人間失格 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

のお話。

私が学生時代に読んだ記憶があるのですが
ネットでいくら探しても見つからない話。

太宰治が書いた作中の人物だか本人だかが
「馬車のわだちが綺麗にずっと続いている
 のを見て、この運転手(?)はすごい
 技術があるのだろう。それに比べて私は
 なんと無能か」
みたいな事を言っていたと思うのです。


ですが、そんな内容の作品を調べても、
出てこなくて、私は作者か何か、勘違い
しているかも知れません。


それはそれとして。

私も同じような理由で、ニュースやドキュ
メンタリーの「頑張る人」みたいなのを
見ることが出来ないのです。

拒絶反応するわけじゃなく、見たくない
という程度ですが…。


世の人はこんなに頑張っているのに私は
なにもでかすことができない…
資格もなく、誇れる能力もない、と。

人付き合いも、子孫を残すことも出来ず
このまましょぼくれて終わるのだろう…
とガッカリしてしまうのです。


更にめんどくさい事に、私はときどき
私のいい部分を見て逆に自信満々になる
こともあるのです。

いい企業で、一人暮らし=自炊、自活が
できて、仕事もできるけど趣味で音楽や
イラスト創作を楽しむスキルがあって。
悠々自適の独身生活を楽しめる勝ち組!
…なんて思う時もあったのです。


躁鬱か何か?


例えば大きな橋なんか見ると、こんな物を
設計する人、作る人、運ぶ人、配置する人
などなど、色々なプロの方がいてこその
橋なわけです。

橋なんて古くから世界各国にありますけど
も、いずれも私の知らない技術で出来ない
作業がされて来て完成されたものであると
思うと、私の無力さに気づくのです。

ちょっとしょんぼりするのです。


死んで太宰先生と会ったら、生きづらさに
ついて語りながら酒を呑みたいものです。