無感覚
「人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ。」 箴言 19章 3節 これはよく起こりますね。自分の愚かさによって引き起こされた災難を、「神が愛ならば、神が善ならば、なんでこんなひどい仕打ちを私にするのか。」と主に責めます。黙示録で、神の怒りの鉢の災いを受けている人々が、悔い改めないでかえって神にけがしごとを言ったことが書かれています(16:9)。「自業自得」という言葉があります。自分が蒔いたものを刈り取ることです。しかし、自分の愚かさを自覚するより、他人を非難するばかりか、神仏すらも呪うのが人の姿です。神様は人の行為に公平にして、義をもって報われる方です。自らを省み、慎み深く、神様を畏れ敬う者には、そのように報われます。逆に、愚かな考えで行動する者には、同じくそれに応じて報われます。これらの人々は、神の慈愛と峻厳とに無感覚になった人の姿ではないでしょうか。順境にあって、恵まれていたときに神の恵みに感謝しなかった者は、災害のおりの神の厳しさの前にも改心しないものです。人の悲劇、世界の悲劇とは、人々が神を知らないと言うことではなく、知っていながらも、なお自己中心の生活を続けることだと思う。( 但し、大切なことを知っていただきたいことがあります。それでも神はあなたを愛し求めておられるのです。また、神は罰というものを与えはしないのですが、矯正のために力を使われます。)黙示録 16:9「こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。」【新改訳旧版】ローマ 11:22「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」