イデアのお話。
イデア、ご存知でしょうか。
私もあまりわかりません。
なのでwikiってみました。
よくわかりませんでした。
私なりの解釈でご容赦ください。
イデアとは「理想」であり、この世の全て
はイデアを模造したものに過ぎない…とか
何とか。
やはりよくわかりませんね。
学生時代に講師が雑談でお話された例題を
挙げてみます。
「線」とは、「厚みのないもの、1次元」
みたいな定義だと思います。
ですが、現実で「線」をピーッと引くと、
その鉛筆分の厚みがあるので、嘘になりま
す。
現実で「線」を見ることは出来ません。
現実にある全ての「線」は、イデアの模倣
でしかないのです。
…てな考え方です。
私はこの考え方を色々なものに適用して、
モンモンと自己理論を繰り広げたりしてま
した。
例えば「人間」のイデアとは何でしょう?
逆に言えば「人間として欠陥」となる部分
て何でしょう?
欠陥と言う言い方はどこかにカドが立ちそ
うですが、まあ、事例を人間にしちゃった
せいだと思って勘弁してください。
現実の線の「欠陥」は「厚みが無いと可視
化できない」というあたりでしょうかね。
だとすると人間の「欠陥」は、病気とか
老いになるんでしょうかね。
ホクロなんかも欠陥かも知れません。
目が離れすぎてるとかの造形も欠陥かな?
ムダ毛はどうだろう?
体を守るという意味ではワキもボーボーの
方が「理想」なのかもしれませんね。
現代の羞恥心とかオシャレみたいなものは
ある種の欠陥ですもんね。
人間の大罪、見栄(虚栄)です。
とすると、欲深い方が人間としてあるべき
姿なのかしら?
守銭奴で野蛮で、他人を取って食うほどの
ワガママが人間としてあるべき姿なので
しょうかね?
聖人君子みたいな人は裏を返せば八方美人
でよく見られたいという「欲」があるのか
も知れません。
まあ、そのへんは「裏の欲ナシに慈善心
だけで良い行動を取るような人」がイデア
と見てよいかと思います。
アニメや時代劇の王道ヒーローみたいな人
ですかね。
そういう作品は、人の善悪のイデアを象徴
するわかりやすい例かと思います。
悪い人間は突き抜けて悪い。
作品によっては、悪人もココロの葛藤とか
何か抱えてて完全悪ではなかったりします
けどね。
そこに現実の人間くささが見えてキャラの
魅力に繋がったりします。
…みたいな事です。
イデア論、お使い下さい。
で、私が思うイデアの1つとして、二次元
オタクや行き遅れ女子みたいな人達は、
「恋愛」のイデアのビジョンを明確に持ち
すぎていて、現実との乖離に耐えられない
のではないかと思うのです。
…今更言われなくてもわかる?
まあ、そんな人達の心理状況も「イデア」
という概念を使えばちょっと説明が楽に
なるかなーと思っただけです。
現実の恋愛なんて、理想の模倣に過ぎない
のです。
人、それを「妥協」と呼びますね。
どうでもよいですが、二次元オタクは現実
と理想(空想)の区別が付かないとかよく
言われていますが、私は真逆だと思うので
す。
区別が付いているから、現実に理想はない
から、二次元を見ているのです。
どちらかと言えば理想の結婚を現実に求め
るベテラン婚活屋さんのほうが区別がつい
ていないと言えるのではないでしょうか。
理想を叶えるため、現実で頑張っていると
いう点ではオタクさんより前向きと言えな
くもないのですが。
あと、「家族」「家庭」のイデアも少し
考えてみます。
親不孝者だったり家庭を持っていなくても
家族の死とか、不幸とか、そういうのを
ドラマでも体験談でも見ると感動したり
するのは、自分の中に「暖かい家庭」の
明確なビジョンがあるからだと思います。
ひねくれものたちが集まって姥捨て山の
昔話に感動している姿を先日見かけました
のです。
姥捨て山なんて習慣がなくても。
自身の親が年老いてもさほど思い入れが
なくても。
暖かい家庭があったとして、その中から
キチンとした母や祖母が亡くなる事が悲し
いと、現実では思えなくても創作の中では
思えるのです。
