生命(いのち)を輝かせる言葉の森 -2ページ目

星に願いを(ディズニー映画ピノキオ1940年公開、日本字幕公開1952年)

もう50年以上昔の話です。
当時通っていた中学校の英語の教師が熱心な先生でした。
(当時は、どちらかというとその熱心さが苦手でしたが、苦笑)
その授業の中で、取り上げられていたのが、この曲でした。

確かに名曲中の名曲で、当時は日本公開後すでに20年ほど経過していたのですが、
それから50年経っても世界中で歌い継がれています。
その先生は、日本語の歌詞と英語の歌詞がどれほど違うか、
一つの授業時間すべてを使って説明されていたことを覚えています。

まずは歌詞を二つ並べてみましょう。
パッと見ただけでもその長さの違いに気づくはずです。
 

<日本語バージョン>
輝く星に心の夢を
祈ればいつか叶うでしょう
きらきら星は不思議な力
あなたの夢を満たすでしょう

人は誰もひとり
哀しい夜を過ごしてる

星に祈れば淋しい日々を
光り照らしてくれるでしょう

<英語オリジナル>
When you wish upon a star
Make no difference who you are
Anything your heart desires
Will come to you

If your heart is in your dream
No request is too extreme
When you wish upon a star
As dreamers do

Fate is kind
She brings to those who love
The sweet fulfillment of
Their secret longing

Like a bolt out of the blue
Fate steps in and sees you through
When you wish upon a star
Your dream comes true

 

ここまで長さが違えば、内容も相当違うと思われた方も多いでしょう。
正にその通りです。
あえて、全文訳出すれば、こんな感じになります。

When you wish upon a star

(人が)星に願いをかける時
Make no difference who you are
(その人が)どんな人であるかは関係ない
Anything your heart desires

どんなことであっても心を込めた願いなら
Will come to you
(それは)きっと叶うでしょう


If your heart is in your dream
もしその夢に心が込もっているなら
No request is too extreme

どんなに大きな夢でも大きすぎるということはない
When you wish upon a star

星に願いをかける時は
As dreamers do

(真の)夢見る人たちがするように願えばよい

Fate is kind

運命は優しい
She brings to those who love

The sweet fulfillment of
Their secret longing

運命の(女神は)、その愛でた人たちの

秘密の願いを心地よく充たしてくれる

Like a bolt out of the blue
Fate steps in and sees you through

運命は晴天の日の稲妻のように訪れ、そしてそれに導かれるように
When you wish upon a star

星に願いをかける時、
Your dream comes true

あなたの夢は叶うでしょう

いかがでしょうか?
その内容の違いに愕然とした方もおられるのではないでしょうか。

そうなのです、日本語バージョンはメロディに合わせて大幅な変更がされていたのです。
(個人的には、抒情的なこの詩も日本人好みであると思います)


オリジナルは、もはや成功哲学そのものです。
願いを持つ人を運命は差別しない(誰もが願いを叶えることができる)
願いは心を込めたものであること(夢を実現する人は皆そうしている)
願いは時に突然叶うものであること(あきらめないことに通じている)

ご関心のある方は、映画の方も確認されるととても面白いかと思います。
物語の最初でおもちゃ職人のゼペット爺さんの願いを叶えるために出てきた女神(ブルーフェアリー)が、
彼のそれまでの善行のご褒美としてその願い(操り人間のピノキオを本当の人間の子供にすること)として
松の木でできたピノキオに生命を与えます。
その時に、ピノキオに「本当の子供になるためには、ピノキオ自身が、勇気と正直と献身(無欲)であると証明しなければいけない」と条件を出します。


この条件は、私たち人間が最高の人生をおくる上で大切な条件ですが、それをピノキオの冒険を通して、学ぶ内容になっています。(きっと一度はご覧になっているとは思いますが、昔の映画でも今でも生命を持っていることに驚かされると思います)

ではまた。

 

 

 

【大切なことは目に見えない】星の王子様

The little prince(星の王子様)の中で、キツネが王子にお別れの時に告げる言葉です。オリジナル(仏語)と英訳、和訳を並べておきます。

 

Adieu, dit le renard. Voici mon secret. Il est très simple : on ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux.

