決意のお話。
覚悟、責任、後悔しない事…などと置き
換えてもいいです。
それなしにダァラーと行動する輩は不幸に
なるのです。
別に常にそれを考えて戒めながら行動せよ
というほど宗教的な教えを説くつもりも、
そうしない人を悪くいうつもりもありませ
ん。
覚悟なしに行動して後悔するもまた人生。
どうぞどうぞなのです。
ただ、私は知ったこっちゃないというだけ
で。
その報いは何らかの形で訪れるのよ、と
いうだけなのです。
因果応報、アリとキリギリス。
古来から言われている事ですがね。
私はその行動の結果を全て受け入れる覚悟
をしながら…少なくとも意識しながら行動
しているつもりなのです。
例えば…。
このブログの喩え話でよく挙げる怒り新党
のお話。
「太っている事をストレスのせいにする
やつはダメ」というような話題、お便りに
対して、有吉は
「ストレスを感じて大食いして、それで
ストレスのせいで太ったってのはおかし
い」
と概ね同意だったようなのですが。
マツコは
「それすらストレスのせいにしてもいい
じゃない、係長お前のせいだ!ってなら
ないだけ、ストレスさんのせいにしていれ
ばいいじゃない」
と言う様な話をしていました。
マツコの言い分に少し納得出来る部分も
あります。
ストレスのせいにする事を悪くいうつもり
もありません。
ストレスのせいにすることでやっていける
のなら、それもまたアリなのでしょう。
ですが、ストレスのせいにして食べた結果
デブになるという結果は自身が受け入れな
ければならないのは自分なのです。
受け入れなくてもいいですが、その結果は
必然的に訪れるのです。
不健康とか、服がないとか、屈めない等の
行動が制限されるとか。
「デブが」という目で見られるとか、モテ
ナイとか、くさそう…怠惰…という人間に
見られるとか。
さらに、覚悟もなくてもいいのですが、
そういう結果で苦しんでいる姿を見て
「可哀想」と思う人は誰も居ないよ、少な
くとも私はそうは思わないよということな
のです。
同じくストレスを感じている人だって、
食べる以外でストレス発散したり、食べる
事をガマンしたり、食べた分運動したり、
食べる日を決めてストレスが少ない日は
食べ過ぎないようにしたりとか。
そういう工夫もなく。
そういう努力もなく。
そういう我慢もなく。
太る結果に対する覚悟もなく。
太っても良いという決意もなく。
太る事に対する責任ももてない人間…
だからといって私は悪く言うつもりはない
のです。
でも、どこかで報いが来るのです。
食べるのを辞めなければデブになる。
デブになるのを辞めなければ体を壊す。
体を壊すのを辞めなければ死に至る。
死を受け入れる決意をして食べる必要が
あるのです。
ま、ストレスとは応力のことでして。
同じ負荷に対して発生する応力は受け側の
特性によって異なります。
同じ環境だとしても大きなストレスを感じ
る人がいるのも仕方ないのです。
負荷に対して揺らがないのもスキルです。
食べなきゃ負荷に負けちゃうのは弱い証拠
なのです。
プログラミング能力の無いシステムエンジ
ニアみたいなものです。
「ないけど頑張ってるんだもん!」で、
システムを組めないエンジニアを許す訳に
はいかないのです。
頑張れないヤツはドロップアウトするしか
ないのです。
私みたいにね。
ちょっと今日は結論がモヤッとした感じに
なっちゃいますけど、そこなんですよね。
いつぞやお話したように、私自身はどんな
人間ですら否定はしないのです。
こちらを否定する人間も「そうなのぉー」
と思うだけなのです。
が、「俺を認めろ」とか「お前も従え」と
自分理論で私を変えようとしてくる輩に対
する反抗心が絶大なだけなのです。
いつぞや書いた記憶があるのですが。
私は我が家の家族を以下のように認識して
おります。
私の父親は「俺はこうだ、それが普通だ、
お前もこうしろ」
私の母親は「あなたはそうなの、でも私は
こうだ」
私の兄は「俺はこうだ、お前はどうなん
だ?」
私は「私はこう、お前はどうであれ私の
ここには入ってくるな」
その私の「ここ」を頭ごなしに否定して
侵略してくるから、私は父親を大嫌いなの
だ、と分析しているのです。
閑話休題。
ですから、テキトーで無責任な行動により
被った被害を「どうにかしてくれ」とか
「哀れんでくれ」とか「しょうがなかった
でしょ」と言うような情けを求める発言を
断固拒絶するのです。
発言して言い訳するのも別に構いません。
ただ、私は聞き入れませんよ、というだけ
なのです。
それが報いなのですよ、ということなので
す。
そういう報いは訪れるものですよ、という
私なりの考えなのです。
私のこれまでの行動に対し、何らかの報い
はどこかで訪れるだろうし、その覚悟は
して生きているつもりですよ、ということ
なのです。
例えば、ウチの両親はヘビースモーカー程
ではないにせよ、私が物心ついたころから
タバコを吸ってましたし、前の家の壁は
ヤニ色でしたし、値上がりしても辞めませ
んでしたし、喘息気味だった私に関わらず
