最後の審判とは…あなたはどこに行く? | 何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

主に形而上の案件とボンクラ主の感想。

今回のタイトルは仰々しいものがありますが、もちろん私が知っている訳もなく形而上の話として類推するだけですので、それでもよろしければちょっとお付き合いください。

 

 

またもう少し仏教の話も紹介しておきたいので、後半で少しいたします。

せっかく日本に生まれながら、仏教に対して法事の度に金もないのに2万だ3万だ、くらいにしか思うところがないのであればそれは酷い関係です。

そうなるとありがたくも何ともなくて、ただ世間体を気にするがゆえのお金の関係で、意味を分かるように話し、その考えが尊いものだと自分で感じてはじめてその人にとっての意味があります。

まあ、仏教を名乗りながら海外で麻薬を売ったり国民を騙して例の注射を売りつける様な有名な反社団体も普通にある時代なので、深入りしたくないとも思うでしょうが…基本的な理解はしておいた方がいいと思います。

菩提寺がどういう主張を持った寺なのかも分かることだし、仏教伝来後の日本の歴史の中でその考えがどう文化に浸透していき、今に繋がっているのかも何となく察しがつく様になるかもしれません。

 

 

 

 

その前に前回のプレッパーの捕捉話をしておきます。

アメリカにはリバタリアンという自主独立の考えが強い人達が多いことは、それなりにご存じの方も多いと思います。

そのリバタリアンはイコールではないですが、そうであると同時にプレッパーとして備えを持ち知識や技術を磨いている人も多いです。

アメリカ自体がどういう人達に乗っ取られて運営されているのかを911やそれ以前から気付いている人は当然に知っていました。

そして聖書的な知識も持っているのでなおさら。

 

 

その中でですが、プレッパーとして備えをしておきながら考えが変わってそれを止めてしまった人を単なる視聴者としてですがお一方知っています。

その方は面倒になったとか、お金が無くなった、とかでなくて、陰謀話を追いかけて理解していく内に、人間やら自分自身がどういう存在なのか、という自分なりの理解が深まったので止めてしまいました。

精一杯生きたつもりがあるなら、それで十分だという結論に。

それがもう何年も前の話で、散々と考え抜いて出た結論がそれです。

他人からすれば待ち受ける結果は同じに見えるかもしれませんが、達観した人のそれと、迷いの中にいる人のそれはまた違います。

迷いがあるなら最後まで足掻かなければいけないですし…

 

 

プレッパーになるというのは準備や技術に時間もお金も結構かかります。

経験者の助けがなければ、思い立ってすぐできるものでもないです。

そして何よりも、今の家族や仕事、家のローンなどから動けない人も沢山います。

だからもちろん無理にそうしなければいけない、というものではありません。

ただ、向き合って自分なりに答えを出す必要はあります。

 

 

 

ここで聞いたことのある人も多いかと思いますが、Deagel.com という民間軍事予想企業がありました。

民間と言いながら、黒幕とされる人はロックフェラー財団や以前のアメリカの国防大臣とされる人で、黒幕予想が合っているならこれはジョージアガイドストーンなどと同じで、グローバリストの陰謀予告となります。

ここによれば2025年までにイギリスは人口が4分の1になり、アメリカは3分の1になると予想しています。

難民として国を出ていく人達もある程度いるかと思いますが、おそらくそれらの大半は戦争や内乱や圧政、または飢餓や疫病のために亡くなってもらう予定ということになります。

ちなみに日本は約二割人口が減る予定です。

そしてここでも、旧西側諸国は大きく人口を減らす国が多いですが、ロシアやイランはほぼ変わらずの予想なので、ここからも相互確証破壊による核戦争はない側の状況証拠が一枚積みあがります。

何を使う予定で欧米諸国だけが一方的な壊滅的被害を受けるのか、その内容は予想はできなくはないものの、まだ分かりません。

そしてイスラエルも人口半減の予定なので、グローバリストはユダヤ人という枠組みに対して自らそう名乗りながらも、実際には特に同胞とは思ってないようです。

 

 

 

 

それでは、最後の審判から。

 

 

