ブログネタ:スポーツ選手への体罰へ意見
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2.押さえておくべき基礎知識
議論の前提として押さえておきたい基礎知識は、次の3点。
ここを勘違いしていると点数にならないので、正しい認識が必要だ。
(1)絶対に押さえておくべき基礎知識
①現在の法令上の扱い
②一部容認を主張するためには、許される範囲を示すことが必要
③暴力的指導の効果の有無
①現在の法令上の扱い
問題となる行為が法令上も禁止されているのか、それとも禁止する法令はなく、道義上あるいは倫理上の問題にとどまっているのかという点については、正しい認識が求められる。
たとえば携帯電話やスマートフォンの利用でいえば、電車内での利用ならば、乗客の「マナー違反」だが、自動車や自転車の運転中の操作となると、道路交通法で禁じられた「違法行為」として論じなくてはならない。一方、駅のホームや階段などでの歩行中の操作は、同じくらい危険ではあるが、現時点では禁止する法令はなく、利用者のマナーに委ねられている。
このように、問題の改善につながるような法整備が進められているのか、あるいは法整備が追いついていないのかも含め、現在の法律上の扱いがどうなっているかに関しては、小論文の中で間違った内容を書いてしまうと、主張の説得力を大きく損ねてしまうので、要注意。
自分の知識に自信がなければ、無理に言及しないほうが無難だろう。
②一部容認を主張するためには、許される範囲を示すことが必要
対立するどちらの言い分もそれなりにわかり、自分の立場を決めかねることもあるだろう。しかし、今回に限らず、禁止と容認の間を取ろうとして、条件付きの一部容認を主張するのが実は一番難しい。
「場合によってはOK」となると、「どういう場合はよくて、どういう場合はダメなのか」という線引きまで、きちんと自分で示さなくてはならない。認められるための条件を明確に示せないのに、安易に「場合によっては」などと言わないように気をつけよう。
③暴力的指導の効果や暴力による更生の可能性の根拠
スポーツ選手でも、指導者による暴力を否定する人ばかりではなく、「強くなるためには必要」と考える人がいないわけではない。
しかし、暴力的指導に本当に効果があるのかどうかは、一部の人間の体験談ではなく、全国あるいは世界を見渡して、十分な証拠があるかどうかで判断しなければならない。
(2)「体罰」に関する基礎知識
では、3つのポイントに沿って、押さえておくべき基礎知識を確認しよう。
①現在の法律上の扱い
現在は、体罰が法的に禁じられており、体罰はまぎれもない違法行為だ。法改正抜きに、体罰を容認することはできない。よって、小論文においても、しつけや指導の名のもとに一方的な暴力を振るうことを支持するような主張を展開すべきではない。
(なお、親の懲戒権は民法上認められているため、虐待にならない範囲であれば許される)
②一部容認を主張するためには、許される範囲を示すことが必要
一部容認派に見られる主張を例に、どのようなことを説明する必要があるのか見てみよう。
・「愛のムチ」なら許される →「愛のムチ」かどうかはどうやって判断するのか
・ある程度(ひどすぎない)なら認めてよい →どこまでがよくて、どこからはダメなのか
・生徒や保護者が納得していればOK →そもそも納得していないから問題になっている
このように、どういう条件がそろえば認められるのかを明確にすることが必要となる。
基準を決めなければ、あとで問題になるかどうかが曖昧な分、かえって現場に混乱を招く。
また、現場の判断を尊重するというのも、結局は判断を下さなければならない現場の負担が増すだけなので、そのような逃げの姿勢はやめよう。
③暴力的指導の効果の有無
暴力的指導に果たして効果があるのかどうかは、意見の割れるところだが、小論文では、個人の主観ではなく、客観的な証拠を示せるかどうかが重要となる。一部の人間が、自分の経験をもとに、「そのおかげで強くなれた」、「正しい道に引き戻してもらった」などと言ったところで、そんなものは根拠にならない。
まずスポーツの現場で言えば、暴力的指導が常態化していても結果を出せない団体もあれば、暴力的指導などなくても結果を出している団体もある。したがって、強くなるために暴力的指導が必要であるとは言えず、暴力的指導の効果を裏付ける証拠はない。
オリンピック憲章でも明確に否定されているように、世界的にも、指導者の暴力は認められていない。国際大会の舞台での暴力的指導を見咎められて処分を受けたケースもあり、文化の違いを理由に容認されるようなものではないことも認識しておこう。
また日本では、刑事犯に対してもムチ打ちなどの暴力的な処罰は認められておらず、暴力による更生の可能性は明確に否定されている。少年院でも、入所者を殴ることで更生させるようなプログラムは採用されていない。まして、暴力的指導と更生可能性について何の科学的根拠も持たない教員が、自己判断で殴って更生させられると考えるのは、思い上がりもはなはだしい。
たとえ中には、殴られた後に更生した生徒がいたとしても、「殴る以外に更生させる手段はなかった」とする根拠にはなりえないため、「暴力の痛みと恐怖」による指導や更生を正当化するのは絶対にやめておこう。