2年前の大震災で、大津波にさらされながらも、一本だけ残った松があったそうな。
海水にさらされて、結局立ち枯れしてしまったその一本松をモニュメントとして加工して、そのあった場所に残すことになった。
どうして、そんなに残酷な事が、行われる事になったのだろう?
立ち枯れしてしまった松は、その寿命を終えた松だった。
何のために、幹やら枝をくりぬき、金属やらコンクリートやらで固め葉っぱも遠目で見ればそれっぽく見えるように加工して迄、そこに残さないといけないのか、僕には解らない。
自然の力の前に、人間は無力である事が多い。
ついえたものは、又自然に土に帰るのが、どおりである。
本当に、一本松が可哀想でならない。
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