まず審判となっているところが、私は裁かれる身なのか?と身構えてしまいますね。

でもこれは新約のヨハネ黙示録の解釈なので、こういう上下関係から命じられる表現になっているだけです。

裁く、というのは一神教の立場で、ピラミッド型支配構造だからそうなるのだと思います。

日本人は一神教の物語を基本的に信じてないし知る気もないので、結局は認識の内にないということになれば死後には関係ないのかもしれませんし、他の数ある現代を指すであろう終末予言は、知っている限りでは裁くという感じではありません。

ただしその後に新世界やら全く新しい時代に変わる、などの話はどこでもあります。

これらは何を指しているのか?ということになりますが…

 

 

突然ですが、今までに学校や会社などで誰もが仲の良い人や協力し合える人などのグループに入っていた経験があることと思います。

あれは自然とそうなりましたよね。

つまり気の合う人というのは、先に一か所に集めた前提の先で自然と寄り集まっていきます。

よく周囲を見渡したり日常の中で観察してほしいのですが、同じ性質の何かが寄り集まるというのは実はどこにでもある普遍的な現象です。

だからこれはこの世界の仕組みの基本の一つです。

人でも物でも、そのへんは全てその法則に従っているはずです。

ということは輪廻転生を肯定するなら…、というか自分自身の元と言える何かが永遠不滅でなければ、最後の審判という前提が成り立ちません。

 

 

何度か張った動画ですが、これらはクラドニ図形と言います。

周波数には形があり、形があるということは波の力はその場所ごとに性質の偏りがでるということです。

 

これも何度か言っていますが、

 

その人は思ったとうりの自分になっていきます。

 

ただそれだけです。

人間というのは清濁併せ持つニュートラルの存在なので、悪魔にも聖者にも同調できるしニュートラルを維持し続ける選択すらできます。

それを決めるのは、ひとえに自分を、ひいては世界そのものやその仕組みを何だと理解するかに寄ると思います。

 

 

この面白くもない物質世界を死にたくないからとにかく生きたい、くらいでお金と社会制度にしがみ付く以外の考えがない人達、つまり今の現代人のほぼ全員ですが、それらはどこに行きますか?

大勢の避難行動に付いて行けば安全だと思うから、自分の考えを確立も優先もしないで、より長いものに巻かれようとする訳ですが…

 

 

まだ仏教の話ではないのですが、仏教は輪廻転生を肯定していて解脱できなければ生まれ変わるとされています。

そしてここは大事なのですが、生まれ変わると言っても必ずしも人間に生まれ変われるとは言ってないのです。

人間に生まれ変わる者もいれば、他の生命に生まれ変わる者もいるとされています。

 

 

少し脱線しますが、人間と動物の違いは何だと思いますか?

明確な違いです。

自分で答えを求めることこそ大事なので、良ければ考えてみてください。

答えという訳ではないですが、私なりの解釈を言いますので一応、黒文字にして見えない様にしておきます。

もし見たければその部分を選択して反転させてください。

 

私なりに言うと人間と動物の違いは

内省して自己を認識することができる様になるということです。

これが動物にはできません。

 

ただし、実際には人間にその能力はあるのですが、現代人のほぼ全てと言えるくらいの割合の人々はそんなことはしません。

だから実際には動物やら昆虫と同じで、人間に生まれた特権を使っていません。

輪廻転生を仮に肯定してみるとして、そういう人達が次にどういう存在に生まれ変わるのか想像してみてください。

 

 

実際に動物というのは喜怒哀楽も持っているし、同じ意識を持つ者同士として観察して見るならどう違うんだ?と個人的にはそう感じます。

動物は自らの習性と、少しばかり覚えた経験を疑うことなく繰り返します。

うちにも毎日の様にウンコをしにくる他の家の猫と、植物を引っこ抜きに来る雀がいますが、迷惑しているとの意思表示をなるべくしているのですが、全く伝わらずに動物とは考えを変えられない存在なんだとよく思います。

輪廻とは意味として輪を廻るんですね。

延々と食べて食べられを繰り返す存在なのか…と見ていると神妙になります。

私から見ればこれは地獄の一種です。

彼らは習性を持っているからには、もうニュートラルの存在ではないのです。

たぶん本質がニュートラルなのは変わらないと思いますが、それを顕現する体は一部の性質しか許しません。

ニュートラルであることは、実はとても稀で、とても凄いことなのだと思っています。

 

