境界線の話。
何事にも境目はあるものです。
そらそうですね。
例えば、中古で賄ってもいいものの境界は
人それぞれだと思います。
私は本やゲームやパソコン部品など、結構
な種類を中古で済ませて来ました。
ウチの母は「誰が着たかわからない服は嫌
だ」と言って、頑なに服は中古NGだそう
なのです。
私はおしゃれセンスが無いので逆に服こそ
誰かがトータルコーディネートしてくれた
セット中古販売で済ませたい位です。
あと、ウチの兄はビールにこだわる人で、
断固飲まない程ではないにしても、ちゃん
としたビールの後に発泡酒なんて不味くて
飲みたくないと言っておりました。
私は酒なら何でもいいタイプです。
何でも飲むと飲んだ分口から出るけど…。
で、本題に移るとします。
皆さんは「他人だと許さないけど家族なら
許すこと」のラインはどのへんでしょうか
ね。
もしくは逆、「他人がそんな事をしてても
怒らないけど、家族にはしてほしくない
こと」なんてのもありますかね?
物語シリーズを見て思い出した事があるの
です。
wikiにもある事ではありますが、本編の
ネタバレになるお話ですので、一応ご注意
くだされ。
先日、偽物語という巻を読みました。
主人公の妹が怪異と呼ばれる化物であり、
退治屋に命を狙われるという展開がありま
した。
主人公(自身も半分怪異)はもちろん助ける
ために退治屋と対立するわけなのですが。
退治屋曰く「怪異に理解のあるあなたは
さほど抵抗なく受け入れられるでしょうが
他の家族や他人はどうだろうか。
化け物扱いしたり、好奇の目で見たりしな
いか。
そんな偽物の人間、化け物を退治するのが
我々正義の仕事だ」みたいな事を…
言ってましたっけ?
まあ、ともかく。
主人公はそれでも家族だから受け入れるし
守る、と言って対立したわけです。
自分の家族が実は化け物だったら。
皆様はいかがでしょうかね。
…ちょっと突飛でないお話です。
同意も考え様もないかと思いますので、
それを読んで思い出したもう一つの例。
刑事ドラマとかで、殺人事件を起こした
身内を庇うため、かくまったり隠蔽工作を
手伝ったりするケースが良くあります。
家族じゃなければ、捕まえたり通報したり
するでしょう。
決して擁護はしないでしょう。
「家族だったら」という要素は殺人という
罪に対しても有効でしょうかね。
あなたの正義のラインは、家族だったらと
いう要素で動くものですかね。
あとドラマの展開としては「私が付き添う
から自首しに行こう」系もありますね。
まあ、現実ではこれが無難ですかね。
一般の正義・法律を破らずに。
被害者の心境も考慮しながら。
家族に真っ当な道を歩むよう促す。
私だったら「関与しない」と思います。
自身が罪を犯したなら、その後の身のフリ
は自身でカタをつけるべきなのです。
たとえ家族であってもね。
逃亡生活したいならすればいいのです。
但し手助けはしないのです。
また、私が「犯人はあなたである」と知っ
たのなら迷わず通報します。
家族だったらで私の正義は揺らぎません。
誰が犯人であってもです。
あなたの犯罪が私の心のシコリになって
いいわけがないのです。
あと、私から金を借りないと死んでしまう
という知り合いから金を貸してくれと言わ
れても、私は「じゃあ死んでくれ」と見捨
てる所です。
私の人生は私の人生。
私がダメになった時は、誰に助けを求める
でもなく私が幕引きをするのです。
あなたの人生はあなたの人生。
仲良くもない私にすがらなければどうにも
ならず潰えてしまう人生なら、そこまで
ドン底に落ちたのなら、もう人生終わって
るので、命も終えたらいいのです。
※ここだけの話、実は大金を「貸して」、
大変酷い思いをしたので、もう懲り懲り
であるというのが正直な心です。
断りきれなかっただけです。
大切でも何でもない、繋がりも薄い人に
泣きつかれたのです。
私、基本「情」が薄いのかも知れません。
親子関係も「責任」「義務」みたいな位置
で続いている認識です。
ちょっと話がそれますが。
かつて量子力学を学んでいた時、「デコヒ
ーレンス」という言葉を知りました。
「不可干渉」とかいう意味だそうです。
量子力学自体で覚えていることはまったく
スッカラカンですが、この単語というか
考え方は私の中に根付いているのです。
Aという現象がBという要素を持つとして
Bの内容如何がAの結果に影響があるか。
変わるとしたら、なぜ変わるか。
変えるべきなのかどうか。
AとBは分けて考えるべきではないのか。
「不可干渉」とすべきではないか。
「干渉」することで、本来のAの目的が
得られない結果になってしまわないか。
