隣の芝生が青く美しく輝いて見えるとき | 誠団

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趣味アカです。2025年6月に急にhideさんが好きになってしまったので、何かとhideさんの話題(X JAPANやLUNA SEAなど界隈のネタ)が多いかもです。基本的にはスピリチュアルな思想ですが、飽き性なので随時ネタが変わります。
スピリチュアル貧乏営業キライ。気持ち悪いです。

わたしは子どもの頃に母親から散々侮辱され、否定され、挙げ句の果てには放置され、愛されたという実感はなく、むしろ嫌われていると思いながら育ちました。

 

寝ても覚めてもとにかく母親のことが嫌いだし、怖くてビクビクしながら生きていました。

 

そんな感じなので、他の家の同世代の子どもが母親に甘えていたり大事にされていたりするのを見ると、それが美しく見えると同時に猛烈な嫉妬で怒り狂っておりました。

 

その怒りのせいで妙な解釈違いを起こし、親に大切に育てられた輩は甘ちゃんだから関わらんとこうと心に決めた思春期でした。

 

で、先日のセッションで先生に言われたことが印象的で。

 

わたしの前の夫なんて、おじいちゃんに靴を磨いてもらってたからさ、自分以外の誰かが靴を磨いてくれるのは当然だと思ってたのよ。

ごはんも時間になったら出てくるのが当たり前と思ってたよ。しかも同じメニューは作れないからさ。大変だったよ。

 

先生が言いたかったことは、両親に甘えられる環境でのびのび育った人間が、世間一般でいう標準には当てはまらないこともあるし、むしろ標準とはなんだ?という混乱が起きても不思議ではないということです。


親や家族に大切にされるあまり自立心が育たなかったり、誰かに寄りかかっている自分を認識できずにそれが当たり前だと思ってしまうということも往々にしてあるということですね。

 

それ言われちゃうと、そうなのかぁ…と思うけど、内情は見えやしないから表層だけ見て羨ましくなっちゃいますよね。

 

だからこそいつも自分に言い聞かせるのは、「人には見えないところでいろんな事情を抱えているし、表面だけ見て知ったような口を聞くのはやめよう」ということ。

 

それができなければジャッジになっちゃうんでしょうね。完全なる思い込み。幻想でしかないんです。

 

つまり隣の芝生っていうのは、自分のフィルターがかかった幻想ということだ。