けっこう前ですけど、某スターシードの方が配信していた動画がものすごく腑に落ちたので、今日はそのことについて書き残してみたいと思います。
神や天使など光の存在が好きな人たちって、綺麗事しか言わないですよね。
キラキラしたことばっか言う。まるで絵空事にしか聞こえんと思うのはわたしだけ?
だから嫌いなんですけどね。
某スターシードさんが言うには、宗教家やシスターたちはエゴが強いっていう話。
本当にそう思います。
ロックなんか聞いちゃだめ!
あれは悪魔の音楽なんだからッ!
っていうくだり、笑う。
まるで映画のデトロイト・ロック・シティじゃん。
自分の思想や自分の観点が正しいとして譲らないところがすでにエゴ丸出しなんだろうけど。
わたしが5層でタイムリーにトリガーされるところは、なぜ徒党を組む?みたいなイライラ。
なんでいちいち組織化してエゴ肥大化させて、信者をたくさん作って我々は清く正しい存在だっていうのを見せつけてくるの?ってところですかねぇ。(政治も一緒だとよく思う)
まぁ、信者も自分の意思でそこに加わってんのだから、外野がとやかく言うことではないけれど、教祖様みたいな人物はエゴ丸出しなんでしょうね。
これにイラついているわたしもまた、こいつらは間違っていると見なし、少数派として対立しながら真っ向から批判する自分の方がよっぽど正しいとか思ってるんだろうなって気がしています。過去世的に。
立ち位置が違うだけで、やってることは一緒だということに気づくと恥ずかしいものですね。
わかってんなら辞めればいいのにね。言い訳でしかないけど、なんかコレやる気しないんですよ。
ずっと対立していたいのかな?なんかよくわかんない矜持みたいのがあるんですよね、きっと。めんどくさ。
高潔? 5層にありがち(失笑)
先日わたしは自力で真理に辿り着くみたいな過去世を見て、水面に浮かぶひとつの蓮に光の柱が立ってたんですね。
それを見たら、探すことなんて何もなくて。最初からここにありましたよ。みたいに受けとったんです。
だから信者だとか弟子だとかをやるのもいいんですけど、実際わたしも過去世でやってると思うんですけど、ふたを開けてみれば自分で完結する話なのでは?と思ってしまった。
もちろん師と仰ぐ先生がいるのは素晴らしいとは思うし、それにより学べることは多々あるとは思うんですが、やっぱ心酔しすぎて身を委ねすぎてしまうのはいかがなものかと思いました。(自分も気をつける)
その流れからさらにトリガーされた排泄物の話。
スカトロフェチでない限りは排泄物をみんな汚いものだと認識しているし、隠さないといけないもの、下品だと感じている人が大半だと思うのですが、人間は生きていると同時に身体の中にこの排泄物をつくり出し所持していますよね?
つまり、汚いとか隠さなきゃとかっていう思考そのものが二元性じゃない?っていう話。
これ聞いて「うぉぉぉぉぉーーー」って思った![]()
わたしは汚物がどうのこうのというよりも、人間そのものが汚い・穢れたもの・醜いものっていう思いが強くて。
だからこそ自分が創造主の子ども(もしくは神の子)と思えないんだろうなって、改めて直視させられたというか。
インドのシヴァ神を祀ってあるところの周囲にはゴミが散乱しているそうです。
それを日本人が発見すると、大抵は「なんて罰当たりな…」と思うらしいのですが、それって単なる二元論だそうです。
きれいも汚いも本当はないんだと。あるがままなんだと。それが無為自然の在り方。
そうなんだよなー。ここを越えられないといつまでも二元性に囚われたままなんですよね。
だって悪があるから自分は清く正しくいられるわけでしょ?
そこらに平気でゴミを捨てる極悪人がいて、それをいけないことだと断罪する自分がいるから二元性の世界なんだよな。
NASAの宇宙飛行士の証言でもお馴染みの(?)御岩神社には、訪れた人間が落としていった穢れがうず高く積もっているから、自分で浄化できないうちは行かないほうがいいと先生にアドバイスされていたのですが、それも考えてみたら4層的な考えだし、いくら神聖な場所だからとはいえゴミひとつ落ちていない状態を絶対に死守しなければならないということでもないと思います。
そういうことに潔癖なエゴ強めの神様もいるとは思いますが、創造主だったらそんなことどうでもいいことだろうし。
むしろ、そこから何学ぶの?ウキウキ
みたいな発想ですよね。
また別の動画では、答えはひとつじゃないんだよっていうのをおっしゃっていて、つまりこれも二元性だよなと思いました。
答えはひとつ。それ以外は間違い。という二元性。
わたしコレ好きかも…というより、執着に近いかも…。
う〜ん…二元性…地球人が大好きな思考…脱したいです。
