私は教員という仕事に就いて、もうすぐ8年になります。
中学生、高校生のころから「なりたい」と強く思っていた教員という仕事です。
大学1年、2年の頃にはそんなに実感はないのですが、3年の実習の頃になると、急に社会人の入り口に立ったような気分になったことを思い出します。


私が教員になる8年前、9年前を思い返してみると、実習中や大学の先生に「覚悟」ということばをよく聞かされたと思います。

教員というのは1年間、自分のクラスの子どもの人生を預かる仕事です。
クラスに40人いれば40人分の人生を、1年契約で預かるのです。
学校というと勉強というイメージが強いですが、勉強だけでなく、人間関係を形成する力やコミュニケーション力、道徳心など、総合的な人間力を育てる組織です。
まだそれほど多くの大人に接していない子どもたちにとって、教員の影響力は大きいのです。
だからこそ、「覚悟」が必要なのです。


奇しくも、先日、あそけんの掲示板に「覚悟」という言葉が登場しました。
掲示板から飛んできた諸兄には、誰が、どのような文脈の中で使ったかはわかっていると思います。
要約してしまうと、自分たちの活動に対する「覚悟」が足りないという意味でした。


さて、ここから非常に厳しいことを書きます。引き返すなら今です。






























私は、今のあそけんなど潰れてなくなってしまえばいいと思っています。

何をするでもない学生が無駄に人数ばかりわらわらと集まり、子どもと遊ぶでもなくただただその場にいるだけ。本当に「ただ、存在している」それだけ。
子どもとも、大人同士でも禄にコミュニケーションも取らない。取れない。どうしたら子どもも学生も楽しく過ごせるのかを行動もせず、考えることすら放棄して、何の役にも立たない。20歳前後の「いい大人」が、思考停止状態で一日を過ごすなんて、廃人と一緒だ。恥を知れ。

リーダーはリーダーで同じ間違いを何度も何度もする。ノートにメモは取っているが、何も考えずにただ言われたことを模写しているだけだから、血肉にならない。企画の内容自体にはセンスが要るから置いておくが、ノートに書いたことをしっかり理解して次の活動に活かせば、少なくとも一瞬でも子どもを引き付ける技術や、仕切る技術は向上していくはずだ。それすら見られず、ただただ同じことを毎回繰り返す。1年経っても繰り返す。リーダーも「ただ、存在している」それだけ。

一体、今のあそけんが子どもたちに何を提供している?この2年、何か1つでも子どもたちに残せたものがあったか?あるわけないな。「あそけんなんか来る意味ない」ところで、「シケる」活動しかできてねぇもんな。子どもだけで遊んだほうがよっぽど面白いだろうな。何をするわけでもなく、ただ同じ空間にいるだけの、ちょっと自分たちより大きい人がいたら、目障りで仕方ない。俺が子どもだったら冷たく「邪魔だよ」とあしらって、そこから一切関わろうとはしない。だって、関わる必要がないんだもの、何をするでもなく、ただ同じ空間にいるだけなんだから。その辺の落ち葉のほうがよっぽど楽しい遊びを提供してくれる。道に落ちている木の枝の方が魅力的。子どもは楽しめるよ。でも、あそけんが楽しませてるわけじゃない。それを、馬鹿な学生たちは「こどもがたのしそうにあそんでいたからよかったとおもいます」なんて、何も考えずに平気で言っちゃう。子どもを楽しませてるのはお前らじゃなくて落ち葉だ馬鹿。

まさかあそけんが落ち葉に負ける日が来るとは思わなかったわ。

そして、驚くべきことに、こんな「ただ居るだけ」の連中が教員になろうというのだ。悪い冗談だと思う。エイプリルフールはまだ3ヶ月以上も先だ。
1ヶ月に1回の、たった一度の活動だ。それすらやりきろうともせず、途中で放棄してしまうような者が教員になって、いったい子どもに何ができるというのだ。さっきも言ったように、教員は担任を持った子どもの1年間を、人生を預かる。生活年齢・発達年齢が低ければ低いほど、その影響は多大になる。そこに、ただ傍観しているだけの者や、自分の計画したものをやり遂げない、状況に合わせて変化させるではなくただ単純に引っ込めるだけの者に、何ができる?
教員になることが目的か?それだったら採用試験に受かったら、職に就くのは速やかに辞退してほしい。教員を目指して、教員になって、何がしたい?子どもと一緒にいる時間があるのに、ただ傍観しているだけ、ただ居るだけの君らは、何がしたいんだ?教員になってこういうことをしてみたいというのが、実習を終えるまでに見つからないようなら、悪いことは言わないから教員になるのは止めておきなさい。覚悟どうこう以前の問題だ。こういう人たちには授業以外にも山積する教員の仕事は勤まらない。