鉄拳のパラパラ漫画も同じですかね。
逆に言うと、現実の家庭がその理想とかけ
離れていると、たとえ現実で親の死に直面
しても悲しいとか感慨深いとは思えない
わけです。
このブログの事例として毎度おなじみの
怒り新党のお話ですが、有吉は父親に愛着
ないようなエピソードが多くあり、死んだ
時も泣かなかったし墓参りもロクにして
いないとか言ってたと思いました。
「生きている間にも何も出来なかったのに
死んだお前を拝んで何になるんだよ」
みたいな事を言っていたと思いました。
勘違いだったらゴメンナサイ。
これまたこのブログのおなじみですが、
私が私の父親に対して向けている眼差しも
似た…というかほぼ同じだと思うのです。
「生きていたって何もしてないんだから
もう今死んでもいいだろうがよ」位に
思っているのです。
今までも結構な身内の恥トークをしてたと
思いますが、形にして公開している部分は
私の中でも悪態として思い出として語れる
程度のお話であり、語る程じゃないものや
語れない程リアルタイムで怒り心頭なもの
も盛りだくさんなのです。
児童相談所とか裁判とかニュースとか事案
ほどのレベルではないにせよ、ギリギリで
虐待と言える位だったかと思います。
私の中の「父親」のイデアから見ると、
あまりにかけ離れているのです。
もう父親と呼びたくない程なのですが、
父親のイデアは「私を産んだ人のオス側」
という定義になっちゃうでしょう。
残念ながらアレでも父親なんですねえ。
死ねばいいのに。
「父親像」のイデアと比べれば良いんです
ね。
いや、良くないんですけど。
ちなみに母親の方はマトモですよ。
むしろ、こんなクサレ父親でも親という
存在に僅かながらでも義理や思い入れが
あるのは母親がまともであるおかげと断言
できます。
母親はちゃんと母親なのです。
いい年した私を未だに過剰に気にかけたり
口うるさかったりする部分も、ある意味
「母親像」のイデアに近い要素でちゃんと
した母親なのですよ。
総合した「家庭環境」はイデアと言うには
程遠かったので、残念ながら私は家庭に
対して絶賛絶望中であり、私が家庭を築く
事はあり得ないのですがね。
これから毎日家を焼きたくなる程度では
あったかと思います。
「人生」が理想、イデアの状態の人なんて
この世にどれほどいるでしょうかね。
理想は人それぞれ。
困難がたくさんあった方がやりがいがある
と思える人がイージーモードだと退屈で
死にたくなるかも知れませんね。
「仕事」の理想状態もあります。
これも怒り新党でやってましたね。
忙しいのと暇なの、どちらがよいか。
仕事にやりがいや達成感を求める人は忙し
い方が理想でしょう。
「頑張ればこなせるレベルの難しい仕事」
がベスト、理想、イデアでしょうかね。
あるいは自分のスキルが役に立つ、とか。
私は断然、暇で誰とも話さなくて定時で
帰れてノルマがなくて発展とか開拓要素が
なくて飲み会もなくて…(以下略)
ちなみに、今の猫ちゃんは理想です。
真面目な顔してタイピングやゲームして
いる時は結構おとなしかったりします。
最近その時間が長いせいか、一人遊びして
くれてます。
かまってあげたいけど、こっちが暇だから
と一方的にグイグイ行って喜ぶタイプじゃ
ないですし。
足元にじゃれてきた時にワシャワシャして
あげるとしましょう。
改めて「イデア」とか言っちゃいましたが
要は自分の中の理想・定義・目的に当ては
まるかどうか、色々な物事について考えて
みましょうってお話でした。
最後に「自分」のイデアを考えると…。
好きな事をしている自分が理想ですが、
そうすると他人から嫌われてしまいます。
嫌われない自分も理想ですが、それには
自分を捻じ曲げて好かれるような振る舞い
をしなくてはなりません。
そのさじ加減は人の世に生きる多くの人の
永遠の課題ですね。
自分が自分を嫌いにならない程度にやりた
い事をしつつ、要所要所で人のための事も
する…。
両方やらなきゃいけないのが人間社会の
ツライ所ですね。
両方やる覚悟は出来ていません。