以前のブログでは「できない自分でいることのメリット」を見つけた経緯を書きました。
そこからの派生でさらに気づいたことがあったので、自分のためにもしっかり書き残しておこうと思います。
ブログタイトルにも書きましたが、無意識に私はいつもスケープゴートを探していたことに気づいてしまい、思わずギョッとしてしまったんですよね。
というより、罪悪感が先に出ましたね。
あ、自分最低だった。と思わずにはいられない。
元々は聖書の言葉で「贖罪(しょくざい)のヤギ」という意味からきています。
古代ユダヤでは、贖罪日に人々の罪をヤギに背負わせて荒野に放つという習慣があり、無実の罪を着せられた犠牲者とのことをスケープゴートと呼びます。
なぜこれに気づいたかというと、1番ミニマムな集団である家族という形態から大きな集団の会社に至るまで、どこに属していても自分が考えているじめっとした自己防衛本能が目障りだったからです。
自分が属しているチーム(会社の組織)は私以外の人は全員ベテランかつ先輩なので、どう足掻いても貶めることは不可能なんですけど、だからこそ私は常に「自分はこのチームに必要のない存在だ」という卑屈な思いを抱えていました。
一時期20歳くらいの子が配属されたことがありましたが、私はまさにその人をスケープゴートに仕立て上げ追い出そうと無意識に働きかけていたことがあります。
表立って意地悪したりはしないですけど、肚の底はもう真っ黒でした。
たぶん自分の無価値感を外側に映し出したことに耐えられなかったんだと思います。
同じ空間にいるのも嫌で毎日のように心の中で怒っていました。
そして、この感情が芽生えた1番最初と思しき場面を辿っていったら、「お前は何もできない」と罵る母親の憎しみの根源は自己防衛本能だったんじゃないかと思うようになったんです。
きっと母親も私をスケープゴートにするために、こうして侮辱したり無視したり手ひどいことばかりしてきたんだろうって想像できたんですよね。
だからといって、許しはしないですけど。
そんなふうにスケープゴートにされた私は、弟が生まれることでその役を脱し、今度はロストワンになりました。
弟が問題児役を引き受けてくれたんです。(なすりつけた気はないけど、実際はそうなのかも…)
世代交代とまでは言わないかもしれないけど、スケープゴート役が別の人間に移っていくプロセスを目の当たりにしたら、さらにまた気づきがありました。
母方の両親が母親をスケープゴートにしたことと、伯父さえも母親をスケープゴートにして自己価値を守ったことに気づいてしまいました。
予想はしていたけど、完全に遺伝のビリーフだったわけです。
もしかしたら祖父の上の曾祖母から既に存在したビリーフかもしれないです。
祖父の妹は線路に飛び込んで命を絶ったそうなのですが、兄弟たちは事後に菰を持たされてバラバラになった肉片を拾いに行かされたそうです。(鉄道会社に多額の迷惑料を支払うはめになったとも聞いた)
亡くなったこの方も、もしかしたらスケープゴートだったかもしれないと思ってしまいました。
私は先祖と話すのが嫌なのでやりませんが、シータヒーリングの手法でチャネリングすれば家系の真実はわかるかもしれません。
とりあえず、自己価値を担保するのにスケープゴートが必要だったという悪手な方法を見つけられてよかったです。