 

ちょっと前に仏教の心所の概念をちょっとだけ紹介しましたが、自分自身に色付けをしてそれを信仰して心中する普通の人の生き方はとても危ないとも思います。

色即是空、空即是色。

色に実体はないのだけど、色を自分自身であり、疑い様のない世界の法則なのだと思い込むと、そのままの存在になりかねないということです。

 

 ⇔ 

(   色即是空       ・・・     空即是色)

 

 

そしてもう一つ、大事な要素として極めて大勢の人達か、または極一部を除いて人類としては全滅と言えるレベルの死者数がでた、と仮定してみてください。

もちろん人間だけでなく、動物や昆虫含めて殆どの動植物が死滅したとします。

そうなれば観測する者がいなくなる訳だから、何ならこの星自体や私達が宇宙と思い込んでいる空間や星々までもが大きく変わるのかもしれません。

量子力学の始祖の一人によればこの世に物質は存在せず、ということは宇宙自体が意識の産物ということになります。

 

 

ここからちょっと脇に逸れて仮の話です。

その現実と思い込んでいる集団での投影の重ね合わせに大きな穴が開くことになり、そこには新しい創造の余地が生まれますが、それがどういう形で顕現できますことやら。

それが黄金時代と呼ばれるもので、144000人というワードなども聞いたことがあると思いますが、要はそれがキリスト教徒というよりも世界の仕組みを理解して、新たな創造を起こしたい人の集まりができて巨大な曼荼羅が地球に展開します。

つまり覚者は覚者で寄り集まるということで、新しい時代に地球規模の変化や想像を起こせるのはそういう人達です。

前にムーの三上さんが動画で地球から新しい星ができる、と言っていたのが個人的に印象的で、その真意は言葉数ゆえに予想の範疇を出ませんが、まるっきりガラッと変わった時代に入るのだろうとは思っています。

個人的な考えとしては人類のかなりの割合が同時期に亡くなるなることで新しい世界が幕を開けます。

ただし本当の意味で皆が死んでしまうのではなく、認識や常識が変わり、投影の矛先を新しいものに向けだすということだけです。

ホラー映画で誰かが殺されたとしても、再生機器がモニターにそれを映しているだけで、実際には誰も死んでいません。

そう感じるだけです。でなければ臨死体験など存在しません。

もし現実が人々の投影の結果であるなら、この現実は重ね合わせた夢やシミュレーションと言っていい代物で、つまりそうであるなら本当の意味では誰もが不滅で死んだりしないと言えます。

 

 

先ほどのグラドニ図形では少し周波数が変わっただけで現れる形は随分違ったものになっていたと思います。

その基礎工事にあたる部分の周波数が、今までのネガティブな存在がエゴでもって全体を支配し続けた状況から変わるのだろう、ということになるのではないのかと思っています。

誰もがろくに現実に対しての認識を改めず、騙され続けて従い続ければ、おそらくNWOの方が勝って、更なる牢獄惑星になってしまうのかもしれませんが。

ニュートラルであるということは神や悪魔と呼んでいる存在より本来よほど上等です。

神や悪魔の住んでいる場所も基本的には人の心の中にあると言及する人物や書物は多いと思います。

 

>神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

(ルカによる福音書17:20-7:21)

 

つまり、ニュートラルな存在であるなら全てを含む存在であるため、それは小宇宙でもあるということです。

心の中心に恐怖や不安でなくて、そこに誇りを持てるなら、その人の進路は変わるだろうと思います。

 

 

 

 

最後に仏教の話で、またスマナサーラ長老のお話を参考に挙げます。

私は仏教は哲学の類だと思っているで、基本であり全てとも言える八正道がいいかと思います。

八正道とは…

 

1、正見(正しい見解)

 

2、小思惟(正しい決意)

 

3、正語(正しい言葉)

 

4、正業(正しい行為)

 

5、正命(正しい生活)

 

6、正精進(正しい努力)

 

7、正念(正しい思念)

 

8,正定(正しい瞑想)