Antoine de Saint-ExupéryLe Petit Prince (1943)

 

— Goodbye, — said the fox. — And this is my secret. It's very simple: you can only truly see with the heart. What is essential is invisible to the eye.

(translated by Wirton Arvel)

 

「さようなら」、とキツネは言いました。

「それでは、大事な秘密を教えてあげよう。とても簡単なことさ。 それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。大切なことは、目に見えないからね」

アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ『星の王子さま』(1943)(訳:浅岡夢二)

 

 深い言葉であることは直感でわかりますが、では、この「大切なこと」とは、何なのでしょう。

 

 この物語の中に、薔薇の花とバオバブの木が登場します。薔薇は害のないものの象徴、バオバブは害のあるものの象徴になっています(バオバブには迷惑な話ですが、その特異で巨木になる性質が比喩として最適と作者は考えたのだと思います)。

 どちらの植物も最初は種で、小さな芽が出てきただけでは害の有無は見分けにくい。そのため、間違って害のある芽を放置すれば必ず大きく育って害を与えるという意味です。

 サンテグジュペリは、王子に小さいうちに見つけたらすぐにその芽を摘まなければならないと言わせています。つまり、人間として悪いことを見分け、回避する習慣を身につけないといけないという意味で使われたのです。

 

 そして、毎朝のトイレを持ち出して、いらなくなったものを身体から出すように、いらないものを取り除くこと、面倒くさいけれど、やる気になりさえすれば、とても簡単だとも言わせています。

 

 これは、私たちの日常の習慣にマイナスな思考や物事を取り除くことを勧めているのは間違いのないところでしょう。

 

 その上で、改めて「大切なもの」は何なのか?

 

 「星の王子様」の物語の中に故郷の小さい星で王子とバラの会話があります、王子が星を出ることになった原因でもあります。それは、「愛について」の物語、それも行き違いの物語なので、関心のある方は是非お読み頂きたいと思います。

 

 同時に、私たちが今この時、どのように時間を使うか(命を使うか)について、地位や名声や所有が大事なのか、何かの役に立つことが大事なのかという問いが出てきます。(言い換えると自分のために働くのか、他人のために働くのか、見極めることが大事)

 

 いくつもの出会いの後で、王子は「キツネ」に出合います。その会話には、「なつく(飼いならす)」「絆」「我慢強く」「言葉は誤解の元」「日々座って近づく」という豊かなやり取りが含まれています。

 いわば、これは日々の修行生活を、野生動物と仲良くなる話に例えているのです。ある意味「キツネ」を「神・悟り」と見たり、禅の十牛図の「牛(真の自己)」と見たりすることもできます。

 

 飛行士である主人公は、王子とのふれあいの最後の方で、「家でも、星でも、砂漠でも、それを美しくしているのは、何か目に見えないものなんだね」と話しかけています。

 そして、疲れた王子の寝顔を見ながら、心の中で”いま僕が見ているのは、単なる入れものに過ぎない。本当に大切なものは、このなかに入っている目に見えない何かなんだ”とつぶやくのです。

 

 この物語の最後に、王子は自分の故郷の星に帰る決意をし実行します。
 数年後、地球に残された飛行士のぼくは、「夜になると星たちの声を聞くようにしている」と述懐しています。「まるで無数の鈴が鳴っているような感じです」とも。

 当時、第二次世界大戦という人類史上の悲劇の中で残された本でありながら、その内容は透徹した人間への思い、平和への祈りが感じられる一冊であることに素晴らしさを感じます。

