わかりあえないお話の続き。
森喜朗会長が辞任表明、
女性蔑視発言は
「解釈の仕方」
「意図的な報道あった」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/85567
ちなみに前回も委員会会長問題を取り
あげておりました。
2021年01月20日 ほどほど
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12651491628.html
ついに牙城が崩されましたな。
私は「女性の味方」ではありません
でしたが、「老害の敵」としてアンチ
でしたので、この結末はクーデターの
成功のようなものでした。
まあ、本人は不本意みたいなご様子で
批判される理由もわかってはおらず。
そこを理解してもらう、変わってもら
うのは、もう望めない所ですね。
お子さんも「あの歳の人がわかるのは
難しい」と言っているようです。
お子さんったって年齢的には私よりも
上でしょうけれども…。
森喜朗氏の長女が告白
「父が問題を理解するのは
年齢的に難しい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f892db53561e37bb805370241a180aede86c0829
重ねてですが、個人的に本件の問題の
本質は「自分流でない人を叩く事」で
あるのです。
自分が昭和流だからと言って。
そうでないやり方の女性の発言をさも
邪魔者扱いのように、規制しようて
話をするのがイカンかったのです。
女性に限らず、若者のやり方考え方を
話も聞かずに頭ごなしに否定して。
封殺するやり方は「多様性」とは真逆
やっちゃあならん事なのです。
そこを私は「老害許すまじ」と思って
いるのです。
特にオリンピックは多様性の最たる物
でしょう。
国、民族、宗教、肌や目の色、環境。
何もかも違うけれど、今は純粋に競い
合ってわかり合いましょう認め合いま
しょうっていう、平和の祭典のはずで
す。
その組織委員会のトップが「自分と
違うやり方のやつは規制だ」はNG、
ノーグッドどころかトゥーバッドなの
です。
老害と言うと「昭和で頑張ったのに」
とか言う人もいるでしょうが。
老いているから嫌うわけではなく。
昔のやり方すべて悪いわけでもなく。
若者のやり方をできるようになれと
言っているのでもないのです。
若者の、違うやり方にも向き合えと
言ってるのです。
話が長いのが失敗だったとするなら。
若者の失敗を叩くなら、なぜ失敗した
かを見て聞いて指導をしろって事なの
です。
叩いて凹ませてワッハッハじゃないの
です。
時代の流れについていけないばかりか
新しい意見、やり方に向き合えず批判
するようになってしまえば十分「害」
だから許さんといっているのです。
それをやったことで、47人から命を
狙われた話が300年過ぎた今も語ら
れる人もいるのです。
※ …と思っていたけれど、忠臣蔵で
浅野長矩が吉良義央に刃傷に及ん
だのは、教えを乞うた時に無下に
されたから…かどうかは不明の様
ですね。
あるドラマで「お教えを仰ぎます
る」と言って無視されたシーンを
見て、そう思っておりました。
余談。
本人は叩かれた事を「老害扱いされる
のは不愉快」と言っておられる様です
が、はじめに自身と反する流派の人を
叩いて不愉快にしたのは自分だという
事にまだ気づいていないのです。
最後まで気づかなかったのです。
しかも「老害」はネットの言葉。
勝手にエゴサして勝手に腹を立ててる
のです。
自分は国の代表として、公共の場で。
電波に発言を乗せて、広範囲に不快を
発信しているのです。
「瞬間的」「辞めたらまた募集」発言
による追い風も含めて。
どこまでも恥、無知、意地。
悪しき昭和の淀みそのものなのです。
ですが、今度はまた逆側が騒ぎ出して
いる様子なのです。
IOC「森会長は謝罪した。
この問題は終了と考える」
女記者「終了かどうかは私たちが
決めます」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2006249.html
コメントでもありましたが、こういう
事をするから「女は話が長い」という
言われ方をするんですな。
女の敵は女、なんてのも言われます。
大半の人は老害でも話の長い女でも、
どちらでもない、どちらも嫌、どちら
にも入れて欲しくないのでしょうけれ
どもね。
こういう両極端な人が、そのタイプに
近い人の評判を落とすのです。
歳を取った人=老害ではないのです。
若かった頃のやり方が今でも正しい、
どこでも誰にでも通用すると聞かず。
そうでないやり方を認めないだけでは
なく、叩いて批判して亡き者とするの
が老害なのです。
若者と向き合い、自分の意見を言葉に
して、若者の言葉を聞く年配者は害で
はないのです。
女性=話が長いではないのです。
幕引きのために退くという所まで来た
のに、そこから更に蒸し返して結論が
出ないような、更に消耗させるような
やり口をやる輩がたまたま女性で。
そういう人が目立つのです。
一生懸命説明をしようとして、言葉が
多くなるのは「話が長い」ではないの
です。
