力を尽くせ
「すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府(よみ)には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。」 伝道者の書 9章 10節「日の下」で起こる最悪の出来事は「死」です。しかも「死」はすべての人にとって百パーセント、例外なく起こるという点で一致しています。人々はこの「死」という現実から決して逃れることができません。この現実を背景にして、「日の下」には人それぞれの人生哲学があると言っても過言ではありません。「死」の向こうには「よみ」があると考えられ、そこは「働きも企ても知識も知恵もない」世界だと考えられていたようです。たとえ、この世の歴史に自分の名を残そうとすばらしい働きをしたとしても、この世そのものが永続しない限り、すべての記憶は消されてしまう運命にあります。これも実に「空しい」ことです。ところが、すでに神の御子イェシュアが復活して下さったことによって、やがて、主にあってなされたすべての労苦が報われる世界が到来するのです。生きる期間は限定されたものです。その期間がどのくらいあるか、誰も知りません。しかし、私たちは与えられた命を十全に生き抜く使命があります。終わりのときがいつであろうと、神様が与えてくださった知恵、力、技能など、あなたのタラントを惜しみなく使ってください。明日のために残しておこうとするのは、神様のみこころではありません。どんなに野心をもって動いても、主の御心でないものは決して成り立たない、という思想をソロモンは貫いています。井村和清氏が家族へ残した手記「あたりまえ」より「あたりまえ、こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう。あたりまえであることを。お父さんがいる、お母さんがいる 、手が二本あって、足が二本ある、行きたいところへ自分で歩いていける、手を伸ばせばなんでもとれる、音がきこえて声がでる、こんなしあわせなことがあるのでしょうか 。しかし、だれもそれをよろこばない、あたりまえだ、と笑ってすます。食事がたべられる、夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる、空気を胸いっぱいに吸える、笑える、泣ける、叫ぶこともできる、走りまわれる、みんなあたりまえのこと、こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない。そのありがたさを知っているのは、 それを失った人たちだけ、なぜでしょう、あたりまえ」。 死を知るからこそ、生きることの素晴らしさを彼は歌っています。