大震災を振り返る | まころんのbeauty blog

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2011年3月11日 午後2時46分
東日本大震災


あれから一年という月日が流れようとしていますね。


その時の地震は、とても強くそしてとても長く、

今まで体験したことのない恐怖の時間でした。



私は会社にいたのですが、縦揺れから始まり皆が動揺すると、

少し経って急激に揺れが強くなりました。



その瞬間大きな花瓶などが転がり水が溢れ始め、

机やボードが激しく動き、全ての電気が消え去りました。


身動きの取れない恐怖の時間。


窓ガラスは割れ、さっきまでやっていたパソコン作業は

保存できないまま電源が落ち、

皆がどうしようも出来ない時間を見守りました。



揺れがおさまって社員全員外に飛び出しましたが、

その後も数えきれない強い余震。


その度に悲鳴に近い声が飛び交いました。




すぐに宮城で震度7との情報が入り、全員一斉に急遽帰宅。



停電になった為、信号機が作動しておらずちょっとしたパニックになりました。


それでもお互い譲り合いながら、

慎重に慎重に車を走らせなんとか帰宅。



でもテレビは映らないし、ラジオだけでは情報が乏しく、

何がどうなっているか全く分かりませんでした。


携帯サイトを見ようにも充電出来ないのでむやみに使用出来ません。


それでもその時は、すぐに復旧するだろうと思っていました。



しかし、夕方が近付くと、

地域アナウンスが復旧の見通しがないことを伝えます。



3月の寒い日、ストーブも動かない、

電気も使えないという状況に段々焦りが出てきました。



これと言って灯りがなかったので、姉宅に連絡すると

大きなロウソクがあるとのことですぐに借りに向かいました。



そのときは日も落ちて、街灯もなく信号機も動いてない、

お店の看板やパチンコやの明かりもない。


全ての明かりと言う明かりが消え去っていました。


あるのは行き交う車のヘッドライトだけで、シーンと静まり返った中、

お互いに道を譲り合い手に汗握りながらの運転でした。


あの街の異様な暗さと静けさが不気味で今でも目に焼き付いています。



寒さと恐怖から布団にくるまり身内で一ヶ所に集まりながら、

ロウソク一本で一夜を明かしました。



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巨大津波が来ていたことなんて知りもせずに。




真夜中、余震が何度も何度も頻繁に起きて、恐怖と寒さで全く寝付けませんでした。




電池が勿体ないと思いつつ、時々携帯でニュースのチェックをしていたのですが


その時、


『宮城県〇〇地域で200~300人の遺体』


という文字が飛び込んで来たのです。



その時の自分の中から込み上げてきた感情、衝撃、恐怖感を

今でも忘れることが出来ません。



今日本はどうなってるの?

これは現実なの?

何があったの?



と、もうどうしていいか分かりませんでした。




翌日も、まだ電気などの復旧作業の見通しが立たず、

地域全体に不安と焦りが走りました。


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『水、食料を確保しなくては』

でも皆考えることは同じで、お店を探す。

でもやっているとこさえ少ない。



初めてコンビニに40分以上並びました。



携帯電話の簡易充電器はすぐに完売し、

パンなどのすぐ食べられるものはほとんどなく、

カロリーメイトやお茶などを買い込みました。



そのときは、”買い締め”という概念もなく、

皆がひたすらカゴに商品を入れていました。



もちろんお店のレジの電源も落ちているので、

店員さんは電卓をたたいての計算。

バーコードも機能せずで長蛇の列。



多少アバウトであったと思いますが、言った商品を奥から持ってきてくれたり、

特に制限を設けることなくテキパキ紳士に対応してくれました。


それが終わると、今度はガソリンパニックに。



ガソリンが入ってこないとの情報から皆がガソリンスタンドに並びました。



並んで詰められれば良いですが、夜中に並んで朝詰めるとか、

4時間並んで結局在庫切れなど、珍しい話ではありませんでした。



約二日後、いきなり自宅のファックスが光りカチカチ作動しはじめ、

え?と思っているといきなり家に明かりがよみがえりました。


電気が復旧したのです。



冬の寒い時期もあり、冷蔵庫の中は比較的腐らずに保っていたようです。


いつまで続くか分からない停電や食料切れに焦っていましたが、

二日ほどで復旧し少し安心していた時、


やっとついたテレビを見て絶句しました。



200~300人の遺体どころではない。

停電どころではない。

寒いどころではない。



これは日本ですか?
これは現実ですか?
街はどこに行ったのですか?




数えきれない尊い命が一瞬で奪われたのを知った、衝撃の瞬間でした。




あの日から今日で一年。

長いような短いような、不思議な感覚。

私は結局、募金くらいしか出来ていない。


でも、日本の意識は確実に変わったのではないかと思う。



あの日を忘れない為に。

亡くなった尊い命達へ祈りを




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そしてまた私達は前に進まなくちゃ。
















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