プカプカでしたし、250円×10箱を2週間で
吸ったとして、1月5000円を夫婦で延々と
吸い続けているわけです。
それを「昔は国も悪いと言わなかった」と
か「俳優が格好良く吸っていて吸えと言っ
ていた」のような言い訳をして今も吸い続
けているわけです。
自分の年金で買って自分の体を壊して自分
の年金で病院に行っている以上、どうぞ
どうぞなのです。
同じく自分の年金で食いたいものを食って
自分の体を壊して入院したり。
自分の生活習慣がグダグダで健康に気遣う
こともなく自分の体を壊して足腰たたなく
なったり。
それでウーウー苦しんでいたのなら掛ける
言葉は「ショッギョムッジョ、サヨナラ」
くらいなのです。
毛布もかけたくない位です。
私にかけられるものは打ち覆い位です。
私が節約生活をするのは、何度か書いた
記憶があるのですが、いつの日かこんな
節約生活すら続かなくなる程の貧乏になる
のではないかという危惧からです。
今日使う500円を300円に抑えておけば、
30年後に残り0円じゃなくて200円になれ
ば。
おにぎり2個買って2日位生き延びられる
かも知れないのです。
そこまで切り詰めてダメになったら死んで
もいい、死ぬしか無い…
そういう「決意」を持って生きているので
す。
それくらい働きたくないのです。
何もしないためには何でもするのです。
ソレくらいの危惧を持っているからなので
す。
じゃあネットか酒やめろと言う話なのです
が…それはそれ、釣り合いなのです。
その時に「ああ、あの時酒を飲んでいなけ
れば死なずに済んだのに…」と思いながら
死ぬことはない。
「ネトゲしてなければもう数万円残って
いたのに」と思うことは決して無い。
そうなったら死を受け入れる。
そうまでして、そんなささやかな楽しい事
すら我慢してまで生きながらえる必要は
ない。
それくらいの覚悟はあるのです。
それくらいの事を考えて、今の行動指標を
決めているのです。
今金があるから、今なんか食いたいから、
今なんとなくしたいから…で行動するよう
な輩に不幸が訪れたら、それは私の知る所
ではないのです。
アリとキリギリスなのです。
…と思ったのは、何となく結婚について
考えたからなのでした。
噂では現在離婚率は3割位あるそうで。
周りの印象や子供への影響やその他諸々を
考えれば、そんな一流打者のようなヒット
率で離婚なんか出来ないでしょうに。
そもそも結婚なんか出来ないでしょうに。
ダァラーと結婚してダァラーと離婚する…
そんな日本になったのかしらね。
けしからんわね。
結構古風な考え方なのです。
結婚するからには、結婚によって生じるで
あろう変化を全て受け入れる覚悟がなけれ
ばならないのです。
嫁さんが大変な時は支えなきゃ。
子供が生まれたら面倒見なきゃ。
子供がワガママに育ったら教育しなきゃ。
子供が何か壊したり汚したりしてもガマン
しなきゃ…その上で指導しなきゃ。
そんな世話をしながら自分にご飯を作って
くれる嫁さんに感謝しなきゃ。
仕事で疲れていても自分の時間より家族の
時間を優先しなきゃ。
…そんな「しなきゃ」を全てやってなお、
「お父さん汚いキモいウザい」と言われて
離れられて見捨てられる…それを覚悟しな
きゃ、なのです。
それが父親なのです。
それを受け入れる自信がないので。
私は結婚しないという決意を固めてます。
ミソジでネトゲ趣味の無職なんてそもそも
需要ないのでしょうけどもね。
会社員時代から私の性根はこんなもんでし
たから、仕事やお金は関係ないのです。
相手を幸せにする責任がもてないのです。
私が幸せになる覚悟がもてないのです。
全部やらなきゃ父親失格だ、とか言うつも
りは無いのですよ。
それをしなくても、子供を作って育てた
世のお父さんと。
それをしなきゃいけないよ、と言うだけで
半ひきこもりニート34歳独身と。
どちらが偉いでしょうかね。
誰だったか、こんなプロポーズをしてまし
たっけ。
「貴方を幸せにする自信はありませんが、
私が幸せになる自信はあります」
とか何とか。
素晴らしいことです。
私は私が幸せになれる自信が全くありませ
ん。
この世の何がどうなってもです。
例え、たてセタの菅野美穂が牛すき鍋を
用意してくれてて、一緒に梅酒鍋パをして
も…
…
幸せそうだなあ。
P.S.
結婚式の時、牧師さんの前で誓うのは
「愛」だけじゃないんですって。
「妻のみに添うこと」も誓っているの
です。
愛することを誓うのではないのです。
愛が無くなった時も添う事を誓うのです。
私は、黒歴史的な昔の趣味とか失敗した
料理とかネトゲとか、飽きたり嫌になっ
ても、例え途中で辞めたとしても、
「やらなきゃよかった」とは思わない
ようにしています。
例えラテールのサービスが終了したと
しても、2時間×350日×7年間と膨大な
膨大な時間を失ったしても、終わって
「無駄な時間だったなあ」と後悔する
ことはありません。
山程の楽しく苦しい経験やプレイ感覚や
BGMを思い出すと幸せになれる宝物は
何円にも変えられないほどの大切な財産
なのです。
一切の無課金でしたけどね!