うちは夕食時間が多いので「笑点」がかかってます。

うちの家族の誰もが落語が分かるわけでもないのですが、母が数年前からかけはじめたのがきっかけだと思います。遠い昔に祖父は見ていたような気がしますけど、うちの親はテレビかけて見てますが夢中で見るという事がないですよね。「テレビ<睡眠」なくらいで。私もそうなのですが。

でも母はここ数年は笑点が好きらしくて毎週見られる時は見ています。私も見るようになりました。母曰く「笑点が楽しいと感じる年齢になったのかな。」とたまに自分の事を言っています。
今は母しか家族が家に居なくなってしまいましたから、一緒にテレビを見ながら夕食を食べるのも大切な時間だと感じています。


今日で歌丸さんが司会から降りられました。私がきちんと見始めてからの司会は歌丸さんだったので寂しく思います。
79歳ですか・・・。病気をされても戻ってくるのを繰り返されたりとご年齢もあって色々考えられたのかなって、81歳で弱ってきた入院中の祖母を思うと重なります。

番組で見る姿はご年齢にしては元気で凄いと思うのですが、ご自分で司会を降りる事を決められたのですからしんどかったのでしょうか。「自分が元気な内に」と考えられたのかなって。

落語家で笑点の司会という、社会・人生の立ち位置というのはとても私には分かりませんが、そこまで行ったなら「俺はここまでやった!満足だ。」と考えられるのでしょうか? それとも「自分も先が見えてきたなぁ・・・。」と寂しく思うのでしょうか?


比べられないですけど、私も人生の半分くらい生きてしまって、祖母も親も老いて弱ってきている、自分は同年代と比べて人生も社会的にも何も築けなかった。もう社会からも人間からも必要とされないという考えになっているので、人生の終わり準備ならやっぱり寂しいのかなって思えてしまって。


・・・また言いたい事が分からなくなってしまいました。
芸能人さんでも自分より上、同じくらいの方が亡くなったりすると「自分の時代も終わっていくのか・・・・・・・。」と寂しく感じるようになりました。