このようなことを、愛情もなく、ただ怒りに任せてぶちまけました。私は愛情などこれっぽっちもありません。糞教員がこれ以上増えないことを願うのみです。教員養成課程が聞いて呆れるわ!
しかし、愛を込めてアドバイスをくれる人がいるはずです。
毎月活動に来て、助け舟を出してくれている、「期待しない」と言いながらもまだ君たちの事を考えてなんとかしようとしている先輩がいるでしょう。
まず、彼に申し訳ないと思ってください。はっきり言って彼1人の力であそけんを立て直そうなんて無謀です。でも、それを、孤軍奮闘して成し遂げようとしている彼に、謝ってください。

私からは以上です。あそけんなんか無くなってしまえ。
今日でゴールデンウイークも終わってしまい、明日からはまた仕事が始まります。

ゴールデンウイークはばかなことをするに限ります。


前半戦は、広島に行って長老組の面々とお好み焼きを食べたり、カフェで下らない計画を立てたりしました。
30代のおっさんがカフェに集まって、下らない計画をするのは一種の営業妨害です。


後半戦は、お金がないので、youtubeを見て3日過ごしました。
昔から鳥居みゆきが好きでしたが、ネタを漁って見て完全にハマりました。
テレビでやってるネタじゃない、際どいのが好きです。
もう私は鳥居みゆきしか見えません。

あとは、ゴールデンウイークなので、ゴールデンボンバーの踊りを踊って残りの1日を過ごしました。
とても女々しくなりました。
メメント・モリ ですね。

それでは、明日からまた仕事を頑張りたいとおもいます。

仕事にせよ、遊びにせよ、私は子どもと対峙する機会が多くあります。

そこには、対大人とは全く違う人間関係が作られます。

子どもは大人のことを本能的になのか、とてもよくわかっています。

この人と遊ぶと楽しい。
こいつは面白くない。
この人の言うことは聞いておこう。
こいつの言うことなんか聞かなくてもいいや。

すぐに見分けます。

私は、1年目2年目という若い先生には「難しいこと考えなくていいから、子どもと遊びなさい。」とよく言います。
若い先生とある程度経験を重ねた先生との一番の違いは「叱る技術」です。
若い先生はほぼ100%、上手に叱れません。
rakugaki:01



だから、できないことは無理にしようとしなくていいのです。
下手な叱り方は、子どもとの関係をこじらせます。

思い切り端折ると…
下手に叱られる→この人は嫌だ。面白くない→言うことを聞かない→また叱られる→悪循環

だから、叱れない人は無理に叱らなくていいのです。
代わりに遊ぶんです。

これまた端折ると…
遊ぶ→この人は面白い→もっと遊びたい→遊んでくれる→好循環

だから、断言します。
遊べない人は、教師にはなれません。

叱る技術なんか、あとから付いてきます。
まずは子どもと良い関係を作るため、とことん遊びましょう。
子どもがする変なことを面白がって助長して、子どもと一緒に校長に叱られましょう。
学校では、新年度が始まって1週間が終わりました。


会長、今年は小学1年生の担任です。
教員8年目ですが、そのうち6年は卒業学年か入学学年を担任しています。


そして今年はもう1つ別の「1年生」が。


なんと、先生1年生の指導も担当してしまいます。
同じクラスで担任してもらいます。


今年新卒で、採用試験に合格した方々です。
つまり、この前あそけんを卒業したあんな人やこんな人と同じ立場の人です。


かっこいい自転車を持っているあんな人や
時間にルーズなこんな人たちと同じ、新卒新採用です。
クリスマスに写真集を作っちゃったあんな人たちと同じです。


1年生7人の気持ちは、入学式後2日間で私がグッと掴みました。
久しぶりに全力で掴みに行ったので疲れました。

この調子なら、今度あそけんで本気出せば、たぶん30分で子ども全員鷲掴みでしょう。


明日からは私は一歩引いて、新卒の先生に掴んでもらいます。

21に負けないようにがんばるぞー、おー(。・∀・)ノ