 

 

で、この八正道が四諦と合わせて仏教のシンボルである法輪としても描かれています。

このイラストは12本の柱がありますが、実際には8本の柱として描かれる方が多くて、つまり八正道のことを表しています。

それだけ重用されています。

 

 

そして長老によると、その八つの内の一つでも求めるなら残りの柱も全て付いてくることになるのでどこからでも良いと言います。

ですが、八正道の基本は1から8に向けて順番に伝播していくので、とくに拘りがなければ最初の正見から始めるのが良いと言います。

だから人が変わるための切っ掛けになるのは、だいたい正見(正しい見解)からです。

幸運にも正しい見解を得られたなら、それは考え、言葉、行為…と全てが正しい中に自分が収まっていきます。

 

 

その一番大事とも言える正見ですが、何が正しい見解かと言えば、ありのままの姿やその物の性質などを自ら見て正直に正解を求めて判断することです。

これが何故皆ができていないかとなれば、先に何かの情報源から話を聞いていたり過去の成功体験や刷り込みなどから、話の中身を考えて話す前に、その人の中では答えが決まっているからです。

一言で言えば人それぞれが持っている観念や常識です。

それが邪魔だし余計だと言っているのですね。

 

 

専門家と称する権威や信用ある人の話をそのまま自分の意見としたり、何でも好き嫌いでもってその事象を解釈してしまうなどが、その人の目を曇らせています。

そういう人達はその時その時に、自分で内容を測って判断するということができていません。

要は自分で考えて判断することを放棄しているんですね。

そして、殆どの人はそれに該当しています。

だから正見がまず最初に大事で、その最初が一番気付きにくくもあります。

 

 

そこに引っかかりさえ付けてしまえば、後は時間が解決してくれるものでもあります。

なにせ他の全ては繋がっているのだから、後は熱意を持続させるだけでもあります。

 

 

 

 

これは臨済宗の開祖の臨済和尚も同じようで更に過激なことを言っていて、仏も経典も求めてはいけない、と言っています。

仏教の和尚なのに仏教的な伝統な話を求めることを止めろ、みたいなことをおっしゃられています。

つまりこれも正見の話なんです。

仏教を学びたくて仏教にあるイメージを追い求めていると何も先に進めませんよ!と。

まずもって、何より大事なのは先入観や観念を取ることだけです。

臨済和尚には仏教に対するイメージそのものが仏教を学ぶためには邪魔だと言う様な説話がありました。

 

 

そしてこの八正道を追求するために必要なのは、結局のところ自分との向き合い方で、ひたすら内省して自分の間違いに自ら気付けるようになることです。

言葉を変えれば、人間にとっての正しさというのは、全部内側にあるとも言えます。

逆に言えば外側にあるだいたいは間違いしかないです

 

 

とりあえず、基本的な所を一つ紹介しましたが…

神さまが一切出てこないです。

意外と宗教臭さは全くない様な気がしませんか?

ただし、実際には神の代わりに仏がでてきますが、実際にはこれらは同じものと言ってもあながち間違いでもないと思います。

ただし仏というのは、全ての人間のことであり、私やあなたのことです。

そこに気付け!と強く背中を押してくれるのが仏教です。

これは大乗仏教で他力本願の教義を持っているところ以外は全て当てはまるはずです。

貴方こそが仏なのだから、外に向かってそれを拝もうとしないで、自らそのことに気付けと言っています。

だからこそ是が非でも神を崇拝させようとする一神教とは相性は悪いです。

ちなみに量子力学とは相性がいいと思います。

お互いにどこまでも分割して考える思考体系なためにお互い親近感はあるとも思います。

 

 

また、仏教は一つの見方なので、その仏教的解釈をその人の世界観に無理に当てはめる必要もありません。

一つの正しさは間違いなく持っていますが、一つの視点で見ているために、精神世界への世界観なども絶対視する必要もなく、仏教的に言えばそれらは本来は自分で確かめてこなくてはいけませんね。

せっかく日本に生まれたのだから、価値ある伝統文化にはその知恵を参考にさせてもらうと良い様な気が個人的にはしています。

それぞれが自分という人格や見識を作るのも全ては縁ですね。