ま、それだけ女性の社会進出が少ない
ってことで。
女性がちょっと動くと目立つというの
はあるかもですね。
やっぱり今の時代でもまだ男社会な、
昭和的なやり方が続いている今の社会
そのものがダメなのではないかしら。
女性が何かしたら「女性を、女性が」
って言われる今の世の中が、ね。
もちろん「若者が~」も、ね。
橋本聖子五輪相、森会長の後任に浮上
女性の就任求める声相次ぐ
https://mainichi.jp/articles/20210212/k00/00m/050/112000c
リンク記事の内容はそのものではない
けど、「世界へのアピールにするから
女にしとけ」みたいな風潮に見えるの
です。
更に。
「森会長の後任には女性を」との声に
長嶋一茂のコメントが波紋広げる
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0212/srb_210212_0196731474.html
「女性が批判されたらかわいそう」。
これで「差別じゃない、思いやりだ」
みたいな感覚でいるのは、前時代な
考え方でしょう。
今の「成功者」の多くは、昭和のやり
方で成功してきた人生なわけです。
うまくいってた自分の考え方を、急に
変えろってのは無理なんでしょうね。
わかりあえないですねえ。
私はHSP教の熱狂的信者なので、
非HSPの方からは共感は得られない
かも知れませんが。
男と女。
昭和と平成・令和。
体育会系と理論系。
感情派と理論派。
分け方はいろいろあるのですが、一番
しっくりくるのがHSPか否か、なの
です。
今回の件も「言葉に含められる感情」
に対しての感覚のズレが根本の原因に
あるような気がするのです。
似た話を以前ブログでしております。
HSPの解説資料
2021年01月29日
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12653356348.html
HSPは「10の情報を伝えるために
限りなく0に近い1の感情をもって
100の言葉で」伝えるタイプだと
思います。
話の長い…と言われた女性はおそらく
そういうタイプなのだと思うのです。
相手に思いを伝えるためには、言葉が
大事。
少ない言葉だと勘違い、すれ違いも
生まれるものです。
だからたくさんの言葉で説明する事で
少しでも深く分かり合おうとするので
す。
わたしもそう思います。
わたしもそうします。
対して逆側。
非HSP…体育会系とか感情派とか、
上の比較の左側に分類されるような
タイプは「10の情報を伝えるために
100の感情をもって1の言葉で」
伝えるタイプだと思います。
それが閉鎖的な文化であれば、うまく
いくような場合、間柄もあるのでしょ
うけれど。
そういうタイプの人だけを身の回りに
集めてりゃあ済むんでしょうけれど。
それじゃあ今はダメだって言われてる
のです。
森さんは特に
「言葉が少ない」。
「言葉が悪い、汚い」。
「言葉で伝えない、伝わらない」
ので、異なるタイプには悪く解釈され
やすいのです。
敵意ある(ように聞こえるダミ)声も
相まって、支持されにくいのです。
結果、今回のような事態を引き起こし
たわけです。
今の私のお仕事、職場。
先輩方の多くが「左側」タイプなので
す。
例えば、何かミスや勘違いがあった時
どういう所がわからなかったか、どう
考えたのかを言葉で説明するのです。
私は工場勤めで理系ですし。
その上で。
そこは違うよ、こっちが正しいよ。
それを私は理解しましたよ、という
やり取りの流れを作りたいのです。
いままでずっとそうしてきたのですし
そうじゃないと本当にわかったのか、
何を勘違いしたのか教える側もわから
ないのです。
わからない理由も。
わからせるのにも。
言葉や文字、説明が必要なのです。
ですが「左側」の人はそういう多くの
言葉を大変嫌うのです。
すぐ激昂するのです。
1ヶ月いて段々と分かってきました。
「あ、この人らと喋るだけ無駄だ」。
何かあったら「すいぁせん!」
教えてもらったら「ありぁす!」
そういっておけば上機嫌なのです。
色々と働いてくれるのです。
※ そこの職場のルールを教える事が
偉いとか恩とか感謝とかの感覚は
私にはまったくありません。
私が教える側であってもです。
工場で手順書に則って仕事をさせて
「手順作ってやったんだ感謝しろ」
「俺の時は手順書なんてなかった」
なんておかしな話です。
むしろ説明なしで仕事をやらせて、
事故を起こせば会社の失態です。
正しい仕事をしてほしいのであれば
やるべき事は明確にして当たり前。
ISOにもそう書いてあるのです。
あとは早く自分流を見つける事です。
言葉で確認する価値なしだ、と。
喋ればコイツら発狂するな、と。
あしらう技を覚えました。
長くは居たくない環境だわね。
今まではそういう「左側」、体育会系
タイプが日本の主流でした。
そうじゃないタイプ、一部女性や私の
ような者、若者タイプが疎まれていた
のです。
今の社会は言葉よりも感覚なのです。
誰かが言った「考えるな、感じろ」。
アレを真に受けて仕事でもアレでいる
のが格好いいみたいにでも思っている
のではないでしょうか。
