
思われたくない、というか、がっつく
位のエネルギーを期待されたくないの
です。
「お金ほしいでしょ?」
「残業バリバリでしょ?」
「彼女、車ほしいでしょ?」
「ギャンブルは?おいしいお店は?」
みたいなのを聞かれても、何もいらん
のです。
今まではデスクワークだったし。
無職期間もあって気力体力はようやく
ほどほどに回復した程度なのです。
畑違いの肉体労働にしがみついてる、
しょぼくれたくたびれオジサンですよ
って顔をしていたいのです。
部下を抱え一人前、働き盛り!
…というふうであるべき期間は、私の
人生にはなかった。
そういう接され方をされる年代は私の
人生にはなかったという事にしたいの
です。
子供からオジサンになった。
「大人」の時代はなかったという事に
したいのです。
ダメ人間。
音ゲー、ギターフリークスをアペンド
まで買ったくらいに好きだった期間も
あったのに。
学生の頃ですね。
今ゲーセンとかでニコ動にあるような
曲で太鼓たたいてたり、ワシャワシャ
洗濯機の掃除みたいなのをしてる人を
みると、正直寒気がするのです。
こんな姿に見えるのか、と。
私もいっときはこうだったのか、と。
熱狂的なオタク魂はホント盲目です。
そんな魂、もう一度もらえるのなら、
欲しいかなあ。
なくてもまあいいか。
思い出だけでも結構生きていけるもの
です。
たまにファミコンやプレステあたりの
ゲーム関係の動画を観たり。
90年代V系の音楽を聴いたり。
過去の自分の創作物を見返したり。
10年前のアニメとか見返したり。
今のオタク文化は眺めるだけ。
そんな余生も楽しいものですわ。