高名なユング、精神の探究は必然とオカルトに? | 何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

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主に形而上の案件とボンクラ主の感想。

まずグノーシス主義の話をすると言っておきながら原文を見たことのない人が多いと思うので、それらを無料公開しているところのリンクを張っておきます。

(フィッシングに引っかかることはないと思いますが、その辺はご自分で判断してご利用ください)

順番からいって明らかに紹介が遅くて申し訳ありません。

ナグ・ハマディ文書を中心にそれらを公開しているサイトは意外といくつもあります。

もしグノーシス文書の解説をしている、何かに出くわした時には原文を翻訳しながら参照するとより良い理解ができるかもしれません。

グノーシス文書はだいたいが、教会から異端扱いされています。

禁止知識な訳です。

現代の陰謀論やオカルトと呼んでレッテル張ったり、メインストリームのニュースやファクトチェッカーなど公の発信を信じる様に誘導することは昔からで、公を通ると全ては反転してしまいます。

 

 

 

さて、今日の本編。

誰でも名前は知ってると思います。

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875-1961)

 

 

この方は精神科医で心理学者ということになっていますが、症状を見て当てはまる病名を告げるだけの現代医師と違って、自分で疑問を持ち構造を徹底的に調べていくことを繰り返した稀な方。

すると社会が求める表面的な回答に留まらずに精神世界全体の仕組みまで解き明かしかねない業績を残した、様に私には見えます。

実際の内容は革新的です。と同時に古より伝わる古今東西の知恵を現代教養人の解釈や言葉使いで分かりやすく展開してくれた面もあると言えるのではないかと思ってます。

現代人は古い時代の叡智に触れたとしても、言葉自体の違いはもとよりで、比喩が多用されて当たり前の表現ゆえに理解が非常に難しいです。

ユングの業績に目を向けると独自の理論に感心しながらも、古の知識との接点もまた多く、精神を主体にした智慧のピースをたくさん埋めてくれることと思います。

またユングは生涯を通じてグノーシス主義を研究していた方です。今回はユングの業績に対しての話なので、そちら中心には触れません。
 

私もユングを貪るように読みつくした訳ではなく、つまみ食いした程度にすぎない者ですが、一旦早々に纏める必要を感じているため、粗削りを自覚しながらも纏めたいと思います。

今、世界中で起きている深刻な問題は全てここに繋がっているのだから、問題を解決するにもここを通る必要があります。

そう感じてのことです。

そして、今でも功績を認められるユングであるので、読み漁った方々からすれば気に障るところもあるでしょうが、そこはご容赦ください。

 

 

まずユングの理論の基礎であり理解目標となっているのが集合的無意識という概念だと思います。

集合的無意識とは人間は皆、意識の底に無意識を持っているが、その無意識の底は集合的無意識というものに繋がっているという主張です。

これにはユングが3歳くらいの時の夢で、一つ目の人喰いの怪物に出会ったことが忘れられなかった出来事らしいです。

夢は起きている時の経験を補佐したり投影したり、などと解釈されることが一般的には多いようでしたが、それだと3歳で一つ目の人喰い怪物がでてくるはずがなく、それが集合的無意識への概念へと繋がっていった初めの出来事だった様です。

その集合的無意識の中にアーキタイプ(原型)やシンクロニシティの理論がでてきます。

前に少し触れたトリックスターはアーキタイプの中の一つです。

私達は顕在意識しか認識できません。

ですが、顕在意識は無意識に影響され、その無意識は集合的無意識に影響される。

結果としてその集合的無意識から個人への影響の中身をアーキタイプとして表現しています。

彼はその無意識における集合的な意味を追求しました。

 

 

その象徴性としてのアーキタイプですがユングが大きく取り上げた代表的な型がいくつかあります。

以下はWikiPediaからの引用なのですが、説明文まで入れるとごちゃごちゃしすぎるので形容詞だけ引用。もう少し詳しく知りたい方は直接どうぞ。

 

 

代表的な元型

・ 自我(エゴ)
・ 影(シャッテン)
・ アニムスとアニマ
・ 太母と老賢者
・ 自己(ゼルプスト)

この中で顕在意識の中にあるのは自我だけです。後は気付かぬうちに影響を受けています。そしてそれに違和感を持たなければそのまま自分の性格として受け入れるでしょうし、疑問に思ったなら自己探求の旅が始まるものと思います。
そして、仮にユングの集合的無意識の主張がそのまま正しいとします。
であったなら、もし最深部まで辿れたらそれは創造主に等しくはないのかな、と思う訳です。
ユングがグノーシス主義を生涯追い続けた様に、これはモナド意識を学問仮説として取り上げたとも取れます。
先にグノーシス主義に影響を受けて、この発想になったとも言えますが、最初の一つ目の食人鬼の夢のこともある訳です。
 
 
この考えを受け入れるなら、私達は巨木の先端にある枝先や葉、もしくは花と例えることができるかもしれません。
葉であればシーズン終わりには落ちます。葉を人の肉体と見たならその内に散って朽ちます。
肉体を自分自身と信じて疑わないならその人は寿命と共に記憶を消されて再生産のプロセスに入る、つまりは死ぬ経験をするでしょうが、枝や幹と常に繋がっていて全ては一体だと理解できたなら、その人は木が枯れない限りは永遠に生きることになると思います。
私達の本質が精神体であるなら殺されることも死ぬこともそもそも不可能です。忘却がなければ永遠の存在です。
昔からその様なことを言い伝える寓話は古今東西、数あるでしょう。
また、その巨木の様な仕組みの中で常に本体と通信していた訳だから末端の記憶の一部、または共有していた記憶は集合意識側にも残っているのではないでしょうか?なら記憶の継承もやり様によってはできておかしくない気がします。
実際にアカシックレコードの概念は古くからあって未だに消えていません。これだけ情報の取捨選択の多い現代で消えないことにはそれなりの支持者がいる訳で、それは感覚的に何かを掴んでいればこそ。
それにリモートビューアーも時間経過に囚われない情報を直感的に言い当てます。
見えない所に、何かしら記憶するための仕組みは確かにあります。
アーキタイプを知ればその辺のピースが何割か埋まる訳です。