…なんてことを考えるべきなのです。
Bはあくまで一要素であり、Aをする目的
を見失わないようにすべきなのです。
前の仕事でも思う所が多々ありました。
…多々ですまない、北斗百烈拳くらいに
多々多々多々でしたが。
例えば「測定」は製品特性の確認が目的な
はずなのに、いつしか測定が目的になり、
何を測定するのかわからないような話に
それて行ったり。
逆に目的とする結果が想定できるだけの
データが得られているにもかかわらず、
念のためとかワケのわからん理由で大事な
仕事をほっぽって測定ばかりしていたり。
中古服の話だと、「着られれば良い程度の
服を安く済ませる」という目的に対して、
「人の着た服はイヤ」という要素があるが
ゆえに目的に適する中古服という手段が
取れないという結果を招いてしまいます。
もちろん、これは「当人が満足するか」と
いう重要な別要素を含むので、一概には
中古服=正解、新品の服=間違いとは言え
ません。
安いけど「中古か~」という思いのせいで
心地よく着れない服は服の目的を果たして
いないとも言えます。
また、殺人の話だと「殺人は罪」という
正義に対して「家族を罪人にしたくない」
という思いがあるがゆえに通報できない。
正義に、法律に反するという結果を招いて
しまいます。
法に反して得る「家庭」など本当の幸せと
は言えないものですよ。
捕まるかもしれない、家族のためにならな
い、自分も犯罪に加担してしまった…。
そんな思いを抱いて得た幸せは「シミ」が
付いているものです。
…いや、私は刑事じゃないし、犯罪者を
かくまった家族の方とやりとりがあった
ワケじゃないのですがね。
こうみると「不可干渉」大事なのです。
例えば「家族でバンドを組む」みたいな話
をたまに聞きますが、私はゴメンです。
「家族」と「バンド」を別物として考えた
いのに、おそらく考えられないからです。
どうしたって家族の中の上下関係がバンド
の方針とか雰囲気に影響してしまいます。
私は分けて考えたいけど、誰もがそう考え
てくれるわけではない。
その時点ですれ違い前提なのです。
あと「意見は誰が言っても聞くべき」と
言うのも私の信念です。
「ネットの意見だから」とか「若造が
知ったような口叩くな」とか、そんな
理由で意見は否定されるべきではないと
考えております。
内容を吟味すべきなのです。
とある所で、年寄りが金の話ばかりしてる
所で若者が「恥ずかしくないのか」と問い
詰めた所「お前の発言は認めん」みたいな
理由で無きものにされておりました。
あと、ネットでたまに見かけてたのは、
マツコ・デラックスが正論を言った時
「うるせえデブ」みたいな返しをしていた
輩もいましたね。
「デブにデブって言って楽しいか?」と
本人はたまに言っていましたが、デブと
意見の内容は不可干渉であるべきなので
す。
よほど干渉される内容でなければね。
例えばデブが「デブはイヤねー」と言った
としたって、本人が本人をダメでイヤな奴
と認識していれば、そこに矛盾は生じない
わけです。
そこまで話を理解した上で批判や反論を
すべきなのです。
ここでも父親トークですが、私が父親を
クズだと思うのはアイツの振る舞いがクズ
だから嫌いだと言っているのに「親に対し
て」と親権限を利用し自身を認めさせよう
としている点もあるのです。
生きるための金を稼いでいた父親への義理
があるから、貰った分の金を返すため、
私は心配をかけないよう自分を押し殺して
お利口さんを演じて三十路まで生きてきた
のです。
だがアイツは大嫌いなのです。
父親だからといってアイツの人格を認めな
ければならないルールは私にありません。
不可干渉なのです。
どちらの選択肢が正解かなんて一般常識で
割り切れるものではなかったりします。
変な執着とか偏見とか情のせいで、正しい
判断ができない事は多々あります。
ですが一般のルールや常識、金銭面だけの
「正解」が「正解」とも限りません。
誰に何を言われても後悔しないように、
自分なりのキチッとした境界線を持って、
「私はこっち側を選択した」と思っていれ
ばいいんじゃないでしょうかね(まとめ)。
ちなみに、だいぶ上の「シミ」の例は、
うさぎちゃんエッセイで似た話を見た影響
なのです。
不倫で得た家庭の幸せには「汚れ」がつい
ているので、それにいつか耐えられなく
なるよ、みたいな話だったかと思います。
たしか。
私、引用するほど印象に残ってるワリに
詳細覚えてないこと多すぎですね。
吸収して自分なりの考えにしているから
なのかも知れません。
その結果、内容や意図が変わることも
あったりしますが、気にしない!