人の本分
「すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」 伝道 12章 13節これは神の知識について、知っておかなければいけない原則的なことです。神を恐れること、これが知恵と知識の初めである、とソロモンが箴言で行っていることをここで言っています。その理由が、神がすべて隠されたことをさばかれるからだ、ということです。「神を恐れよ。神の命令を守れ。」とあります。主との関係の中にしか、しかも、それを命令として受け入れていくことにしか、命がないのです。私たちはいろいろな理屈を付けますが、そんなことは、必要はないし、理由を付けてはいけないのです。命令というのは、条件を付けないからこそ命令なのです。もし理由を付けるなら、そこに人が悟りたいという欲望が出ており、その欲望こそが人を空しくさせる、絶望させるのです。「神を恐れる」と「神の命令を守る」という二つの結論が完全に実現する世界は、神のご計画におけるメシア王国であり、さらなる先の永遠の御国においてです。そこにおいて人は神のみこころに完全に従う新しい心 ( 心の割礼、みたまのからだ ) が与えられます。それはすでに始まっていますが、それは信じる私たちの心の中においてであり、それはいまだ種のようなものです。「種」といえどもそれは神のいのちの種であり、その種が心の中にあるのとないのとでは雲泥の差です。神がすべてのことを清算なさいます。私たちはそのことを知るときに、健全な神への恐れを抱きます。そしてその日が定まっていること、死者が復活して裁きを受けることを知るのです。だから、日の下だけではないのです。この後の世界があります。使徒17:30-31「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」