今までの社会ではそれで良かったんで
しょうけれどもね。
今ではそれが批判の理由になります。
例えば、感情的なワンマン社長。
昭和流で仕事は動いても。
内部の数名から評判は良くても。
感性も昭和であれば、
「あそこはブラックだ」
「時代遅れ、ついていけていない」
と、悪評が広まるのです。
おだてられていい気になってるサル山
大将敗北者。
それについていってるバカ息子たち。
何十年もの間、昭和の日本に君臨。
「王」になったかのようになるのも
わかります。
その結果がアレ、今の組織委員会の
末路なわけです。
トップがいなくなっても、No.2が
繰り上がれないのです。
どこかからか実績のあるトップが来て
くれないといけないのです。
五輪組織委の森会長が辞任表明、
後任見通せず-批判で混沌
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-02-12/QODHMRDWRGG501
老害化して周りの意見を聞き入れない
昭和のやり方のワンマントップ。
そこから学ぶ事も教わる事もなく。
「もうトップにまかせておこう」と、
ついていくだけ後も継げないちょい下
腰巾着。
その体たらくに失望しながら
「こうはなりたくねぇな」
「出世したくねぇ」
と、日々をやりすごす分の仕事だけは
覚えた平社員世代。
今の組織委員会の一連の動きや状況は
日本各地の会社、社会の鑑なのです。
森さんや組織委員会は、まさに日本を
代表する方々だったのです。
もし今回の事や発言、意識が「恥」と
言うのであれば。
恥じるべきは森さんや委員会だけでは
なく。
全ての今までの社会人、社会の仕事の
あり方やり方も、なのです。
わかりあえず、わかりあおうともせず
老害と現役とゆとり、分断されたまま
今も放置され続けている社会の仕組み
そのものが恥以前に問題なのです。
でも、老害の方もかわいそうな部分も
あるっちゃあるんですけれどもね。
今の私の様に、体育会系をあしらう為
心地良くなるように反応している様な
のを部下に選んで。
あしらわれている事にも気づかず、
気分いい反応をする奴らを身の回りに
揃えて。
結果、イエスマンだけが残っていった
んじゃないのかしら。
「もうコイツ言葉で説明しても無駄。
人間としてどうかと思う所あるけど
ハイハイ言ってりゃ仕事してくれる
から楽でいいわ~」
みたいな。
今の私みたいな。
そんな実りも変化も成長もない業務を
進めていったのではないでしょうか。
今の私みたいな。
それが失われた30年なのです。
30年分、失ったのです。
本人は頑張ってきたであろう30年。
その苦節の結果が今。
「失われた」呼ばわりなのです。
30年前、日本も自身も全盛期。
そこで大きな成功体験をしたのです。
米ソの対立のちょうど中間点にいる国
である事から、アメリカの対ソ連国策
として成長「させられた」のですが。
※ 個人の歴史認識です
自分が日本を成長させた、位の意識を
持っちゃっているのです。
あれから30年間。
長きに渡り頑張って。
あれから30年後の今。
ずっと同じように頑張って。
同じような感覚で後続が育ってきて
くれていたと信じていたのに。
同じ感覚でいただけなのに。
世の中の感覚が勝手に変わってしまい
「あんな会長」
「許せない」
「人間正しくなきゃ価値なし」
「お前ら老害生きる価値なし」
呼ばわりなのです。
「更迭すべきだ」「許せない」
森会長の女性蔑視発言、東京都に
抗議電話100件超
https://news.yahoo.co.jp/articles/e736df062997af14592f54cd15b2266fa42e417c
実に空虚じゃありゃせんか?
所詮…先の時代の敗北者なのです。
その姿を下から見ると…
憐れなのです。
無残なのです。
生命体として高齢まで生きられる様に
なったといっても。
時代の流れと頭や感性の衰えには逆ら
えないのです。
時代が体育会系から理論系に変わって
行ってしまったのです。
今の森さんを憐れと思うなら。
それは明日のあなたの姿なのです。
今の森さんに向けられた敵意は。
あなたにも向けられているのです。
晩年を汚さぬうちに。
これ以上、恥をさらさぬうちに。
流れについていけない方々…老害の
方々には早々に退けてほしいのです。
うらみでも にくしみでもない。
お前ももう おやすみ。
思い出の中でじっとしておいてくれ。
結論。
今回の森騒動は、「過剰な体育会系は
さすがに弾かれる時代になった」証拠
でもありますが。
「過剰な理論系も世の中は弾く」と
いうのも事実なのです。
私は…いや、私も…
弾かれるべき、過剰な理論系だったの
かも知れませんね…
体育会系を恨んでいましたが…
もし、体育会系が消えたとしても、
その社会に私の居場所は…
ないのでしょうね。
次こそほどほどに生まれますように…
(消滅)
P.S.
ここ数日のブログは、言葉や説明の
多い理系の私が、言葉の少ない体育
会系社会に馴染めなかったという
私怨が多少含まれております。
今までの社会やご年配の方を侮辱
するような意図はありませんが、
もしそのように受け取られた方は、
「日本を創ってくれた人をバカにすん
じゃねェ!!!」
と思っていただけると幸いです。