4年生の皆様、卒業おめでとうございます。
先日は私からのささやかなプレゼント、楽しんでいただけたでしょうか?
焼き小麦粉のやりきれなさを味わっていただけたら幸いです。

今日は、たまには真面目に、先輩として、皆さんにアドバイスのようなものを贈りたいと思います。


大学で過ごした4年間はどうだったでしょうか?
楽しかったこともあれば、悲しいこともあったと思います。
しんどいこともあれば、楽ちんなこともあったでしょう。
中にはあそけんしか居場所がない人もいるかもしれません。


大学院に進学する方もいるかもしれませんが、卒業した皆さんはこれから社会に出ます。
あと1週間もすれば社会人です。
自分が属する組織に、何らかの貢献をして、その対価として給料をもらう社会人です。


給料という対価を貰う以上、その責任は重大で重くなります。当然のことです。
時給○百円というアルバイトの世界の比ではありません。
大学を卒業してすぐの貴方たちであろうと、それは変わりありません。

みなさんがあそけんでこの4年間してきたことを、私は数度しか見ていません。
そして、それを見る時、私は「学生の活動」という色眼鏡をかけて見てきました。

あそけんでみなさんがしてきた活動は、教員であれば、とても給料を貰えるようなものではありません。
ですから、この1年は、皆さんは「社会人」としての基礎を叩き込まれることと思います。


時には理不尽に感じるようなこともあるでしょう。
時には泣きたくなることもあるでしょう。
孤独を感じることもあると思います。
「辞めたい」と思う事だって1度や2度では済まないと思います。
その時、皆さんは、どうしますか?

100%の正解はないと思いますが、100%の不正解はあります。
それは、責任を放棄することです。
組織の一員として、給料という対価を貰いながら、責任は放棄しないでください。
責任の放棄は社会人として最もやってはいけないことだと私は思っています。

だからと言って、精神を病むほど抱え込まないでください。
4月になれば周りは先輩だらけです。後輩はいない環境です。
うまく先輩を使って、頼って、この1年でさらに成長してください。
私だってもし頼られれば力になります。その為のOB会ですから。
ツイッタ―でも、掲示板でも、このブログでもいい。
頼ってくれれば力になります。

そしてもう1つ。
自分の芯は貫き通してください。
芯のない人は、この1年で芯を作ってください。
特に教員の世界は、前例が無い事はなかなかできません。
1年目ならなおさらです。
お節介なおばちゃん先生や、脳が筋肉の体育教師などは特に厄介です。
この手の人たちは自分の持っている「芯らしい前例主義」を押し付けてきます。
お節介にも「こーいうときはこーやればいいのよ」なんて教えてきます。

そういうときは、その場で「そーですね」とアドバイスを受けて、後で自分で本質を考え
自分の芯から出る枝葉にして組み替えてください。
そうすることで、だんだん自分の芯ができてきます。

貴方たちには特にこれ以上多くを言わなくても大丈夫でしょう。
あそけんはみなさんの数少ない居場所の1つです。
卒業しても、居場所の1つです。
疲れたら、教員としてではなく、1人の大人として、子どもを茶化しに来てください。

4月からはみなさんを「新社会人」としての色眼鏡をかけて見ます。
そして、来年の4月には色眼鏡なしで見ます。
来年の4月には長老組と対等の立場で話ができる皆さんになっていることでしょう。
楽しみにしています。

卒業おめでとうございます。
静岡より、黄砂に吹かれて、お送りしました。
最近、世間を賑わせている「早期退職」の問題。
お偉い人々は「途中で投げ出すなんてけしからん」みたいなことを言っていますが、けしからんのは一体誰何でしょう?

3月まで勤めれば年棒云百万円もらえますという約束で仕事をしてたのに、突然途中で「やっぱ年棒150万円減らすからね!1月で辞めれば約束通り払うけど、でも子どもの為に辞めないでね。」って言われてるんです。

子どもを盾にした脅迫ですね♪( ´▽`)

教職というのは「仕事」です。学生さんのやるようなボランティアではありません。対価を貰って義務を果たしてるのです。
教員は聖人君子ではありません。家庭をもつ一人の人間です。どうして2ヶ月間タダ同然で仕事ができますか!

もちろん子どもに愛着は湧きます。でも、情熱と綺麗事だけで飯は食えないのです。退職を選んだ先生にも相当の葛藤があったはずです。その原因を作ったお偉い連中が、悩み抜いて出したであろう結論を責めるとはどういうことか!

教員の給料や退職金が高いか安いかは別問題。
約束を破ったことが問題ですわ。
こういう筋の通らない不義理を行政がしてたら、日本の教育は崩壊します。

もう教職も完全歩合制にしたらいいのに。
今日明日はセンター試験ですね。
毎年センター試験を受験しています。
年々得点が下がってきて、広島大には入学できないレベルです。
まあ大変。

まあ、ともかく、今日の受験生の中に将来あそけんでバカなことをする人が確実にいるわけです。
楽しみですね。
皆さん、子どもであそんでますか?
私はあそんでますよ!

さて、子どもであそぶ際に最も意識しているのは「意外性」です。
子どもの想像の斜め上をいくことをよくしています。

これまでにしたことは
・突然服のまま川に飛び込む。
・突然段ボールで家を作り出す。
・突然「おっちゃんな…実はな…プリキュアなんよ」と言ってみる。
・突然おじいちゃんを演じる。
・子どもの給食を盗む。
・教室で死んだふりをして待つ。
・教室で突然踊る。
などです。

子どもは大人に「対等の関係」を求めています。
それなのに都合が悪くなると「大人はズルい」と子どもであることを武器にします。
そういうふざけた奴らなのです。

だったら大人が子ども以上にふざけたらどうなるのか?
そんな知的好奇心からいろんなことをやりました。今もやっています。
すると面白いことに、年中以降になると「何しとんの?」「それ変でしょ」「しっかりしなさい」など
大人がするであろう役割を担い始めるのです。
つまり、大人の世界で言う「常識的な振る舞い」をし始めるのです。
普段ふざけていた子ですら、教師が自分以上にふざけ始めると、(あきれて)しっかりしだします。

そこで私が出した結論は
「大人は意図的に、大真面目にバカをすることで、子どもが成長する。」

結果論かもしれませんが、所詮教育なんて結果論。
発達の知識や児童心理も大事ですが、目の前の子どもがほぼ全てです。
理論と実践をめまぐるしく行き来し、大真面目にふざける。
それで飯を食うのが我々ですよ(o´∀`o)

大学3・4年の頃から後輩にはよく言ってました。
「バカにもなりきれない奴がバカをバカにするな」と。

バカになるためにはそれなりの経験と知識が必要ですが、それはまたそのうちに・・・。