 サンテグジュペリのこの物語は、1943年にアメリカで最初に翻訳出版されましたが、本人はその一年後に地中海で偵察飛行中に未帰還(戦死)となっています。

 

 

 

 

【苦は楽の種】 (佐藤一斎、言志四録の言志後録69)

 苦は楽の種、とは経験者にとってはまさにその通りと感じられる一言です。
 戦後日本が急速な復興を遂げたのも、戦争という苦を経験した結果、日常的な不足があってもそれを不平不満として外に向けることなく日日の仕事に精進した日本人が沢山いたおかげです。

 しかし、江戸時代の儒学者、佐藤一斎の説く「楽」は、それよりもさらに深い境地の「楽」です。
 それは人間の悟りの境地とほぼ重なる「超然として命を楽しむ」意味での「楽」と言えます。本文中に出てくる「楽は心の本体なり」とは、人間の持つ霊性がそもそも善であり、調和を基本としていることを言い換えたと捉えることができます。

 一読だけではわかりにくいですが、周囲からは苦労と感じられることであっても、当人はその苦労を楽しんでいることがあると捉えると違う景色が見えてくるのでないでしょうか?
 例えば、理不尽なクレームに頭を下げている人は、心の中では、家族を幸せにするためにこれで報酬がもらえるならと喜んで頭を下げているかもしれません。また、借金があることは苦しいことに思えますが、本人は返すことで借金が減るのが楽しくて仕方ないかもしれません。

 実際、事業を急速に拡大することはリスクを伴いますが、成功する経営者は必要なタイミングで大きな借り入れをしてでも目標実現に邁進するものです。その時、石橋を叩いて渡らないのも一つですが、渡ると決めた以上自分の力で世の中の人の喜びを増やそうと努める時にその苦楽を超えた「楽しみ」が心を占めていることが実際にあることをこの教えは伝えてくれています。

 それと同時に社会的に恵まれているように見える人でも必ずしも楽しいわけではないと知ることで、相手のことを丁寧に観察する努力が出来るようになったりもします。
 

(現代語、井原隆一氏の書籍より)

 人間社会には貧富貴賤の別がある。そしてその中に苦と楽がある。しかし、必ずしも富貴は楽しく、貧賤は苦しいということではない。

 苦しいことからいうと、どんなことでも苦しくないことはなく、どんなことでも楽しくないことはない。このような苦楽は外からの刺激で感ずるのであるから、心の外にあるもので、本当の苦楽ではない。

 先賢王陽明は「楽は心の本体である」と言った。この本体の楽というのは、人々の苦楽の楽から離れることもなく、苦楽の楽に堕落することもない。

 思うにこの楽は人々のいう苦楽と共にいて、しかもその苦楽に超然としたもので、自分の出会う運命に安んじて、何らその外を慕うことをしない。これが本当の楽である。

 中庸に「君子は、その位置や境遇を自己本来の持ち分と考えて、それに応じた行いをし、その外を願う心はない。そのため、どのような境遇に陥っても不満に思わず、悠々自適する」とあるのは、このことをいうのである。

(原文読み下し)

 人生には、貴賎有り。貧富有り。亦各々其の苦楽有り。必ずしも富貴は楽しくて、貧富は苦しと謂わず。 蓋し其の苦処(くしょ)より之を言わば、何れか苦しからざる莫なからむ。其の楽処(らくしょ)より之を言わば、何れか楽しからざる莫からむ。然れども此の苦楽も亦猶お外に在る者なり。昔賢(せきけん)曰く、「楽は心の本体なり」と、此の楽は苦楽の楽を離れす、亦苦楽の楽に墜ちず。蓋し其の苦楽を処おりて、而も苦楽に超え、其の遭う所に安んじて、而も外に慕うこと無し。是れ真の楽のみ。中庸に謂わゆる「君子は其の位に素して行い、其の外を願わず、入るとして自得せざる無し」とは、是れなり。(佐藤一斎、言志四録の言志後録69)