いい子だから守られる、
いい子だから愛される、
ってすべて条件付き、やん。
守られるのは、
条件があるわけでもない。
愛されるのに
条件が必要なわけでもない。
「守られる」「愛される」に対して、
勝手に条件をつけていたことに気づく。
頭では、
無条件に守られる
無条件に愛されていい
ってわかってるのにね?
しかも、
いい子、ってのも、
自分がイメージするいい子であって
それは真の子なのか?笑
守られようと、愛されようと
頑張らなくても
パートナーは守り、愛してくれている❤️
ついでに言うと、
守られる女性像って、
か弱い人のイメージがあって、、、
昔から私とはほど遠い。
だから、
私は守られる存在ではない、
愛される存在ではない、
と、思っていた気がする。
守られるためには、
愛されるためには、
弱く儚い存在にならなきゃいけないのだと。
守ってもらえるように。
それは大きな勘違いで。
自分のエネルギーを無意識に抑えていた。
人それぞれに魅力、才能はあって、
それを存分に生かしていることこそが
パートナーの本望でもある。
彼にとって、
か弱いことは魅力的でも何でもなく、
むしろ、やりたい放題やってくれー。と
過去の体験や思い込みから刷り込まれたイメージが無意識に本来の自分を押さえ込んでいた。
過去の体験。
私の場合は生い立ちにある。
幼少期に、自分より弟を優先されたこと。
常に、自分以外に母の意識があったこと。
(当時を思えば無理もないのだけども)
一歳下の弟が、脳の障害を持って生まれた。
これだけでも大変なはずだけど、同時期に父がガンで入院した。そんなことあるの?って感じやけども、あったのよ。
母は弟と父につきっきり。
一歳になったばかりの私が一人で生きていけるはずもなく。遠く離れた祖父母のところへ預けられた。
母の側にいたくてもいられなかった。
そんなこんなで、常に私は自分を抑えて生きることを覚えた。
守られるのは弱い存在。
私がそう思い込むのも無理はない。
実際そうだったのだから。笑
ずっとこの思い込みを抱えてきた。
もういいよ。ありがとう。
弱くても、強くても、
なんでもOK。
パートナーの愛は
無条件なのだから。
祖父母の元で。
2024.1.5